[CML 014991] 湯川秀樹博士の発言・・再考

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2012年 2月 15日 (水) 00:40:07 JST


みなさまへ   (BCCにて)松元

諸留さんは、事故直後の昨年3月末から湯川秀樹やオッペンハイマーを手がかりに原爆や原発を生み出した「科学と科学者の責任」を追及してきました。

今回は、湯川秀樹の言動評価に修正の可能性をみた問い合わせも含めた投稿です。あわせて、直後のアインシュタイン評価への「訂正」追加文も紹介いたします。

=====以下転載======

 《パレスチナに平和を京都の会》
"Peace for Palestine" in Kyoto Movement(PPKM)
諸留(モロトメ)能興(ヨシオキ)です
**転送/転載/拡散歓迎**
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 澤山保太郎氏(現在、高知県東洋町町長)
の「反核の町は福祉の町に変わった」と題する文章を、
アヒンサー『未来に続くいのちのために原発はいらない 第1号』
PKO法『雑則』を広める会発行2010年7月26日初版
という小冊子の2頁〜12頁に掲載されています。
この澤山保太郎氏の文の中で、湯川秀樹博士に関する、
非常に興味深い、重要な事柄が述べられています。

 私(諸留)は、以前、の原子核エネルギーの研究や応用に関して、湯川秀樹博士がどういう考えであったかについて述べました。前回までは、生前の湯川秀樹博士は「原子核爆弾には終始明白に反対を表明されたけれど、原子力の平和的利用(具体的には原発)にははっきり反対を表明しなかったのでは・・」と、推測し、作家唐木順三の指摘を踏まえ、私(諸留)も、湯川秀樹博士の限界を指摘しました。

 しかし、今回、偶然発見した、以下の、澤山保太郎氏(現在、高知県東洋町町長)の「反核の町は福祉の町に変わった」と題する文章に書かれていることが、もし、事実であるとすれば、湯川博士は、核兵器だけでなく、「原発も原爆も同じであり、両者とも、コントロールできない危険なものである」と、生前、はっきり言明なさっていたことが、明らかになり、見逃せない、重要な指摘だと思われます。

 なお、この澤山保太郎氏は、1943年1月17日生まれで、2010年7月現在、高知県東洋町町長現職であり、また「玄海原発プルサマール裁判を支える会会長」としても精力的に頑張っておられる方です。

------以下、前掲小冊子の7頁〜8頁の該当箇所---

 「原爆と原発は同じ」

 ・・・原発というのは巨大な原子爆弾の装置だととらえています。全国各地に生々しい原爆の装置を白昼堂々と露出しているわけです。原発と原爆はどう違うのか。

 学生時分に湯川秀樹博士のシンポジウムに参加したときに、湯川博士は、その当時、原子力委員を辞めたか、なんかの時だったと思いますが。はっきり答えました。原発も原爆も同じなんだと、こういうものはコントロール出来ないものであると。危険だと。こういうようなことを、記録には残っていませんが、私の耳に残っておりますが、そういうふうにおしゃったんですね。

 湯川博士以上に、原子力のことを知っている人はいないと思います。湯川秀樹博士を、僕は非常に立派な人だと思っています。信念の人だと思っています。そういうことで、私は、原発というものに対しては、根本から反対だという考えであります。

------以上が前掲小冊子の7頁〜8頁の該当箇所-----

 この澤山保太郎氏の発言がもし事実だとすると、湯川秀樹氏がこの発言をした「湯川秀樹博士のシンポジウム」が開催された時期は「湯川先生が、原子力委員を辞めたか、なんかの時」だったという箇所から推測すると、1957年3月以降ということになる。

 しかし、1943年生まれの澤山保太郎氏は、1957年当時は14〜15歳の計算となるから、

「湯川秀樹博士のシンポジウムに参加する」ような「学生」であれば、1957年よりも更に6〜7年ほど後年の、澤山保太郎氏が20歳前後であろう。

 澤山保太郎氏の記憶が確かであれば、このシンポジウムが開催された時期は、従って、おそらく1962〜1963年以降ということになる。

 私(諸留)が、過日送信した、『京都新聞』紙上に2011年(H23年)10月20日(金)「原発と国家」第5部 独走いさめた湯川氏  (1)政府と科学者の以下の記事と、照合してみることで確認できる。

-----以下、『京都新聞』2011年(H23年)10月20日(金)「原発と国家」第5部 独走いさめた湯川氏、の記事-----
 
 ・・・1956年1月4日に首相官邸で「原子力委員会」の初会合が開かれ、初代原子力委員会委員長に、国務大臣正力松太郎が就任し、湯川秀樹博士も同委員会の委員として参加した。しかし「基礎研究の必要を認めない正力松太郎らの方針」に、湯川秀樹博士は「もう辞める」と憤った。湯川スミ夫人の説得で辞任を思いとどまった湯川だが、正カペースで進む原子力委員会は気の重い仕事だったようで、「性に合わない」と愚痴をこぼし、しばしば胃痛を訴えたという。

 日本学術会議は1954年4月、「情報の完全な公開」「民主的な研究体制」「外国に依存しない自主性」の、いわゆる「原子力利用三原則」を条件に、原子力研究推進にかじを切る。湯川は政府の監視役を期待された。放射性物質の危険性を知る湯川には「災害防止に万全を期さなければ」との思いもあった。

1956年5月、米国に先んじて商業発電を始めた英国の黒鉛炉輸入を強行した正力松太郎や政府に対し、湯川は随筆で「イネを育てる下地をつくっている時に大きな切り花を買ってくるという話では困る。『急がばまわれ』だ」といさめたが、政府の原発導入の独走は止まらなかった。1957年3月に導入が確定的になると、湯川は体調を理由に委員を辞任した・・・

-----以上、『京都新聞』2011年(H23年)10月20日(金)「原発と国家」第5部 独走いさめた湯川氏 より-----


 これと照らし合わせることで、澤山保太郎氏も参加し、聞いたという、湯川博士の「問題の発言」がなされたシンポジウムが開催された時期は、1962〜1963年以降ということが解る。

 同時代に、このシンポジウムに参加した方で、もしまだ生存しおられる方で、同様の趣旨の湯川秀樹博士の発言を聞いた、と記憶しておられる方が、もし、いらしゃっるなら是非、私(諸留)まで、お知らせ下さい。

 しかし、湯川秀樹博士は、これまでもたびたび紹介したように、「核兵器廃絶運動には非常に力を注ぐ一方、原子力の平和利用そのものには疑いを挟むことはなかった」、と見る者も多い。

 長く湯川の傍にいた慶大名誉教授小沼通二氏も
「核兵器廃絶の決意は固かったが、原子力政策の批判を聞いたことはない」
と証言している。1960年には原子力委の核融合専門部会長を務めたのも、
核エネルギーの平和的利用を期待したからではなかっただろうか?


 湯川博士が書き残したものを調べても、はっきりと
「原発も原爆も同じであり、こういうものはコントロール出来ないものである」と
明記した資料は、私(諸留)も、いまだ未発見である。

 もし、「原発も原爆も同じであり、こういうものはコントロール出来ないものである」と

湯川博士が明記した文や資料を発見なさった方は、
是非、私(諸留)まで、お知らせ下されば幸いです。

 ともあれ、澤山保太郎氏が耳にしたことが、
事実であれば、澤山保太郎氏も言う通り、湯川秀樹博士は、
非常に優れた科学者であったと、私も思う。

 これに関し、私はいつも思い出す言葉がある。それは、

「人間とその運命に対する配慮が
常にあらゆる科学技術の
よりどころでなくてはならない・・」
という、アルバート・アインシュタイン博士の
言葉である。

 真の科学者や技術者とは、こうした
アインシュタイン博士のような明確な「思想」を
はっきり持っている人である。
アインシュタイン博士は、周知のように、ユダヤ系のドイツ国籍であったが
ナチの迫害を避けてアメリカに移住した人である。
科学者としての信念からであろうか、特定の宗教や信仰は
アインシュタイン博士持たなかったと
言われているが、ユダヤ民族の伝統的な思考が
彼、アインシュタインの思索の根底に深く根付いていることは 


彼の多くの書き残した言葉からも、明白に伺える。

ニュートン力学を越える理論をうち立てながらも
量子力学的確率論的法則性を、認めることをためらった言葉として
「神様はサイコロをお振りにはならない」という
ジョークともとれる、彼の有名な言葉がある。
ここからも、彼の思想の根底に豊かなユダヤ教の
伝統的的思考が伺えて
興味深い・・。

 しかし、今の日本には、こうした透徹した、明確な「思想」を 


キチンと持っている科学者や技術者は、ごく少数を除けば
ほとんど見あたらない。

 素人には、難しい専門的理論や技術論に精通した科学者、技術者だと
「錯覚させ得る」ような科学者、技術者は
真の科学者、技術者ではない。
それらは、単なる科学屋、技術屋でしかない。

 人間とその運命に対する配慮を欠落させ
未来のわたしたちの子孫の運命に対する配慮を欠落させ
現在の自分たちの世代の快適さと便利さの開発や研究しか
思考しない・・そんな科学屋や技術屋は
科学野郎、技術野郎でしかない

 澤山保太郎氏の言うように、
「湯川博士以上に、原子力のことを知っている人はいない」
というのは、少なくとも、
日進月歩の、いや秒進分歩の・・原子核物理学の世界に関して言うなら、
現在では、もはや、通用しない。
湯川博士以上に、原子力のことを知っている人は、いくらでも存在する。

 しかし、湯川秀樹博士が、
「非常に立派な人であり、信念の人だった」のか?否か?・・の確認は、
湯川博士の到達した知識ではなく、
彼の思想が、いかなるものであったかで、決定されるべきである。

 そうした意味での湯川秀樹博士の「思想」がいかなるものであったかの調査は、
今後も、私(諸留)は追求し続けていくつもりである。

P.S.
 前回、湯川秀樹博士に関連し、武谷三男批判をした際に「原子力の『応用』はいけないが、『研究』であれば許される。『研究』と『応用』を区別しない諸留の議論(主張)は間違いである・・」との、御指摘(御批判)を、数名の方から頂戴しました。

 しかしながら、原子力に限らず『研究』と『応用』を区別するという名目で、実に多くの「政治的」「政策的」研究が遂行されてきている数々の事例があります。

 
 一例・・政財界人らのよく行う「○○政治経済研究会」なるものは言うまでもなく、「放射線医学総合研究所」なる研究機関が代表的な「原発ムラ」機関であり、市民無視の高圧的な傲慢な研究所であることも、過日のニュース報道からも証明できます。

 このように、「研究」の名の下に、露骨な政治機関として機能しているものは、いくらでもあります。
従って、上記のような「『研究』と『応用』とは区別されねばならない。『応用や実用』は否定しても『研究』は否定されるべきではない」と、その『研究』の内容やその目的を不問にしたままで、主張することも、危険であり、誤りであることを指摘しておきます。

**転送/転載/拡散歓迎**
******************
真の文明は
山を荒らさず
海を荒らさず
村を荒らさず
人を殺さざるべし (田中正造)


人間とその運命に対する配慮が
常にあらゆる科学技術の
よりどころでなくてはならない
(アルバート・アインシュタイン)


「あとから来る者のために」

あとから来る者のために 田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ 自分にできる
なにかをしてゆくのだ     (坂村真民)

*******************

=====以下、訂正とお詫び=====

前回[2012(H24)年02月14日(火)AM01:45送信]に
送信しました
「湯川秀樹博士の発言・・再考」
の文中で、一部、不適切な表現がありました。
改めて、その問題点を指摘し、訂正と謝罪をしたいと思います。 



 問題の箇所は、アインシュタイン博士に関して述べたところです。

 アインシュタイン博士の言葉、
「人間とその運命に対する配慮が
常にあらゆる科学技術の
よりどころでなくてはならない・・」
を引用して、
 前回、私(諸留)は、
 今日の日本には、明確な「思想」を持つ科学者や技術者がほとんど見あたらないことと対比させて

『真の科学者や技術者とは、こうした
アインシュタイン博士のような明確な「思想」を
はっきり持っている人である・・・
科学者としての信念からであろうか・・ユダヤ民族の伝統的な思考が
彼、アインシュタインの思索の根底に深く根付いていることは 


彼の多くの書き残した言葉からも、明白に伺える。・・・
彼の思想の根底に豊かなユダヤ教的思考が伺えて興味深い・・』 



と、アインシュタイン博士への賛辞だけを述べました。

しかし、そのアインシュタイン博士といえども、他方では、
「第二次世界大戦当時の米国大統領F・ルーズベルトに対し、 


原爆開発の進言を行ったことが、マンハッタン計画に繋がった」 


という点も同時に指摘することが、私(諸留)の前回の文では、 


スッポリ抜け落ちていました。

 意図的にその問題に触れなかったのでなく、私の全く配慮不足からでした。

 アインシュタイン博士が語ったという
「人間とその運命に対する配慮が
常にあらゆる科学技術の
よりどころでなくてはならない」
の言葉を、文字通り誠実に実行していたのなら、
民間人も含め人間を大量に殺戮する原爆開発にも
最初から一貫して反対表明をしていた筈だと思います。

少なくともナチスが原爆開発を断念したという確証を
連合国側が得た1944年秋以降には、
原爆製造を中止することは出来た筈です。
アメリカや連合国軍側の機密情報として
それがアインシュタイン博士にまでは知らされはいなかったとしても、
1945年4月30日に、ヒトラーがベルリンの地下壕内で自殺し、
首都ベルリンがソ連軍によって占領され、
5月7日には、ヒトラーの後を継いだドイツ指導者がソ連を除く連合国に無条件降伏し
翌5月8日には、ソ連にも無条件降伏し
ヨーロッパでの戦争が終結したことを
アインシュタイン博士も当然知っていた筈であるから、
その時点でも、マンハンタン計画の即時停止を
大統領に訴えることは可能であった。
しかし、アインシュタイン博士は、そうした言動はとらなかった。

 アインシュタイン博士の場合、
原爆開発前のルーズベルトへの原爆進言と、
ヒロシマ・ナガサキ原爆投下後の深い嘆きとの間には、
確かに、ズレ(考えの変化)があるように
僕には思われます。

ナチスが連合国に先駆けて原爆開発することを防ぐ為に
「ルーズベルト大統領に進言した」というが
彼の、原爆開発前の考えであったのが、
ヒロシマ・ナガサキの悲惨さを知った後では
自分のしたことも含め悔やみ、反省するように至った・・という
心境の変化があったと思われます。

以上の点も、キチンと指摘せず、一方的に
アインシュタイン博士を全面的に評価したことは、
私(諸留)僕の「配慮の至らなさ」でした。

 ここに、改めて訂正とお詫びします。

マルクスも、アインシュタインも、フロイドも、
意識の上では宗教的な心情は、あからさまには表明することもなかったし
ユダヤ教を始め、特定の信仰を持つこともなかったと言われていますが
彼らの言動や思考のパターン、発想の根底には
ユダヤ民族の長年にわたる思想といいますか、
より普遍的な原理から、この世の相対的な現象を
見つめ直し、捉えなおそうとする思考傾向が
際だっていることを、言いたかったのですが・・・

 私(諸留)の思考の中に、ユダヤ文化や人物に対する
過度に賞賛するような傾向が、
まだまだ根強く残っているせいだと思って
反省しています。

長年、キリスト教会や、ユダヤ教関係のことをやってきてると 


そういう傾向が、無意識のうちにも
身に染みこんでしまってるようです。

人間世界に関することを
何もかも全てを肯定的に見ることも正しくないように、
逆に、全てを否定的に見ることもまた同様に、
正しくないと思われます。

良い点も、悪しき点も、相対化させて
是々非々を、キチンと見抜くように、これからも
努力したいと思ってます・・・

 以上、前回送信しました
「湯川秀樹博士の発言・・再考」の文中の
アインシュタイン博士に関する記述の訂正・補足と
謝罪をお伝え致しました。

**転送/転載/拡散歓迎**
真の文明は
山を荒らさず
海を荒らさず
村を荒らさず
人を殺さざるべし (田中正造)


眼前の繰り回しに
百年の計を忘する勿れ  (渡辺崋山)


「あとから来る者のために」

あとから来る者のために 田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ 自分にできる
なにかをしてゆくのだ     (坂村真民)

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《パレスチナに平和を京都の会》
"Peace for Palestine" in Kyoto Movement(PPKM)

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