[CML 014911] Re(2):ラブレター記事の人権感覚

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2012年 2月 10日 (金) 21:40:50 JST


すいません。メモ書きを削除するのを忘れていました。その部分を削除して再送させていただきます。

「Re(1)ラブレター記事の人権感覚」の続きです。

第3のあなたの批判について。あなたはまず鳩山元首相を「国民の期待を背負った」元首相であったと評価します。
その「国民の期待を背負った」元首相のいる政党とは民主党のことにほかなりませんから、結局のところあなたは
民主党という政党そのものも鳩山元首相と同じように「国民の期待を背負った」政党として評価しているとみなして
間違いないところでしょう。その「国民の期待を背負った」民主党を「革新政党への票を奪う危険がある」という理由
で東本は貶めようとしている。「政治というものに対する根底的な認識不足が為せる業と」いわなければならない、
というのがあなたのあなたの第3の論点における東本批判です。

しかし、民主党は一定の「国民の期待を背負っ」て政権交代を遂げたことは確かですが、同時に自民党から政権
を奪取した直後から次々と「国民の期待」を裏切り続けてきました。

普天間問題公約違反問題、朝鮮人学校の「高校無償化」不適用問題、外国人参政権公約違反問題、夫婦別姓
等民法改正公約違反問題、抜け穴だらけの労働者派遣法「改正」問題、米軍思いやり予算非是正問題などなど。
現在進行形で脱原発に逆行する原発再稼働、原発推進政策も続行されています。

こうした民主党のていたらくを見て、あなたと同様の主張を展開することの多い石垣敏夫さんでさえ「今の民主党
は第2自民党」(CML 014530 2012年1月23日付)にすぎないと匙を投げています。石垣さんに限らず本CMLでは
民主党を評価する人はほとんどいないといってよいでしょう。ただ、その民主党の党員でしかない小沢一郎氏や
菅直人氏などを「民主党左翼」としていたずらに評価しようとする向きが一部にありますが、そのことはここでは
置いておきます。ともあれ、民主党が現にいまもなお「国民の期待を背負っ」ている政党として評価する人は本C
MLではほとんどいないといってよいでしょう。

民主党が「国民の期待」に背離する政策しか持ちえない本質的には保守政党といってよい政党でしかないことを
指摘する論攷も数多くあります。ここではその論攷のひとつとしてピープルズ・プラン研究所の武藤一羊さんの
「鳩山政権とは何か、どこに立っているのか――自民党レジームの崩壊と民主党の浮遊」(2010年2月16日)と
いう論を紹介しておきます。同論攷で武藤さんは民主党は「自民党レジームからどれほど膨大な負の政治的財
産を引き継いだのかを明らかにし、それの清算という困難な仕事に挑戦しようとしない」。「それをしないのは、
自民党政権時代につくられた日米関係を変更するつもりがないからである」と、民主党の本質的な保守政党とし
ての限界性を指摘しています。
http://www.peoples-plan.org/jp/ppmagazine/pp49/pp49_muto.pdf

私の民主党評価の論もいくつかあげておきます。

民主党という政党の正味の評価について革新・刷新派市民・論者の共通項はつくれないものか(上)
(弊ブログ 2010年4月27日)
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/2757343.html
民主党という政党の正味の評価について革新・刷新派市民・論者の共通項はつくれないものか(下)
(弊ブログ 2010年4月27日)
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/2757391.html
伊藤和子さん(弁護士/ヒューマンライツ・ナウ事務局長)の論攷「沖縄への基地強要は本質的にレイプと同
じ」(転載と若干のコメント)(弊ブログ 2011年12月3日)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-367.html

前記したように鳩山元首相も菅前首相も「国民の期待を背負っ」て登場した宰相であることは一面の事実です
が、その両宰相がその「国民の期待」を見事に裏切った宰相でしかなかったことも下記に少しばかり書いてい
ます。

ヤマトゥは沖縄を捨てた 菅新内閣支持率を憤りをもって読む(弊ブログ 2010年6月16日)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-170.html

以上見てきたように民主党が「国民の期待」を担える政党でないことが明らかである以上、「民主党を貶め」る
ということではなく、同党が「国民の期待」を裏切ってきたという厳然たる事実に相応して民主党を批判するこ
とは、むしろ革新とリベラルを自称する市民としては当然すぎるほど当然な営為といわなければならないでしょ
う。そして、さらに「国民の期待」を裏切り続けることがもはや明らかというべき同党にいまも一部では続いてい
るいわゆる民主党幻想によって革新票が奪われる危険性があるのであればそれを阻止しようとするのも当然
な営為といわなければならないだろうと私は思います。そういう認識がない者にこそ「政治というものに対する
根底的な認識不足が為せる業」というセンテンス・パッケージの言葉はふさわしいだろうと私は思います。

あなたの第4の論点である「ある点では共産党を支持し、ある点では社民党を支持することを市民の立場で
肯定しながら、ある点では民主党を支持する立場を認めない」という私への批判もまったく当たらない批判で
あることは上記で述べたことからも明らかです。これ以上の説明は不要でしょう。

あなたの第5の論点についてはすでに第2で反駁していますから繰り返しません。

最後にあなたの第6の論点について。社民党や共産党、結成が予定されている緑の党などの革新勢力間の
「票の食い合い」と上記に見たようにいまや保守勢力と定義してよい民主党と革新政党との「票の食い合い」
の問題は、真の政治革新、また脱原発政治を実現させることができるかどうかという点でまったく逆方向の関
係にある問題群です。その逆方向の問題群を同一方向の問題群として論じようとするのはナンセンス以外の
なにものでもありません。あなたの第6の私への批判も的が外れた批判と言わなければならないでしょう。

終わります。


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/ 

-----Original Message----- 
From: hayariki.net
Sent: Thursday, February 09, 2012 11:25 PM
To: 市民のML
Subject: [CML 014893] ラブレター記事の人権感覚

かつてラブレター記事というものが投稿された。この記事には投稿者の人権感覚を強く疑わせる内容が含まれている。残念なことにラブレター記事の問題性は問われずに流されてしまった。福島第一原発事故の放射能汚染への対応策として除染と避難の何れを重視するかで大きな議論がなされているが、一方の論者の特異性を認識する上でラブレター記事の問題を掘り起こす価値はある。

ラブレター記事は投稿者が高く評価する記事を書いた新聞記者を応援する趣旨である。それが果たして優れた記事であるかは別問題である。国民の期待を背負った鳩山由紀夫新首相(当時)への批判的な記事を評価している。それが革新政党への票を奪う危険がある民主党を貶めようという類の政治というものに対する根底的な認識不足が為せる業ではないか注意する必要がある。

しかし、優れたと考える記事を書いた記者を応援すること自体は結構なことである。市民よりも政府や企業の方を向きがちなマスメディアの中で市民派の目線で記事を書く記者を応援することは、国民目線を忘れがちな政権与党の中で国民生活を第一にしようと奮闘する議員を応援することと同じように価値がある。

問題は男性の投稿者が女性記者に送るラブレターという表題になっていることである。ファンレターならば理解できるが、ラブレター(恋文)と表現する動機は理解に苦しむ。記事本文を読めば投稿者に嫌らしい意図はないと好意的に解釈することは不可能ではない。それならば尚更、ラブレターという表現を使う必然性は存在しない。相手の立場からすれば迷惑であり、気持ち悪い。相手が異性だからラブレターにするというならば、ジェンダーに囚われたものになる。

しかも、ラブレターの受け手にはトランスジェンダーの方もいる。自己を女性と規定する人に男性がラブレターを書いて何が悪いかとの反論も考えられるが、興味本位的な性愛の話題に引き寄せられて考えられることがトランスジェンダーの方々にとって最も不愉快なことではないかと考える。あまりに不用意で場違いな印象を与えるラブレターという表現を使う人物が一方では人権や平等に問題意識が高く、他者の人権意識を批判していることに純粋に驚きを覚える。

このラブレター記事に対しては投稿直後に問題提起がなされたが、投稿者本人からも周囲からも反応はなく流されてしまった。理由が書かれていなかったために問題提起者の意図は分からないが、私は上記のような問題を認識した。

但し、当時は投稿者の形式論理の矛盾に関心を持っていた。差別表現について他者には発言者の主観的な意図ではなく、発言の社会的効果で評価すべきと説教する人物が、自己の発言は親しみを込めたもので差別意図はないと正当化する二重基準である。そのために内容に踏み込んで人権感覚を批判することは遠慮した。

その後も投稿者の背理は続いた。論理性を期待することが無意味に感じるほどである。 



・ある点では共産党を支持し、ある点では社民党を支持することを市民の立場で肯定しながら、ある点では民主党を支持する立場を認めない。

・福島からの避難を勧める主張を共感が得られないと批判する一方で、避難を強調して除染に否定的な立場を批判することは共感が得られなくても価値があると主張する。

・革新勢力や市民派からの新党設立を社民党や共産党の票の食い合いになると否定する一方で、「票の食い合い」という発想を政治意識として問題と批判する。

投稿者の投稿姿勢については周囲からも批判され、繰り返し大きな論争になった。批判意見には投稿者を揶揄・嘲笑する不真面目な雰囲気があったことは否めない。「不真面目な批判はけしからん」は一つの考えではある。しかし、その原因の一端には人権論を深める可能性があったラブレター記事への問題提起が流されたことにあったのではないかと自戒を込めて指摘する。
-- 
林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
http://hayariki.net/



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