[CML 014907] Re(1):ラブレター記事の人権感覚

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2012年 2月 10日 (金) 18:37:06 JST


林田さん

あなたの標題記事は端的にいって私のCML 014520(注1)及びCML 014512(注2)記事への反論記事だといってよい
と思いますが、あなたが言いたいのであろうあれこれの反論の論点には相互に脈絡はみられず、論旨のつかみにく
い文章になっています。

注1:Re: 小沢支持者批判者の心理構造(CML 014520 2012年1月23日付)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2012-January/014370.html
注2:Re: ある「脱原発」主義者との問答(CML 014512 2012年1月22日付)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2012-January/014362.html

それでも、あなたの反論したいという強い気持ちだけはよく伝わってきますので、その意を汲んで、あえて論点を整理
すると次の3つに要約できそうです。

第1。かつて東本がCMLに投稿した「ラブレター記事」(正確には「田原牧さんへのラブレター~ひとりの新聞記者」と
いうタイトルの記事。ちなみに初出はインターネット新聞「JANJAN」2006年12月28日付)には投稿者の人権感覚を
強く疑わせる内容が含まれている。

第2。福島第一原発事故の放射能汚染への対応策として除染と避難の何れを重視するかで大きな議論がなされて
いるが、東本の論はきわめて特異な論というべきである。その特異性を認識する上でラブレター記事の問題を掘り
起こす価値はある。

第3。東本は国民の期待を背負った鳩山由紀夫新首相(当時)への批判的な記事を評価しているが、それは革新
政党への票を奪う危険がある民主党を貶めようという類の政治というものに対する根底的な認識不足が為せる業と
いうべきものである。

そのほか私の論理の矛盾なるものを3点にわたって指摘しています。すなわち、続きものの論点とみれば、以下の
3点を含む合計6点が私への批判ということになります。

第4。ある点では共産党を支持し、ある点では社民党を支持することを市民の立場で肯定しながら、ある点では民
主党を支持する立場を認めない。

第5。福島からの避難を勧める主張を共感が得られないと批判する一方で、避難を強調して除染に否定的な立場
を批判することは共感が得られなくても価値があると主張する。

第6。革新勢力や市民派からの新党設立を社民党や共産党の票の食い合いになると否定する一方で、「票の食い
合い」という発想を政治意識として問題と批判する。

さて、第1の点から反論していくことにしますが、あなたはその第1の「投稿者(すなわち、東本)の人権感覚を強く
疑わせる」理由として「問題は男性の投稿者が女性記者に送るラブレターという表題になっている」ことをあげてい
ます。

しかし、第1にラブレターという言葉は必ずしも異性間の恋文のやりとりを意味するだけの言葉ではありません。い
うまでもなくラブレターは英語のlove letterが日本語化したものすが、その英語のloveには「(肉親・友人・ペットなど
への)愛、愛情」「(他人の幸福を願う)愛情のこもった関心、善意」などの意味もあります。したがって、ラブレター
という言葉には「(肉親・友人・ペットなどへの)愛、愛情をあらわす手紙」という意味もあります。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/50617/m0u/

第2に私はくだんの記事の場合ラブレターという言葉を「その時彼がふと窓の外を見ると、一羽の鷹が、強風にも
流されず、空中に静止していた」(注3)というたぐいの隠喩(メタファー)として用いているのですが、左記の文中に
ある「窓」がくだんの記事で私が用いた「ラブレター」にあたります。私は「ラブレター」という言葉に必ずしも一般的
な意味としての異性間の「恋文」という意味にとどまらない敬意や尊敬、熱情などの多層的な意味を被せているの
です。文芸評論家の秋山駿の「石」への並外れた偏愛は有名ですが、もちろん秋山駿は人生の隠喩として「石」
を偏愛していたのだと思います(注4)。また、明恵上人の「島」への偏愛も有名です(注5)。これも明恵の人生の
隠喩としての「島」への熱愛であろうと私は思っています。

注3:ウィキペディア「メタファー」( 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E5%96%A9 )参照。
注4:ウィキペディア「秋山駿」( 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E9%A7%BF )参照。
注5:「紀州が育んだ偉大な明恵上人 島への手紙」( 
http://sekiho.ddo.jp/myoue.html )参照。

第3にラブレターが愛する者に捧げる「恋文」の意味だとして、しかし愛される者は必ずしも異性とは限りません。
「男女二分法・異性愛」という一般世間に流布する視点は、「多様な性」の尊重という現代ジェンダー学の到達点
から見れば逆に偏頗な見方でしかありえないことはすでにCML 008970(2011年4月12日付)でも述べていること
です。
http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-April/008846.html

第4にあなたはくだんの記事のラブレターという表現は「相手の立場からすれば迷惑であり、気持ち悪い」表現で
あり、「トランスジェンダーの方々にとって最も不愉快」な表現ともいえる、と憶測するのですが、先にくだんの記事
の初出の時期を記しておきましたが、この記事はその初出の時期にジェンダー学研究者中心のメーリングリスト
に最初に発信したものです。そこでの反応はおおむね「田原牧記者のご紹介ありがとうございました。紹介された
彼女の著書を取り寄せたいと思っています」というもので、ラブレターという表現に違和を表明する人はひとりもい
ませんでした。トランスジェンダーの方からも返信をいただきましたが、やはり同様の趣旨での返信でした。

以上、「投稿者の人権感覚を強く疑わせる内容」というあなたの指摘はすべて的外れなものだといわなければな
らないでしょう。

第2のあなたの批判について。批判の第2であなたは東本の論は特異なものと言っていますが、その理由は第5
であなたが述べているところのものでしょう。すなわち、あなたは第5で「福島からの避難を勧める主張を共感が
得られないと批判する一方で、避難を強調して除染に否定的な立場を批判することは共感が得られなくても価値
がある」と東本は主張しているが、その東本の主張は論理的に矛盾している、と言っています。

上記については第1に私は「福島からの避難を勧める主張を共感が得られない」などと批判はしていません。左
記はあなたの誤読以外のなにものでもありません。私は一貫して「住民の<避難の権利>はなによりも第一義
的に保証されなければならない性質の<権利>というべきものです」と主張しています(注6)。私が批判している
のは「避難の権利」のみを主張して福島での「除染」活動全般を否定する論についてです。その際、民主党政府
のまやかしの除染政策を批判するのは当然だが、そのまやかしの除染政策と本来ありうべき除染政策とは区別
されなければならない。その本来の除染活動を否定してはいけない旨述べています(注7)。

注6:「避難の権利」に関する意見への共産党からの回答(転載)と私の若干のコメント(弊ブログ 2011年12月
24日)。なお、同文記事はCMLにも発信しています。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-369.html
注7:私たちは「除染」問題とどのように向きあうべきなのか?(弊ブログ 2012年1月4日)。同上。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-372.html

第2に「避難を強調して除染に否定的な立場を批判することは共感が得られなくても価値がある」などとも私は言
っていません。あなたがこの私が述べたという「共感」云々の発言は、CML 013867(2011年12月26日付)での「当
面『他者の共感を得られる表現』ではないにしても厳しく批判しなければならないことはあります」という私の発言
を指してそう言っているのでしょうが、私がここで上記のように言っているのは、やはりあなたの「避難の権利を重
視する人々を『脱原発原理主義』とラベリングすることに異常性を感じます。それは決して他者の共感を得られる
表現ではありません」(CML 013864 2011年12月25日付)という発言を承けてのもので、「『脱原発原理主義』とラ
ベリングすること」が当面「他者の共感を得られる表現」ではなかったとしても、の意であり、「避難を強調して除染
に否定的な立場を批判することは共感が得られなくても」の意ではないことは明らかです。

そして、この場合の「他者」は「脱原発原理主義」と呼ぶに値すると私が考える一部の人を指して「他者」と言って
いるのであり、その意味するところは少数の者から「脱原発原理主義」と呼ぶことで当面たとえ共感が得られなく
ともやむをえないこともある、というものです。私は「避難を強調して除染に否定的な立場を批判すること」が共感
が得られない主張だとは思っていません。したがって、この第2のあなたの批判も的外れなものと言っておく必要
があります。

なお、補足として言っておけば、「避難を強調して除染に否定的な立場」をとる人に対する批判は少なくない拡が
りをみせています。先日私がCMLでご紹介した一橋大学の社会学教員の猪飼周平さんの論(注8、注9)もその
ひとつですし、古寺多見さんの「原発『リスク厨』とは月とスッポンの猪飼周平氏の論考」というブログ記事(注10)
もそのひとつといってよいでしょう。なおまた、古寺多見さんは同記事で「脱原発原理主義」という呼び方とはまた
違う呼び方で一部の脱原発派の主張を「一部の『脱原発派』の『カルト化』」と名づけています。

注8:猪飼周平さん(一橋大学教員)の論攷「原発震災に対する支援とは何か―福島第一原発事故から10ヶ月
後の現状の整理」における問題提起に共感する(弊ブログ 2012年2月3日)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-391.html
注9:いわゆる「避難」論者と震災がれきの「自治体受け入れ反対」論者の他者のいない場所での正義感につい
て(2)(弊ブログ 2012年2月9日)。同上。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-393.html
注10:原発「リスク厨」とは月とスッポンの猪飼周平氏の論考(きまぐれな日々 
2012年2月6日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1240.html

(2)に続く。



東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/

-----Original Message----- 
From: hayariki.net
Sent: Thursday, February 09, 2012 11:25 PM
To: 市民のML
Subject: [CML 014893] ラブレター記事の人権感覚

かつてラブレター記事というものが投稿された。この記事には投稿者の人権感覚を強く疑わせる内容が含まれている。残念なことにラブレター記事の問題性は問われずに流されてしまった。福島第一原発事故の放射能汚染への対応策として除染と避難の何れを重視するかで大きな議論がなされているが、一方の論者の特異性を認識する上でラブレター記事の問題を掘り起こす価値はある。

ラブレター記事は投稿者が高く評価する記事を書いた新聞記者を応援する趣旨である。それが果たして優れた記事であるかは別問題である。国民の期待を背負った鳩山由紀夫新首相(当時)への批判的な記事を評価している。それが革新政党への票を奪う危険がある民主党を貶めようという類の政治というものに対する根底的な認識不足が為せる業ではないか注意する必要がある。

しかし、優れたと考える記事を書いた記者を応援すること自体は結構なことである。市民よりも政府や企業の方を向きがちなマスメディアの中で市民派の目線で記事を書く記者を応援することは、国民目線を忘れがちな政権与党の中で国民生活を第一にしようと奮闘する議員を応援することと同じように価値がある。

問題は男性の投稿者が女性記者に送るラブレターという表題になっていることである。ファンレターならば理解できるが、ラブレター(恋文)と表現する動機は理解に苦しむ。記事本文を読めば投稿者に嫌らしい意図はないと好意的に解釈することは不可能ではない。それならば尚更、ラブレターという表現を使う必然性は存在しない。相手の立場からすれば迷惑であり、気持ち悪い。相手が異性だからラブレターにするというならば、ジェンダーに囚われたものになる。

しかも、ラブレターの受け手にはトランスジェンダーの方もいる。自己を女性と規定する人に男性がラブレターを書いて何が悪いかとの反論も考えられるが、興味本位的な性愛の話題に引き寄せられて考えられることがトランスジェンダーの方々にとって最も不愉快なことではないかと考える。あまりに不用意で場違いな印象を与えるラブレターという表現を使う人物が一方では人権や平等に問題意識が高く、他者の人権意識を批判していることに純粋に驚きを覚える。

このラブレター記事に対しては投稿直後に問題提起がなされたが、投稿者本人からも周囲からも反応はなく流されてしまった。理由が書かれていなかったために問題提起者の意図は分からないが、私は上記のような問題を認識した。

但し、当時は投稿者の形式論理の矛盾に関心を持っていた。差別表現について他者には発言者の主観的な意図ではなく、発言の社会的効果で評価すべきと説教する人物が、自己の発言は親しみを込めたもので差別意図はないと正当化する二重基準である。そのために内容に踏み込んで人権感覚を批判することは遠慮した。

その後も投稿者の背理は続いた。論理性を期待することが無意味に感じるほどである。 



・ある点では共産党を支持し、ある点では社民党を支持することを市民の立場で肯定しながら、ある点では民主党を支持する立場を認めない。

・福島からの避難を勧める主張を共感が得られないと批判する一方で、避難を強調して除染に否定的な立場を批判することは共感が得られなくても価値があると主張する。

・革新勢力や市民派からの新党設立を社民党や共産党の票の食い合いになると否定する一方で、「票の食い合い」という発想を政治意識として問題と批判する。

投稿者の投稿姿勢については周囲からも批判され、繰り返し大きな論争になった。批判意見には投稿者を揶揄・嘲笑する不真面目な雰囲気があったことは否めない。「不真面目な批判はけしからん」は一つの考えではある。しかし、その原因の一端には人権論を深める可能性があったラブレター記事への問題提起が流されたことにあったのではないかと自戒を込めて指摘する。
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