[CML 014893] ラブレター記事の人権感覚

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2012年 2月 9日 (木) 23:25:16 JST


かつてラブレター記事というものが投稿された。この記事には投稿者の人権感覚を強く疑わせる内容が含まれている。残念なことにラブレター記事の問題性は問われずに流されてしまった。福島第一原発事故の放射能汚染への対応策として除染と避難の何れを重視するかで大きな議論がなされているが、一方の論者の特異性を認識する上でラブレター記事の問題を掘り起こす価値はある。 

ラブレター記事は投稿者が高く評価する記事を書いた新聞記者を応援する趣旨である。それが果たして優れた記事であるかは別問題である。国民の期待を背負った鳩山由紀夫新首相(当時)への批判的な記事を評価している。それが革新政党への票を奪う危険がある民主党を貶めようという類の政治というものに対する根底的な認識不足が為せる業ではないか注意する必要がある。 

しかし、優れたと考える記事を書いた記者を応援すること自体は結構なことである。市民よりも政府や企業の方を向きがちなマスメディアの中で市民派の目線で記事を書く記者を応援することは、国民目線を忘れがちな政権与党の中で国民生活を第一にしようと奮闘する議員を応援することと同じように価値がある。 

問題は男性の投稿者が女性記者に送るラブレターという表題になっていることである。ファンレターならば理解できるが、ラブレター(恋文)と表現する動機は理解に苦しむ。記事本文を読めば投稿者に嫌らしい意図はないと好意的に解釈することは不可能ではない。それならば尚更、ラブレターという表現を使う必然性は存在しない。相手の立場からすれば迷惑であり、気持ち悪い。相手が異性だからラブレターにするというならば、ジェンダーに囚われたものになる。 

しかも、ラブレターの受け手にはトランスジェンダーの方もいる。自己を女性と規定する人に男性がラブレターを書いて何が悪いかとの反論も考えられるが、興味本位的な性愛の話題に引き寄せられて考えられることがトランスジェンダーの方々にとって最も不愉快なことではないかと考える。あまりに不用意で場違いな印象を与えるラブレターという表現を使う人物が一方では人権や平等に問題意識が高く、他者の人権意識を批判していることに純粋に驚きを覚える。 

このラブレター記事に対しては投稿直後に問題提起がなされたが、投稿者本人からも周囲からも反応はなく流されてしまった。理由が書かれていなかったために問題提起者の意図は分からないが、私は上記のような問題を認識した。 

但し、当時は投稿者の形式論理の矛盾に関心を持っていた。差別表現について他者には発言者の主観的な意図ではなく、発言の社会的効果で評価すべきと説教する人物が、自己の発言は親しみを込めたもので差別意図はないと正当化する二重基準である。そのために内容に踏み込んで人権感覚を批判することは遠慮した。 

その後も投稿者の背理は続いた。論理性を期待することが無意味に感じるほどである。 

・ある点では共産党を支持し、ある点では社民党を支持することを市民の立場で肯定しながら、ある点では民主党を支持する立場を認めない。 

・福島からの避難を勧める主張を共感が得られないと批判する一方で、避難を強調して除染に否定的な立場を批判することは共感が得られなくても価値があると主張する。 

・革新勢力や市民派からの新党設立を社民党や共産党の票の食い合いになると否定する一方で、「票の食い合い」という発想を政治意識として問題と批判する。 

投稿者の投稿姿勢については周囲からも批判され、繰り返し大きな論争になった。批判意見には投稿者を揶揄・嘲笑する不真面目な雰囲気があったことは否めない。「不真面目な批判はけしからん」は一つの考えではある。しかし、その原因の一端には人権論を深める可能性があったラブレター記事への問題提起が流されたことにあったのではないかと自戒を込めて指摘する。
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