[CML 014800] 土地への愛着は避難より除染の理由にならない

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2012年 2月 6日 (月) 00:16:10 JST


福島第一原発事故による放射能汚染への対策として避難よりも除染が強調される傾向がある。その根拠として「土地への愛着」が挙げられるが、これは理由にならない。 

放射能汚染によって避難すべき福島原発周辺地域住民に土地への愛着が強いか否かは社会学的な実証がなされた訳ではなく、直感や個人的体験で語られる傾向がある。震災前に福島県内の村が過疎で悩まされていなかったか、若者が仙台や関東地方に出る傾向がなかったのか、確認する必要がある。 

仮に福島原発周辺地域住民に土地への愛着が強いという分析がなされたとしても、それは原発事故後の放射能汚染下でも福島原発周辺地域を離れない人々の動機を説明するものに過ぎない。そこから「避難ではなく、除染を」という政策論を導き出すならば現状追認である。土地への愛着のために離れられないという事実があるならば、それが価値あることか、意味あることかを検討しなければならない。 

さらに福島原発周辺地域に土地への愛着という共同体意識があって、それが避難しない動機になっているならば一層、「避難の権利」を保障する必要が高くなる。何故ならば土地への愛着は社会学的な分析であって、個々人のレベルに還元すれば「避難したい」という少数意見も存在するためである。 

コミュニティーとして土地への愛着が強ければ強いほど避難を希望する少数者が意見を言うことは難しくなる。誰もが避難の権利を有しており、その行使を妨げないようにすることが大切になる。避難を呼びかける主張は福島の現実を無視した空論ではなく、現実を踏まえた人権保障の試みである。 

避難の権利という考え方はバランスがとれている。 

第一に権利と位置付けることで、行使するかしないかの選択を本人に委ねている。有無を言わさずに強権的に避難させる考えとは一線を画す。また、どうしても故郷に残りたいという人の自主性を否定するものではない。 

第二に社会権的な人権と位置づけている点である。福島にとどまっている多くの人々も可能ならば避難したいと考えている。生活の見通しもなく自主避難すれば、放射能よりも先に避難先の劣悪な環境で健康を害するという面も否定できない。 

現実に自主避難者が悪質なゼロゼロ物件業者の餌食になるというケースもある。ゼロゼロ物件被害は大きく報道され、社会問題と位置付けられたために、ゼロゼロ物件業者がターゲットとしていたフリーターらからは忌避されるようになった。しかし、東日本大震災や福島原発事故の避難需要で儲けているという悲しい現実がある。貧困ビジネスのターゲットは被災者にも向かっている。 

遠くから福島原発周辺の住民に「逃げろ、逃げろ」と呼びかけることには意味がある。呼びかけることしかできない人が呼びかけることは、その人にできることをする点で意味がある。中には放射能の害悪を楽観的に考えることで福島にとどまる住民もいる。人間には「大したことはない」と思いたい被害過小評価心理が働く(広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか』)。彼らに放射能の害や除染の無意味さをアピールすることは意味がある。 

一方で放射能の害は熟知しているが、避難のための経済的な後押しを求めている人がいることがいることも事実である。避難を呼びかけるだけでは、葛藤を抱えている彼らの助けとしては弱い。避難の権利を社会権的に保障することは実効的な対策になります。 

最後に社会運動において人権をベースとすることは、自己責任論などの切り捨て論に対する論理的な強みを発揮する。これについてはマンション建設運動に関して論じた(林田力「マンション建設反対運動は人権論で再構築を」PJニュース2011年6月17日)。 
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林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
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