[CML 014798] 避難と除染

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2012年 2月 5日 (日) 23:30:49 JST


福島第一原発事故では広範囲が放射能で汚染された。放射能汚染へのアプローチとして避難と除染がある。避難は人に対する対処である。除染は物や空間に対する対処である。両者は必然的に二項対立となる問題ではない。避難も除染も原発事故後に行わなければならない対策である。避難と除染はセットで考えるべきとの主張は理想論として正しい。 

しかし、避難と除染を二者択一で考えなければならない場面も存在する。何故ならば現実の政治の場ではリソースは有限だからである。避難も除染も容易にはできない難事業である。避難も除染もの「あれもこれも」ではなく、「あれか、これか」を迫られる。このために避難と除染で優先順位を付ける必要がある。 

さらに問題を複雑にする点として除染派の姿勢がある。ここでは避難を重視する人々を避難派、除染を重視する人々を除染派と呼ぶ。 

除染派には「除染するから避難は不要」との論理が見られる。このような主張が存在する限り、避難派としては除染の問題点を明らかにし、効果の薄さを指摘しなければならない。未だに放射能汚染下で生活する人が存在することが許せないという立場から、「あのような場所に住むことが信じられない」と警鐘を鳴らすことは非常に適切な発言になる。 

また、避難派を「脱原発原理主義」とラベリングする除染派もいる。これは決して他者の共感を得られる表現ではなく、正しくもない。福島第一原発から放出された放射性物質がどの程度人体に影響があるかについては様々な主張がある。しかし、放射能の害を過小評価していると見られている日本政府でさえも福島第一原発の半径20キロ圏内は有無を言わさず避難しなければならない地域と定めました。 

放射能汚染には個人の嗜好や土地への愛着は問題にならず、生命や健康のレベルから避難しなければならないレベルがある。避難を重視する人々は、そのレベルを政府の基準よりも厳格に考えているに過ぎない。原理主義でも何でもなく、放射線の健康への影響に対する見解の差異である。避難をオプションとして考えない方が放射能汚染対策の常識から逸脱している。 

本来は放射能汚染への問題意識があるという点で共通する避難派と除染派が対立することは望ましくない。最大の敵は避難も除染も不要という放射能無害派である。多くの場合、「避難はするまでもない」という点で除染派と放射能無害派は意識的にせよ無意識的にせよ共闘関係にある。故に避難派が除染派を批判する必要がある。 

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