[CML 014746] 市民と科学者の内部被曝問題研究会:記者会見記録(その2)

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2012年 2月 3日 (金) 20:10:46 JST


みなさまへ   (BCCにて)松元

市民と科学者の内部被曝問題研究会:記者会見記録(その2)をお届けします。

※【注:とくに松井英介氏、澤田昭二氏、矢ヶ崎克馬氏の発言の「要約」は、二度の記者会見の発言を整理したとはいえ、文責は紹介者松元にあることをお断りしておきます。会見者の発言の真偽は録画で確かめていただきたいと思います。また、肥田舜太郎氏、大石又七氏の発言は、石山奈緒による書き起こしを整理したものです。】

1、内部被曝は、なぜ危険か(松井英介氏)
2、内部被曝は、なぜ隠されてきたか(澤田昭二氏)
3、私たちの研究会のめざすこと(矢ヶ崎克馬氏)
4、政府への提言
(以上、(その1)で配信済み)
5、原爆被爆医師の証言(肥田舜太郎氏)
6、第五福竜丸被爆者の証言(大石又七氏)
7、質疑応答

■内部被曝研のホームページ
http://www.acsir.org/
■自由報道協会記者会見
http://www.ustream.tv/recorded/20030116
■日本記者クラブ記者会見
http://www.acsir.org/news.php?3


5、原爆被爆医師の証言
◆肥田舜太郎氏(ヒロシマの被爆医師、95歳)
(※‘本記者クラブの会見より)
肥田舜太郎という内科の医者です。私は1917年生まれですが、28歳の時に広島の広島陸軍病院で軍医として勤務をしていました。たまたま8月6日、前日から病院に泊まっていたのですが、一度だけ診たことのある農家の子どもが心臓弁膜症で発作を起こしたので来てほしいというので、午前2時ころ緊急往診に連れ出されました。当時将校は勤務のない夜間とか、命令がない時は自由ですから診療活動はできます。ただ報酬をもらってはいけない。そういうことで原爆の落ちた朝は、広島から6キロ離れた戸坂(ヘサカ)という村へ行っていて病院を離れたために助かりました。その病院は爆心地から350メートルという近さで、瞬間に無くなって、中にいた597名は3名を残して即死をしたようです。

村で自分が被曝をした時の話をすると時間がありませんので…。その日の午後から、広島から逃げてきた大量の被爆者が小さな村にどんどんどんどん入り込んで来るのです。村に入ってきても、村の家はやはり爆風でほとんど壊されて入る家もない。たくさん収容できるはずの小学校も二棟の校舎が全壊してどこにも入る所がない。逃げてきた人たちは全身火傷。ずるずるに焼けた大変な重傷です。結局、道路と学校の校庭、それから村の空き地、そういう地べたへみんな寝っ転がったんですね。

そういう人たちを我々が治療しなくちゃどうしてもならなくなった。その日の夕方、たまたま偶然4人の軍医が集まりました。その夜は、村の記録によると6千名の患者が村に入ったのですね。道具は何にもない薬は何にもないという状態で、もうみるみるみんな死んでいくという中に我々医者は立たされました。

その日から3日間、結局、薬もなし何もなしという状態で我々はただ手をこまねいて死んでいくのを見る、と言われても仕方のないような状態でした。4日目の朝、それまで死んだ人は全部火傷で死んだと、我々は常識的に思っていました。

ところが4日目の朝から火傷でない状態で死ぬ人が現れた。村の記録によると、その日の朝は2万7千名という被爆者が入ったのです。診る我々の方は、前の晩に九州と四国から軍の命令で応援が来て医者の数が確か27名になったと思うのですが、相手は2万7千名ですからどうしようもないのです。

どういう症状が出始めたかというと、まず40度の熱が出る。40度という熱は内科の医者でも、あまり見たことがない。マラリアで死ぬ時と肺炎の末期とチフスの時に出るだけですね。それで、なぜこんな高熱が出るのかと飛んで行って診ると、まず目と鼻と口から血が出ます。鼻や口から血が出るのは見たことありますが、目から出る血というのは見たことがないのです。目のあかんベーしたここから血が出るっていうのはいままで見たことがない。

そのうちに、熱がありますから扁桃腺を診るのです。扁桃腺が腫れれば高い熱が出ますから、そう思って非常に苦労して口の中を診ますと、顔を持っていけないほど臭いんですね。たんに口臭があるという臭いではなくて、腐敗している臭いなんです。人間がまだ生きているのに、どうして口の中が腐るのかが解らない。

そのうちに、まだ火傷をしていない、きれいな肌が残っている人がいます。そこへ紫色の斑点が出る。ちょうど鉛筆のお尻に紫のインクをつけて、こうやってぽんぽんぽんとやると斑点が出る。これも何で出るのかが解らない。

最後にこれも不思議ですが、むしろの上に寝ている患者が、もうあと数時間しか生きていないという、そういう人間が何気なく自分の頭にこう手をやるんですね。そうすると手のひらの触った毛がすーっと取れるのです。脱毛、脱毛ってよく被曝者のことを書いてありますが、ふつうの脱毛とは違うのです。触ると触った手にバサッと取れる。これは僕らしか見たことがない。その場でしか、世界中どこを見てもこれはありません。あの時だけだったのです。

それは後でわかったのですが、10年、20年経ってなぜそういうことが起こるかというのが、アメリカから伝わってきました。毛の根元というのは毛根細胞といいますね。こうやってぷつんと抜くと、白い肉が付いています。この肉が毛根細胞といいます。これが地肌にくっ付いているのです。この細胞は人間の細胞の中で一番勢いのいい、生命力のある、どんどん伸びる、分裂するのですが、こういう細胞が一番先に放射線にやられるらしいのです。ピカッと爆発した相当強烈なのが頭にまず当たった。その放射線で毛根細胞が全部即死したのです。結局、地肌から離れた毛が毛穴に死んだまま突っ立っていたのですね。知らないから、患者が手をやるとすーっと取れる。これがあの時の脱毛なのです。

そういう見たことのない症状が出ると、だいたい1時間から2時間で全部死んでいくのです。30名、50名と地べたにかたまって寝ている。そういうところで1人死ぬと、僕らは呼ばれて死んだ人の所へ行くのです。するとその死んだ人の周りに寝ている患者が、ちょうど毛がバサッと抜けて死んで行くところにまた遭遇するわけです。僕らの経験でいうと、あのピカドンに遭った人はこういう症状で死ぬんだなぁというのが理屈じゃなく、多くの目撃で逆に教えられたのです。これが後から名付けられた急性放射能症、いわゆる原爆の放射線でやられた最初の急性障害症状です。2万7千人いた人たちが、どんどん、どんどん死んでいったのです。

その次に僕らがびっくりしたのは、本人が「軍医どの、わしゃピカに遭っとりまへんで…」と言うのがいるんですよ。「どうした?」と言ったら、「その日は広島にいなかった」といいます。6日の「2日後に、まだ帰って来ない自分の子どもがいるので、自分は広島へ帰って焼け跡を探して歩いた」、「だいだい二日くらい歩いたら、どうも体の調子がおかしくなって、診てもらおうと思ってここへ来た」と言うのです。でもいくら診てもね、僕らの持っている医学の知識では具合が悪いところが見つからないのです。当時だからむずかしい検査なんて出来ません。でも常識的にこれはおかしい…と、そう言っているうちに変な症状が出て急に死んでしまうのです。この人はいったい何で死んだのか、ピカにも遭っていないのに、これは何だ?というのが自問の最初でした。

これが今言われる内部被曝です。当日広島にいなかったのに1週間、そうですね法律上では数日以内に入ったというのが被曝者と認められているのですが、この連中の中から僕らの見ていない病気がたくさん出てきた。つまり今は内部被曝という言葉がありますが、当時、僕らは入市(にゅうし)被曝と言っていました。当日は広島にいないのに、後から街へ入ってこうなってしまう。その原因が僕らにはまったく解らなかった。

その後30年間、そういう患者をずっと見続けて1975年にアメリカへ行きました。第一回の原水爆禁止、核実験禁止の国民代表団というのが国連へ要請に行ったのです。その中に入れてもらって国連へ行った時、アメリカの医者でたった一人、内部被曝ばかりを見て、ちゃんと理論を作って政府に対決している博士がいたんですね。ピッツバーグ大学のアーネスト・スターングラスという医者で、僕よりまだ二つぐらい年下ですがまだ生きています。

その彼が「おまえは何で来たか」って言うから、僕は「広島から来た。原爆に遭わなかった人間が解らない症状で死んでいく。これを教えてもらいたい。」と聞いたら、「ああ、おまえの見たそれはね、放射線が体の中に入った時に起こる病気だ。今アメリカにたくさんいる」「核実験で被曝した兵隊がみんなそれで、いま全国にいる」と彼は言うのです。「俺はそのことを本に書いたからお前にやる」と本をいただいて、初めて低線量内部被曝の理屈を教わったのです。

帰国してそれを翻訳しても、お金もありませんし、出版してくれる所もない。でもその後、時事新報社が本に出してくれました。これが日本で出た内部被曝低線量放射線の初めての本ですが、ほとんどまだ誰も読んでいないと思います。

まあそういう縁で私はいろんなことをやってきたのですが、いま一番言いたいことは、「広島長崎を経験した日本が、どうして53基もの原発を日本に作ったのか」ということです。これは外国の人の疑問です。「日本はなんでそんなことをしたのか?」

原因はひとつです。敗戦直後、9月1日にダグラス・マッカーサーが厚木の飛行場へ着きました。最初に占領方針を発表しました。彼がずるいのは文書で出さずに、全部口頭で言ったのです。政府の要員が通訳と速記者を連れてそれを全部筆記して、当時の厚生大臣が広島にいる僕らの所へ通知してきたのです。

それにはこう書いてありました。「原爆によって広島と長崎の市民、兵隊がたくさん被曝をした。中には死んだ者もたくさんおる。それから現在怪我をし病気をして寝ている者もおる。しかし彼らが今被っている被害はアメリカの軍の軍事機密である。これについては、本人は勿論、それを見た者も聞いた者も、絶対に口外してはならん。これに逆らう者は厳罰に処す」と。

それから、「日本の医師、医学者は当然こういう人間から診療を求められる。その場合は医者としての義務として、診療をしてもよろしい」。「ただその結果を詳細に書いたり、複数の医師で研究をしたり、論文で学会に出したり、日本の医学会が放射線の被害について研究や調査をすることは一切いけない」、「これに違反した者は厳罰に処す」と。

これがマッカーサーのやったことです。そういう指令が出たので、被曝者は全部黙りました。おっかないですからね。そしてまず、広島大学と長崎大学が黙まってしまった。そのあと大量の開業医の医者たちが黙ってしまった。患者が来て「先生、じつは私広島で…」と言いかけると、「あっ、それは私に言わんで下さい。私が聞いたことが分かると、GHQから睨まれます」。そういうかたちで被曝者は医師からも相手にされなくなった。なかには良心的に診た人もいますが、当時の医学では放射線の診断はまったく出来なかったのです。どこがどう悪いかまったく解らない。放射線医学など、当時はありません…今もありませんが。

ですから外国人が疑問に思うこと、「なぜ日本があの原爆の経験をしながら、政府も専門家も、なぜこんなにたくさんの原発をつくったのか?」という根拠は、これしかないのです。占領軍が撤退して日本が独立しても安保条約を結ばされて、それがまったくそのまま、アメリカの核兵器に不利になることは一切やってはいけないという内規みたいなもので日本は縛られてきた、ということです。

だから福島でああいうことが起こっても、あの放射線被害について本当に心配している人間は日本にはいないのです。安全だ、安全だってことはみんな言います。どうしたらいいかというのは本人ができもしないこと、「遠くへ逃げろ」と「汚染してないものを選んで食べろ」と、みんなこの二つだけを言う。現地の人間で実際にそれをできる人は、福島県の人口の一割もいませんよ。もしみんなが移ったら、日本には行く所がありません。

そういう狭い国の中へあれだけの原発をつくるという大間違いを、日本の国民がやってきてしまった。それは放射線被害を何にも教えられていないからです。広島・長崎というと、「ああ、あのケロイドの火傷ですね」と目に見える被害しか解らない、本当の放射線被害は誰も知らないのです。放射線被害というものは、治療法もなければ防護の法もない、下手をすると人類が滅んでしまいかねない恐ろしい敵なのです。

ですから、これから日本国民はもう一度勉強し直して、そういうことをもっともっとみんなで勉強して、これを機会に放射線というものに対して縁を切る、そういう国にならなければならないと私はそう思っています。

いま私は方々に頼まれて講演に行きます。みんな「どうしたらいいかを教えろ」というのです。そんなこと僕に分かるわけはない。「でも先生は被曝者をたくさん診てきたから、中にきっといい知恵があるに違いない、教えてほしい」と質問するのです。その答えはひとつだけあります。私は日本被団協に縁を持つようになり組織の中のたった一人の医者ですから、被爆者に病気を発病させないで、最後もガンにならないで放射線に打ち克って長生きする方法を、みんなで勉強しようと30数年間ずっとやってきました。

みんなで到達したその結論は、要するに自分が最高の健康の状態を保ちながら、放射線による病気の発病を予防する。病気を起こさないで長生きするしか手がない。お医者さんへ行っても薬も何もないのですから。それで何をやったらいいかと、私はいろいろ考えました。

4億年前(ママ)に地球の上に人間は生まれたのだそうです。そのころ生まれた人間は自然の放射線と紫外線でどんどん殺されていた。でも、殺されても殺されても人間は生まれてきて、それと対決して免疫をつくって生き延びてきたのです。それには何千万年という時間がかかっているといいます。その長い時間の間、人間は太陽と一緒に起き、太陽と一緒に寝た。これしか手がなかった。明かりもなければ、熱もない、エネルギーも何にも持たない。それで生き延びてきたわけです。

ですからその時の状態、つまり太陽と一緒に起き、太陽と一緒に寝るというその生活が基本になって免疫をつくっている。我々の持っているそのわずかな免疫をすり減らさないためには、努めてその生活に近い生活が大事だろうと考えたのです。

ということで、朝寝、夜更かしは止める、早起き早寝で生活する。悪いと言われることは一切やらない。煙草はやめる、食べ過ぎも止す、30回噛めというなら30回噛みましょうと、何万人という被曝者が30年間一生懸命やってきたのです。だから今21万人という被爆者が歳をとっていますが、生き残っています。これは自然に生きてきたのではなくて、被爆者がみんな努力をして放射線と闘って長生きしてきたのです。これを私は今教えて歩いているのです。こんなことでも頼りにしてくれます。もう私しかそんな話をする人はいないのです。


被爆者は放射線と闘ってきた先輩です。自分で自分の命を守ってきたのです。医学が進歩して治療法が解るまでは、当分の間、被曝者が生きて闘ってきた歴史、それをみんなで勉強する必要がある。私たちは勉強し、日本政府は政府なりに国民の健康を守る、これ以上放射線の被害を増やさないことに努めるべきです。そう思って私は95歳になっても、全国を歩いてほとんど連日講演をして歩いています。これは私しかできないからやるしかしょうがない。明日死んでも、明後日死んでも、やっぱりやるべきだと思ってやっています。

でもたった一人の人間がやることには限度があります。いくらやっても、とても一億の人間には届きません。頼りになるのはみなさんです。マスコミの方々が放射線被害というものを本当に把握していただいて、政治的な立場ではなく、人間の命を守る立場からこれを国民に広げていただきたいと切に思っています。終ります。

※肥田氏の自由報道協会の記者会見:内容は重複しますが掲載いたします。

肥田舜太郎と申します。
ヒロシマの原爆を担って当時から被爆者の診療をやってきた医師は、現在日本で生き残っているのは私一人になりました。実際に原爆を浴びた人間が、外部被爆、内部被曝を通じて、それをずっと診療して事実を見てきたという人間は私一人になったわけです。66年間ずっと被爆者と付き合ってきました。

被団協という団体で私はたった一人の医師ですから、日本全国の被爆者の相談を一手に引き受けてきました。私が現在まで顔を知っている被爆者で、聴診器をあて、相談をした人間は約、少なくとも6千人おります。その中には外部被爆を受けて、大変な思いをして今日まで生き延びてきた者もおりますし、内部被曝で、説明のできない非常に困難な症状を持ちながら、世間からは被爆者として認められず、社会から差別を受け、一人前の人間として生きて行けなくなった患者さんをたくさん見てきました。

最近外国の人から、「広島と長崎の経験をした日本が、こんなに地震の多い国で、どうして53基もの原発を作ったのか?そんなことがどうして起こるのか?」という質問がたくさんあります。またTVでも専門家の方々がそういうお話をされます。これは事実です。

しかし、なぜそうなったのかということを話す人は誰もおりません。私は原爆被爆当時からずっと見てきましたが、その原因はたった一つしかない。占領したアメリカ軍が被爆者の病気すらもアメリカの軍事機密という声明を出して、被爆者に一切被害を喋ってはいかん、書いてもいかん、また医師はその職業柄、被爆者がくれば診療はしてもいいが、その結果を書き残したり、それを論文にして論議をしたり、日本の医学会が放射線のことを研究することを一切禁ずる。これに反する者は占領軍として厳罰に処す、という声明を発表して以来、被爆者は沈黙を守り、医師は自分の診察した症状を記録もしなくなった。ですから、当時の被爆者が戦後ずっと経験してきた放射線被害の実状は、どこにも正確に記録されていないのです。今の政府も、今のお医者さんも誰もその当時のことを正確に学ぶ資料が存在していないのです。

私は30カ国くらい歩いて、向こうの人の医師や学者に内部被曝のことを話してきました。すると、「そんな大事なことをあなたという医師が個人でなぜ話すのだ?政府の発表した資料はないのか?」と聞かれます。「まったくありません」と答えます。

なぜそんなことになったのか。私は、「アメリカの占領が7年間続き、その後を受けた日本の政府が安保条約という軍事条約を結んで、アメリカの核兵器に関することは一切記録をしないということになっているために出来ないのです」と応えます。

私が福島の事故の話を聞いた時、一番最初に思ったのは、これは大変なことになったなと、あそこの子どもも親も、あそこで東電の放射能の影響を受けた人は、放射線そのものが広島、長崎で使われたウラニウムとプルトニウムを混ぜ合わせたそういう放射線ですから、あそこの人たちに将来広島と長崎の被爆者の経験したことがそのまま起こってくると考える方が常識なのです。

いつごろ起こってくるのか。広島と長崎の経験では、被爆症状をたくさん診て理屈も解らなくてどうしようもなく困ったのは、ちょうど1年くらいたってからです。最初に現れだしたのは半年後でした。ですからおそらく今年の3月頃から彼らの中に、医師が診ても診断のつかない非常に不思議な症状でいろいろ苦しむ人が出てくると思います。

残念ながら、現在の日本の医療界にはこの患者を診て、親切に相手ができる医師は一人もおりません。おそらく診ても「あなたは病気ではない」と言って放り出す。ちょうど広島と長崎の患者が、どのお医者さんにかかっても大学の医学部へ行っても、「あなたは病気ではない」と言って放り出されたように…。しかし症状をかかえた本人は、働くことが出来ない。ブラブラ病という名前で社会から抹殺されていきました。これと同じ事が起こるのではないかというのが、私の心配です。

日本は上から下まで、あの巨きな被害を受けた原爆の放射線被害について、全くの無知、何にも知らない。今日、広島・長崎の原爆で被害があったことは誰でも知っているでしょうが、あのキノコ雲の下で人間がどのように殺され、また内部被曝で体の中に放射線を取り入れた者が、その後66年間どんな苦しい生活をしてきたか、このことを誰も知りません。

これは全部アメリカの責任だと、私は思っています。私は当時からアメリカの憲兵や日本の警察に追い回されながら、広島の現地で寝ている被爆者を助けてきました。私ははっきり申し上げて、別にアメリカが憎く、アメリカの国民を憎いとは思っていません。しかし、あの爆弾を作り、あの爆弾で最初に殺人を考えた、この連中は許すことができない。

日本は福島の原発だけで終わるわけがない。必ず事故が起こってきます。だからもうあと二つ三つ事故が起これば、日本はおそらく滅亡するでしょう。そういう非常に危険な状態であるということを、そして未来の犠牲者を誰一人考えないで、のんきにマスコミに出てきて「大丈夫ですよ」なんて言っている専門家というものを、私は本当に軽蔑しています。どうかマスコミのみなさんは、放射線の被害というのが下手をすれば人類が生き延びることのできない大変な代物だということを腹の底にもって、どんな小さな情報でも大事に扱って行っていただきたいとお願いして、私の話を終わります。


6、第五福竜丸被爆者の証言
◆大石又七氏(元第五福竜丸乗組員)
私はみなさんとは全く違う素人で、医学も科学も知識はありません。ただあの体験と経過をお伝えしたいと思います。私たちの仲間は、23人中14人がすでに亡くなっています。

福島の事故が起こって、TVの前で学者が次々とお話をしていました。私たちが事件に遭遇した時と同じ事を言っている。半世紀以上も経っているのに、全然進歩していないということを感じて今日まできました。

なぜそういうことが起こっているのかというと、結局、この内部被曝にしても被爆にしても、政治がらみだということなんですね。政治が非常に背後から圧力をかけています。そのため当時は、お医者さんが勉強したくてもさせないようにしていました。当時は敗戦国ですから、アメリカの圧力が非常に強くて、日本の政府は何も言えなかった。資料でそのあたりの様子が全部出てきています。そういう中で、この内部被曝、放射線というものの理解が非常に遅れてきたのだと思います。今始まったばかりだなと、私は感じています。

細かい数字的なこと、学問的なことは、私は何も知らないので言えませんが、ただ一つどうしてもお願いしたいことがあります。

この日本に原発を導入した人たち、その人たちの責任はみなさん問わないけど、このままでいいんでしょうか。原発はない方がいいということは、おそらく日本全員、日本全国の人たちの願いです。それなのに、当時からきちっと調べないまま、利益のため、いい所を取るために導入してきたのではないですか。そのもくろみも、国のためとか国民のためではなくて、何か自分のためにやってきたというのが非常に色濃いという結果も出てきているようです。その人たちのきちっとした責任を追及しないから、現在の総理もまたその原発で金儲けをしようとしている。

日本が戦争で負けてから、アメリカの資本主義というものが非常に蔓延して来て、人間がみんな資本主義に傾いてしまって、日本人のものの考え方、心というものがどんどん失われて来ています。子どもが親を殺したり、親が子どもを殺したり、そんなことが当たり前に行なわれるという世の中に変わってしまいました。

やはりこれは、間違いを起こした者の責任というものを日本は追及して来ていませんね。戦争の時も全く同じです。これを正さない限り、また次出てくる総理大臣も同じ事を言うのではないのかと思っています。私の不満はそこだけです。専門的なことは先生方が研究していますので、そこで勉強させてもらって、私もこれから色々考えていきたいと思っています。以上です。

7、質疑応答
質問者(氏名不詳):被曝について議論が起こると、放射線の被害を否定的に見る人たちは、例えば、肥田先生は被爆したにもかかわらずあれだけ長生きしていらっしゃる、だから放射線はかえって健康のためになるんだという言い方をする方がいますね。僕自身も新聞記者をしておりました。同じ記者仲間に原子力工学を学んで新聞記者になった人間もいます。その人が、そのようなことを言うのです。これは僕にとってはとても納得できないことですが、今の取り上げ方からすると、例えば被曝量と被害の大きさをグラフでとっていくと、やはり直線で結べますね。だからやっぱり害があるという捉え方になるわけですが、おそらく被曝には個体差もあると思います。ですから我々が、被曝しても長生きしているじゃないかという見解を覆すために、体内のどこにどれだけの被害があるかほらご覧なさい、ちゃんと因果関係があるでしょうというデータを示してもらいたいと思うのですが、こういうことは無理なことなんでしょうか。

肥田:今日の医学では、どんなに濃厚な被曝をしても、あるいは今すぐ死んで行くような、例えばあの第五福竜丸で亡くなった久保山愛彦さんは東大でずっと検査をしていました。どこにどういう被害があるかを調べたのですが、全然わからないですね。

今日の医学の成り立ちそのものが細胞単位の大きさの生物しか解らないのです。放射線被害というのは細胞を構成している分子、私の聞いたのでは1ミリメートルの60億分の1という直径の小さな存在同士の変化です。これはもうどんな手段をもっても、今の医学では触ることも想像することもできないのです。

最近はどんどん学問が進歩して多少は解り始めましたが、それでも、いま内部被曝している人を診察したり血液を採ってすぐわかる方法はないのですね。だから原子力を使う側は、証拠がないのだから俺は知らんよという根拠になっているのです。

情けないながら私はたまたま95歳まで生きたものだから、「あいつはあんなこと言っているけれど本当は放射線はほんのわずか入ると役に立つんだよ」という側が、これを一生懸命利用します。でもなんと言おうと、やっぱり事実は事実だし言ってくるのはしょうがない。ですから甘んじて受けながら今日までやってきました。私が一番望むのは一日も早く医学が進歩して、この水準で被曝すると放射線被害を、ほれご覧、ここでこういうふうにあるよ、死んだ人の証拠もここにあるよ、ということができる世の中に一日も早くしてなってほしいと思っています。

澤田:人間の細胞は60兆個くらいあると言われています。1ミリシーベルトと浴びますと、だいたい60兆個の細胞それぞれに対して500カ所くらいの電離作用を受けるわけです。しかし、人間の細胞の中の分子は修復機能を持っているんですね。DNAは二重螺旋になっていますから、どこが切れても元の通りにするとか、そういう優れた機能、地球上の生命はほとんどがそういう二重螺旋構造を持ったDNAを持っています。ですから今生き残っているのだと思うのですが、そういう修復機能を持っているわけです。

しかし1ミリシーベルトを浴びると、だいたい1個の細胞に1カ所くらいは誤った修復をするとか、修復できないことが起こるということがあります。それだけではさまざまな障害は起こらないのですが、しかし100ミリシーベルト浴びますと、細胞の中の100カ所くらいに誤った修復が起こりますので、しだいにさまざまな症状が起こり細胞が死に始めるわけです。500ミリシーベルトくらい浴びますと、そういう細胞がたくさんできる、つまり急性症状が発症し始めます。

私のこの図の中で、上の一ページ目の上の右側の図、赤いカーブがありますが、これが脱毛の発症率を示しているわけです。このように直線で描いていて、1シーベルト浴びると、ほぼ1パーセントくらい発症しますが、3シーベルトくらい浴びると50パーセント以上が発症する。そして5シーベルトくらい浴びると、ほとんど100パーセント発症するというふうに、個人差が非常に大きいわけです。

私自身も3シーベルトくらい浴びているのではないかと自分で計算していますが、ご覧のようにすごく健康です。というように、僕は発症しませんでしたが急性症状を一旦発症した人も、その後修復すればそれはそれで終わりなのです。あと晩発性の障害があります。それがやはりまたすごく個人差があります。家系によって違うとか、癌を発症しやすいとか、さまざまなことで個人差があって、それも分布をしているわけです。

しかし、被曝したことによってどれだけ癌になるかというのは、直線であるということはほぼ解っています。国側は、100ミリシーベルト以下は解っていないと言いますが、じつはカナダでもう10ミリシーベルトくらいからの実験があって、直線で増えていくということがはっきり研究で解っています。ですからもっと低いところまで直線性があるのだと思いますが、直線のそれぞれの一点ごとにさらにこういう分布をしているのです。ということで個人差が非常に大きいということがあります。

さきほどのホルミシスですが、急性症状に近いさまざまなことが一旦起こるかも分からないのですが、しかし晩発性の癌は必ずそれに比例して起こることになるので、ホルミシスをあまり信頼して放射線を浴びた方がいいということにはならないようにしてほしいと思います。

肥田:いまの個人差の問題ですが、私もたくさんの人を診てきました。同じ場所で二人とも被曝をして、片方は三日後に死んだけれど、一方は何年経っても元気でいるのです。両方のお母さんが一緒に会うと、亡くなった方のお母さんが「お宅はいいわね」と嘆かれる。それで生き残った方のお母さんがとうとうそこに住めなくなりまして引っ越して行った。こういう例がたくさんあるのです。ですから同じ場所で被曝したのに、どうしてこっちが悪くなって、こっちは元気なんだというのはたくさんあります。つまりその人の体の中にある条件と放射線のぶつかった度合いで発病していくのです。だから一人一人皆違いますから、個人差があるというのは当たり前なんです。

松井:簡単なことですが短時間で申します。お手元のブックレットの69ページのところをご覧ください。ベラルーシのユーリ・バンタシェフスキーという病理学者が、子どもと大人の臓器の中に、セシウム137がどのように沈着していたかということを調べたものがあります。その結果、甲状腺のところにセシウム137がたくさん入っていますね。私たちも甲状腺というと、ヨード131という固定観念があったのですが、実際に子どもを調べてみると、この黒いバーが子どもですが、セシウムがこんなにもたくさん甲状腺に入っている。それから心筋にも結構入っています。

その前の68ページを見ていただくと、心臓病で亡くなる人がベラルーシでは結構多いですね。これは非常に貴重なデータです。こういうチェルノブイリの被害に遭ったベラルーシ、ウクライナなどのデータを、我々も全部吟味してみないといけないと思います。癌と先天障害以外の、いちがたとうれい(判読不明)のこともございますし、心臓病あるいは白内障、子どもの白内障が増えています。(癌だけではなく、こうした多様な疾病を引き起していると考えられます。)是非、こういうところにもご注目いただきたいと思います。

それからもう一点。ちょうど大石さんが来られました。19歳で船に乗られた大石さんは、第五福竜丸の乗組員の中で下から二番目に若かったのです。日本へ帰ってきてから、晩発障害で次から次に癌で亡くなる人が出てきました。大石さんも癌を背負ったのですが、大石さんは手術が成功して、生き残っていらっしゃるわけです。第五福竜丸の乗組員23人中、癌で亡くなった人が7割か6割くらいいるのです。癌を背負った人は7割くらい。癌で亡くなった人の平均が50歳すこしというところにあるわけです。非常に若年で亡くなっていっている。これは一つの典型的な内部被曝だと私は思うのです。ですから大石さんのご経験というのは非常に貴重ですので、時間があればぜひ聞いていただけたらありがたいと思います。

矢ヶ崎:短時間でお答えします。原爆症認定訴訟で訴訟をいたしましたオオエカミコさんっていう方がおります。この方はええ、原爆に遭ってから13日目で市内に入って、救援活動をした方ですが、ここでオオエさんと一緒に広島に入った方々の平均寿命が、62歳です。いま日本の女性の平均寿命は84歳です。それだけ寿命が短縮しているのです。そういう目で見ると、いま生き残っている方々でも母集団をどのようにとるかということで、生存率がすごく低い状態があります。

(このあと、上記の大石氏の話で質疑が終ります。)

(以上、「記者会見記録」終了。)




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