[CML 021868] 下地真樹阪南大学准教授ら3人の逮捕事件とがれき受け入れ問題の是非について ――ある震災がれき拡散反対論者への返信として(2)

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2012年 12月 31日 (月) 18:44:01 JST


2012年最後の大みそかの日に標記の記事をアップしました。

■下地真樹阪南大学准教授ら3人の逮捕事件とがれき受け入れ問題の是非について 
――ある震災がれき拡散反対論者への
返信として(2)(弊ブログ 2012.12.31)
http://mizukith.blog91.fc2.com/

下地真樹阪南大学准教授ら3人の逮捕事件に関して「薔薇、または陽だまりの猫」ブログ上に「mojimojiさん等の逮捕に対する
あるMLでの議論に関して(追記あり)」(2012-12-30 )という記事が掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/234346d3731e70ecd79e5ad695814531

「薔薇、または陽だまりの猫」の同記事は「mojimojiさん等の逮捕に対するあるMLでの議論」のうち特に大阪・竹林さんの論に着
目してその論を好意的、共感的に紹介しています。全文は上記に掲載されていますのでご参照ください。

しかし、私は、大阪・竹林さんの論には同意できる部分もありますが、「薔薇、または陽だまりの猫」氏と違って同氏の紹介してい
る大阪・竹林さんの論には被批判者の論を誤読、誤解して論じているところも多く、総体としては賛成できません。大阪・竹林さ
んの論の紹介だけでは(被批判者の論も要約的に紹介はしていますが)「あるMLでの議論」の総体を見誤る、あるいはこの件に
ついて十分な情報と知識を所有していない読者の目を見誤らせる恐れがあるのではないか。と、そのことを危惧します。

大阪・竹林さんから批判されている被批判者の論の中には「下地真樹阪南大学准教授ら3人の逮捕事件」をどのように見るか。
また、「震災がれき拡散反対」運動を脱原発派市民としてどのように評価するべきかという点について具体的で重要な指摘があ
るように思います。大阪・竹林さんの論の紹介だけでは被批判者のこの具体的で重要な指摘が見落とされてしまいます。非公開
のあるメーリングリスト上の議論ではありますが、大阪・竹林さんの議論が公開されている以上、その被批判者の重要な指摘を
含む反論もあわせて公開される必要があるだろう、と私は考えます。被批判者の氏名を匿名にした上で私の責任でその被批判
者の議論も以下紹介させていただこうと思います。

「薔薇、または陽だまりの猫」の中で紹介されている竹林氏の記事中に「だのに、なぜ、このMLでは、大阪駅構内での下地さん
たちの動きを詮索することに話が集中するのでしょう」というくだり(批判)がありますが、この批判は「大阪駅構内での下地さん
たちの動き」は枝葉末節に属することで脱原発運動の本質ではない、という批判も含まれているように思います。しかし、そうで
はない。脱原発運動を真に市民的な運動に発展させていくためにも私は下地(mojimoji)氏たちの市民運動、脱原発運動として
逸脱した行為の指摘はきわめて重要な課題というべきであり、本質的でもある指摘というべきだろうと思っています。

ある震災がれき拡散反対論者への返信として無断転載であることを重々お詫びしつつあえて(2)を起こすしだいです。以下、
「薔薇、または陽だまりの猫」で紹介する<「監視カメラ」でmojimojiさん等の行動を確認して判断を>云々という記事への反論
にもなっているでしょう。

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> どうしてこういう発想になるのかわかりません。みなさんは、(運動体内部でも)参加者がみな検事か公安にでもなって監視カメ
> ラの映像を前提にして、「この運動のこのやり方はまずかった」「これはこんなふうに見えるのか。じゃあいいよ」などと議論すれ
> ばいいとでもおっしゃるのでしょうか。

Aさんも説明されていましたが、そのような主張をした覚えは全くございません。

> で、もし映像によっては「これは不当な逮捕ではなかった」という結論もありうるのでしょうか。

ええ、事実次第ではそういう結論あり得ると思っています。
例えば、此花区でのがれき説明会で4名が逮捕された際に、不当逮捕だからと、救援やカンパの呼びかけがこのMLでもなされま
した。

しかし、一般人も多数利用し、これから説明会に多くの市民が来場するであろう、また2階には図書館もあり一般市民が利用して
いるであろう区民センター構内において、トラメガ、太鼓、笛などで大音響で騒ぎ続け、当然職員に退出を求められるがそれを無
視し、果てには警察が動員されて強制排除となり、それでも退出に抵抗して不退去罪で現行犯逮捕されるに至るという映像を見
て、これでは逮捕されても仕方がないと私には思えました。もし事実関係がこれとまるで異なるというなら、どうかご指摘ください。

不必要に職員や警察とぶつかり、まるで逮捕を自ら招いているように見えました。
残念ながら、そのような行動をされた方たちを「不当逮捕だから支援」という呼びかけに賛同できないと思いました。
それは、自分の価値観に照らしてそうした行為が認められないという側面もありますが、より大きいのは、そうした行為をした方を
支援する事が、市民にはその行為を支持するように映ってしまうという恐れからです。 


そして、脱原発運動している人たちは、こんな非常識な行動をするのかと思われる事が大変危惧されました。
ネット上でもそうした意見は見られます。

そんな前例がすでにありますから、今回もJR職員の退去指示を無視して同様の騒ぎを駅構内でしていたら?と、懸念をしました。
警察発表もそのような内容でしたから。
仮にそうであったなら、こうした行動を「表現の自由への介入である不当な逮捕」、「表現の自由を守れ」と支援する事は、市民的
信頼を失うと恐れました。
逮捕・拘留は行き過ぎとの結論は揺るがないとしても、キマリを無視して他の市民への迷惑をかけても反省しない=他の人権へ
の配慮を欠いた行動をしたのなら、「表現の自由を守れ」と、正当化することは、市民の支持を得る事は難しいと思われるからで
す。だからこそ、そうした事実があったのか、なかったのかの確認はどうしても必要であると考えたわけです。

基本的に、目的のための手段の選択は多種多様であっていいと私も思っています。
しかし、市民から嫌悪感を抱かれるような手段を使うのは目的達成を遠ざけるだけですし、仲間にも迷惑を掛けてしまいます。
長年運動をやってこられた方なら、そうした過去の事例を沢山ご存知のはずだろうと思います。
もっとも、下地さんらの運動の目的を自分はよく理解出来ませんので、共通の目的をお持ちなのかすら不確かではありますが。。。

> みなさんがおっしゃるのは、そうじゃなくて当事者以外もみんな検証する必要がある、そうしないと救援運動は開始できない、と
> いうことですね。

人権侵害や不当性を認定するには、事実関係の確認がまず必須ではないでしょうか?
もちろん、事実関係は最初から全部分かるわけじゃないから、その時点の範囲で判断するしか方法はありませんが、それを全く
せずに支援を決めるなんてありえないと思うんですが?
また後から、当初の事実関係に齟齬があると分かった際には、その時点で見直すのだろうと思いますが、違うのですか?

> <誰に勝つため>ですか?

市民にソッポを向かれないためです。
例えば区民センターでの大迷惑行為を支援する事は、市民からは、その支援者も含めてソッポを向かれます。
好きな人たちだけでやってるサークル活動なら構わないのでしょうが、一般市民をどれだけ多く巻き込むかを課題にした運動に
とっては、そのマイナスイメージは大打撃となりかねません。

そうした運動では、「どれだけ多くの市民の支持や参画が得られるかどうか?」が方法論選択の第一の判断基準であるべきで、
何番目かではダメだと思っています。

金曜行動でも、リーダーの皆さんはそうした視点を大事にされているとのご報告がありました。
団体旗も、そうした基準で判断すればこそ、一般参加者の参加ハードルを上げる事のないよう、多くの団体の方たちは自ら自粛
されているのでしょう。素晴らしい事です。
そうした緻密なケアを積み重ねられたからこそ、これまで政治運動とは無縁だった一般市民が多く参加する運動を作れたのでし
ょうね。
池田さんやケニーさんからご紹介のあった、積み木を慎重に積み上げるようにして運動を大きくしていったその努力は、本当に
すばらしいなぁと思います。

「9条の会」も、来年は正念場を迎えるであろう憲法改正阻止の運動では、見習わなければならないと感じています。

一方、下地さんも関わったらしい「葬列デモ」は醜悪でした。
http://togetter.com/li/205615
テント村には橋下氏の踏み絵があるとか、関電前では社員に暴言を吐いているとかも知られています。

こうした行動は市民からはドン引きされるでしょう。
この方たちの運動の目的は、市民の支持を広げることにはないらしいと思わざるをえません。

> そうじゃなくて、難があっても果敢に闘っている人たちに対する救援運動はやはり実行されなければならないのです。

私はそう単純には言えないと思っています。
全ては程度問題なんですが、既に述べたように、明らかに市民から共感を得られない行動への支援は、支援側もが市民から同
列視されるリスクがあります。市民的感覚から、あまりにも乖離した行動にはあえて支援しない判断も必要だと自分は考えます。
そして、その程度を超えていたのか?いなかったのか?の判断は個々人がの自らの価値観ですれば良いと思いますが、事実
関係が何も提示されていなければそれも不可能です。

> 岡林さんや大西さんたちがおっしゃるのは、民衆の内部から闘う者を<審査する>手法? 制度? 慣習?をつくれということ
ですね。

実際にどんな行為だったのかの事実確認が何もない状態では、軽々にその行為者を支援は出来ない。
だから、可能な限りの事実関係を確認したい。
それが、どうしてそういう理解になってしまうのでしょうか?

> ちなみに、私は、監視カメラの映像が100%「客観的証拠」「真実」たりうるとも思いません。

これもそんな事は言っておりませんよね?
事実関係の確認のために映像の提供を求めたりも私はしていませんしね。

以上、ご参考まで。
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東本高志@大分
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