[CML 019435] 孫崎享『戦後史の正体』をオーソドックスに読み解くひとつの書評――「過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む」

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2012年 8月 23日 (木) 20:39:48 JST


主情的な孫崎享『戦後史の正体』評価が多い中で同書をオーソドックスに、あるいはスタンダードに読み解いているひとつの書評が
あります。といっても、私はこれがふつうの「読み」というものだろう、と思っているのですが、あまりに主情的な批評が多い。

ご紹介させていただこうと思います。

同書評は孫崎享『戦後史の正体』の論の非論理、論理の不整合のゆえんを見事に言い当てています。一読に値すると思います。

■過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む」(Valdegamas侯日常 
2012-08-11)
http://d.hatena.ne.jp/Donoso/20120811/1344673761

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感心できない本である。

本書出版の動機は、著者が出版社から「高校生でも読めるような冷戦後の日米関係」を書くように希望され、構想を考えるうち、
冷戦後に限らず、戦後の日米関係の通史として描くとを決めたそうである。とはいえ、本書は日米関係史としてははなはだ中途半
端なものである。その内容からして、日米関係というファクターを要因を重視した、戦後史(つまりタイトルどおり)とする方が妥当だ
ろう。

本書はまず細部の不用意さが目を引くが、本書のような本はまずその示すアウトラインについて批判的検討をするべきだろう。
本書の概略をまとめたうえで、アウトラインの検討を行ないたい。

本書の概要

著者は戦後日本の外交は、常に存在する強力な米国の圧力の中で、どのような選択をしたかで語ることができるとする(p.6)。
そして終戦以来続くその選択の軸は「対米追随路線」と「自主路線」の二つである。

「自主路線」は「日本には独自の価値があり、米国と日本が不一致の局面では自らの価値を追求する」路線である。「対米追随
路線」とは、「強い米国に抵抗することはやめ、米国の方向性に従いつつ、その渦中で利益を得る」路線であり、著者は前者の
「自主路線」の立場をとると明言している(vii頁)。

また「自主路線」を唱えた政治指導者たちは、何らかの形で米国政府(の謀略を担うCIA)や「対米追随路線」をよしとする日本国
内の検察特捜部(著者はその起源以来、この組織が米国と深い関係にあるとする)、マスコミ、外務省・防衛庁/防衛省といった
組織によって形成された「システム*1」によって排除されてきたと著者は主張する(pp.368-371)。その渦中で著者は米国の圧力や
裏工作といった「謀略」が駆使されてきたと推測する。(pp.8-13)

著者は本文で終戦から21世紀まで、彼のいう「自主」の政治家―重光葵、石橋湛山、芦田均、岸信介、鳩山一郎、佐藤栄作、田
中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護煕、鳩山由紀夫―と、「対米追随」の政治家―吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、
小泉純一郎…その他諸々(鈴木善幸、竹下登、橋本龍太郎、福田康夫といった一部の人々について、筆者は「一部抵抗派(特定
問題について米国の圧力に抵抗した人たち)」というカテゴリを「おわりに」で唐突に設けている)―の政治家たちが、米国の圧力に
いかに翻弄されたか、また「自主」の政治家がいかに排除されたのかを述べたうえで、下記のようなポイントを強調する。
1) 米国の対日政策はあくまで米国の国益を追及するものである
2) 米国の対日政策は、その環境変化によって変わる
3) 米国の圧力が大きかろうと、日本のゆずれない国益は主張するべきである
(p.366)

そしてカナダのピアソン政権のように、米国に容易に屈しない、毅然とした自主外交を行なうべきことを再度強調するのである。

本書の評価

本書は「対米自立」「対米追随」で一切の政治指導者を区分けし、さらに米国(および親米派「システム」)の意向「のみ」がその
生殺与奪を握ったという議論を展開した結果、少なからず困惑する議論を展開している。三点に整理して考えたい。

全てを日米関係で語ることは可能か

第一に、日米関係で語りえないであろう事例への強引な日米関係要因の発見・あてはめである。たとえば竹下政権を崩壊させ
たリクルート事件を、軍事的貢献に消極的な竹下政権に不満だった米国の(意を受けた検察の)謀略であることを示唆し(pp.304
-307)、福田康夫の辞任を、陸上自衛隊イラク増派、サブプライム危機の時期大きな問題となった米国金融機関ファニーメイへの
融資要求といった米国の圧力への「抗議の辞任だった」とする著者の議論(pp.350-554)は、どれだけの人間が説得されるだろう
か。日米関係という要因がその政権の存続に作用したであろう事例も後述のとおり苦しい解釈が目立つが、その前にこれらの無
理やりな事例があることは指摘したい。

米国の圧力とは何か

第二に、日本政治の生殺与奪を握る「米国の圧力」はどのような形で展開されるのかについての、議論の不十分さである。米
国の意向こそが日本の政治を左右した(左右できた)という著者の主張は、確かに占領期、および独立初期に適用されるならば
理解できる。なぜならばこの時代、米国は多くの対日政策におけるオプションを有していたからである。占領期はいわずもがな
であるし、独立初期は在日米軍経費の一部を日本が財政負担する「防衛分担金」の扱いなどを典型として、米国は日本政治に
影響を及ぼしえた。
米国が当初強硬な反対を行なったことで、一時は鳩山一郎内閣を崩壊寸前まで追い込んだ1956年度の防衛分担金削減交渉
で、
最終局面における米国の「譲歩」が米国の望む保守勢力結集への努力とのバーター取引であったことを提示する佐藤晋・中北
浩爾などの研究は、そのような米国の「圧力」の実在を大きく感じさせるだろう2 。
しかし、それ以降となると話は変わる。米国が日本に行使しうる「圧力」は、防衛分担金のように日本政治を内部から制度的に
操作しうるものではなく(たとえば先述の防衛分担金は、これは1952年の日米行政協定に基づくものであったため、1960年の日
米地位協定へ改定で消滅した)、日本の政治・経済システムに対する純然たる「外圧」へと変わっていく。はたして「外圧」はそこ
まで有効に機能しえたのだろうか。
もちろん著者は序章でも掲げた「謀略」の存在をここぞとばかりとりあげるのだろう。しかし著者のいう謀略の担い手とは、あの、
(著者も引用する)ティム・ワイナーが『CIA秘録』でその実績が余すところなく描かれている、謀略の成功経験に乏しいCIAである。
キューバの指導者カストロの暗殺計画を数十回と立案しては、一回も成功しなかったCIAである。政権の転覆工作では、イランの
モサデク、グアテマラのアルベンス、南ベトナムのゴ・ジン・ジェム、チリのアジェンデといった、途上国でのわずかな成功体験ば
かりしかもたないCIAである。そのCIAが著者の言うとおり、継続的に日本の政権を崩壊させてきたというのなら、これは間違いな
くCIA史を書き換える壮挙といえるだろうが、そのようなことがありえるのだろうか。 


そもそも本書の構成そのものが、このような「米国の圧力」を証明し論じることの困難さを示しているように思われる。本書は
「序章」を除く本文約340ページを、占領期(100ページ)、独立から安保改定まで(100ページ)、ポスト安保改定から冷戦終結期
(90ページ)、冷戦終結後(約50ページ)で分割している。六十数年という期間に比して、最初の十五年(つまり「米国の圧力」が
制度的にも鮮明に存在した時代)に割いたページ数が大きすぎることが見てとれよう。 


親米「システム」は論じられたか

著者のこれまでの議論が指摘するように、このような直接の「米国の圧力」を補完し、自発的にその意向を察知して行動する
ものが、日本国内に埋め込まれた官庁・マスコミ・財界の親米「システム」である。このような「システム」は確かに存在するのだ
ろう。しかし、この「システム」についての議論は曖昧な人脈論に留まっている。検察ではロッキード事件を担当した堀田力、陸
山会事件(西松建設事件)を担当した佐久間達哉が駐米大使館の勤務経験(一等書記官)があること(pp.85-86)、朝日新聞の
論説主幹を務めた笠信太郎が戦後CIA長官を務めるアレン・ダレスと終戦工作に関わった経験などを著者は指摘してはいるが
(pp.208-209)、それはただ「米国と接触があった」という指摘にとどまっている。米国と何らかの関わりがある人間は「システム」
に埋め込まれたとでも言いたげな著者の記述を見ると、外交官時代にハーバード大学研究員を経験しているのだから、著者も
また「システム」の一員なのではないかと邪推すらしてしまう。
私的な関心にひきつけていえば、評者は、「なぜ現代日本は(過剰に)親米的なのか」という著者と少なからず重なる問題意
識を有している。CIAの謀略はともかくとして、とにかく米国の意向に異常なほど注意を払う日本人が少なからず存在することは
事実であるし、その解明は評者自身の関心事である(評者はそれが「システム」といえるほど横の連携を持っているとは思わな
いし、ましてCIAと結託したり、疑獄事件を何度も起こすとも思わないが)。しかし先述のように、このような親米的な日本人の解
明を、「米国と何か直接的な関係があったか」で識別する著者の視角は貧弱なように思われる。彼らの動機について、より踏
み込んだ検討が不可欠であろうが、本書はそのような問いには答えていない。

米国はいつ、日本の政治指導者を失脚させるのか

第三に、日本における米国の利益を、米国にとっての日本がどのような存在であるか、という点である。「自主路線」が米国の
国益と真っ向勝負する路線であるとするならば、この点を明らかにすることは必要だろう。本書を読む限り、著者は様々な要素
のなかでも、「在日米軍の撤退(及び日米行政協定の改定)」と「中国との関係改善」が、米国の「虎の尾」であったと指摘してい
るように見える(pp.161-162、p.218、pp274-275)。そしてこれに反したがゆえに、岸信介(「在日米軍撤退」「行政協定改定」「中
国との関係改善」を追及)、田中角栄(「中国との関係改善」、資源外交を追求)、そして時期を経るが鳩山由紀夫(「在日米軍
撤退(県外移転)」「行政協定改定(地位協定見直し)」を追求)は引きずりおろされたのだという。しかし、これらは本当に米国の
「虎の尾」だったのであろうか。あるいは未来永劫そうであるのか。

「在日米軍の撤退」は虎の尾か

重要と思われるのは、これらの「虎の尾」が本書の中でバズワードと化していることだろう。著者は文中で「在日米軍の(全面)
撤退」を米国に求めた重光葵、同じく「可能な限りの在日米軍撤退」を求めた岸信介らと、鳩山由紀夫を並べて論じている。
特に重光の構想を説明したあと、「これにはみなさん、驚かれたのではないでしょうか。まだ本当に弱小国だった1955年の日
本が、米国に対して『12年以内の米軍完全撤退』を主張しているのです。普天間基地ひとつ動かすことさえ『非現実的だ』として
まったく検討しない現在の官僚や評論家たちは、こういう歴史を知っているのでしょうか」と鳩山政権の動きをあるべきものと賞
賛している(p.161)。
しかしながら、50年前と現在の在日米軍の状況は大きく異なる。1950年代末の在日米軍は日本本土だけで892,562千平方メ
ートルの土地を利用し、8万7千人が展開していた*3 。これと50年後、本土80,863千平方メートル・沖縄228,076平方メートル、5
万人が展開している*4現在の在日米軍は単純な比較が可能だろうか 。
50年代の広大な米軍基地は当時から米兵と日本国民とのトラブルの温床、日本のナショナリズムを刺激する日米間の難題
となっており、1955年4月に米国家安全保障会議で承認された対日政策文書NSC5516/1も、地上軍戦力については撤退を勧告
し、軍部も政治的理由から1957年6月にはこれを承認するに至っている*5 。
そのような「在日米軍の撤退」について一定のコンセンサスが日米間に存在していた時代と、鳩山由紀夫政権の時代に提起
されたそれを同一線上に語ることは、バズワード化の悪影響と思われてならない。「在日米軍の撤退」が岸の「虎の尾」だった
という説は、どうにも首肯しかねるのである*6 。

加えていうならば、著者が重視する「行政協定の改定」もバズワードと化している。著者は行政協定の全面的改定を志向して
いたと論じている(p.198)。確かに、岸は1983年の回顧録で「もともと全面改定派だった」という議論をしているが、彼自身が同
時代的にそのような動き、発言をした記録は見受けられない*7。せいぜい岸が望んでいた行政協定の改定とは部分改定であ
り、しかもそれは著者が重視する施設返還条件(第2条)の改定ではなく、予算編成に関して米国に拒否権を与えてしまう防衛
分担金条項の削除(第25条)であった*8 。全面改定は関してはむしろ著者の批判する(反岸派の倒閣運動としての)河野や池
田派がその推進力となったのである*9 。著者は岸が安保条約を改定し、続いて行政協定を改定する「二段階構想」を有して
いたと主張しているが、この主張に何らかの根拠はあるのだろうか(p.198)*10 。

「中国との関係改善」は虎の尾か

「中国との関係改善」もまた曖昧な概念である。岸は政経分離原則を掲げつつ、中国との貿易拡大を求め、米国に日本の
行動を説得した。これは事実である(pp.214-217)。著者はこれが在日米軍撤退と並ぶ「虎の尾」であったとする(p.218)。
しかし、第一に1950年代後半のチンコムによる対中貿易統制緩和問題(チャイナ・ディファレンシャル問題)において、米国
は(著者が好んで引用するシャラーも指摘するように)日本のみならず、西欧の主要同盟国とも対立していた。そしてアイゼ
ンハワー政権内部でも、アイゼンハワー個人に限らず、チャイナ・ディファレンシャルを維持することは困難であるという認識
が広がっていた。1957年5月にはイギリスは日本に先駆けて、統制離脱を宣言している*11。日本はこれに追随しただけで
あった 。
また、著者はアイゼンハワーがこれを認め、ダレスは反対していたかのように語っているが、この頃にはダレスも留保つき
ではあるが日本の中国貿易拡大を容認するまでに至っていたことを指摘すべきであろう*12 。
第二に、「政経分離」原則を掲げ、中国との民間貿易拡大を図ったのは岸だけではなかったことが指摘できる。著者が「対
米追随派」とする池田勇人である。
池田政権は岸政権と同じく「政経分離」を掲げながら(そして米国の反発を受けながら!)LT貿易協定の成立を支援してい
る*13。このような動きをとった池田はなぜ「自主路線」の指導者でないのか、なぜ米国に消されなかったのか。著者の見解を
聞きたいところである 。
また、田中角栄失脚と「中国との関係改善」も不明瞭である。著者の引用する、田中の急速な日中接近がキッシンジャー
を苛立たせたというエピソードはよく知られたものであるが、その怒りがなぜ、どのような理由で、田中を失脚させるまでに
至るのか、本書では不十分にして語られない*14。1976年に発表された田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」
を引用する形で、著者は身の程知らずの同盟国に制裁が加えられたという解釈を採用している。素朴な疑問であるが、
身の程知らずな同盟国がお気に召さないニクソンとキッシンジャーは、同じく彼らを苛出せた「東方外交」を推進したヴィリー・
ブラントを、なぜ抹殺しなかったのだろうか*15。

非常に長くなってしまったが、米国にとっての日本の価値を考えるとき、「在日米軍の撤退」と「中国との関係改善」を著者
が重視している以上、これらの点を精査せざるを得なかった。しかしながら、既に論じたとおり、「在日米軍の撤退」も「中国
との関係改善」もその内実には複雑なものがあるし、岸にとっても田中にとってもそれらが日米関係において実際は大きな
課題でなかった。鳩山政権については別途検討が必要であるとここでは留保したいが、少なくともこれらを一様に語ることが
できないことは間違いないだろう。

「戦後史の正体」は見えたか

つらつらと疑問点を連ねていったが、本書は「自主路線」「対米追随」という枠組みにすべてを押し込み、説明をしようとし
たことで無残な失敗をしているというのが実態の本である。既にまとめたとおり、,箸討眤佇憧愀犬里澆納叉咾語りえな
い政権への強引な解釈、不明瞭な「米国の圧力」、I毀昔討癖胴颪旅餘廖△覆鼻著者の枠組みはいたるところで破綻
を生じている(細かな事実理解の問題については機会があれば別項を設けたい)。著者の掲げる前提(米国は自国の戦略
のままに動く、日本も国益を守るべきだ)は正しいかもしれないが、その前提になっているのがこの「全能の米国」を相手取
った倒錯したマゾヒズムのような戦後史認識では救われない。

本書を一読したとき思い出したのは、森田朗がカレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』に言及した一文であ
る*16。日本異質論の一冊としてベストセラーとなった同書について、多くの批判がなされたのにもかかわらず、その主張が
支持されている理由を、森田は次のように論じている。

    というのは、本書における著者の論法は、著者が主張しようとすることをラフな枠組で示したあとは、その枠組につい
    て詳細な説明を加えその主張を論理的に証明していくのでなく、もっぱら具体的な事例を次々に挙げることによって
    読者を納得させてしまうというスタイルをとっているからである。いうなれば読者を事実で圧倒して説得する方法であ
    って、このようなスタイルで叙述されているかぎり、著者の主張が必ずしも一定の事実を根拠として展開されているわ
    けではないので、個々の事例について反証しても有効な反論にはならない。(略)事実はまだ多数見つけ出すことが
    できるからである。

『戦後史の正体』についてもこのような指摘は当てはまるであろう。「対米追随」「自主路線」というラフな枠組みを通じて、
ひたすらエピソードをちりばめることで本書は構成されている。評者は今回、森田の議論を意識して、個々の事実の指摘
というよりも、この枠組みやその前提となるものを検討してみた。
また、森田は同じ書評で、下記のような反論がこのような書籍に有効ではないかと指摘している。
このような論法の本書に対し、反論を試みることは容易ではないが、その一つの方法は、著者が豊富な例をあげて
主張しようとしたことについて、事例を一々吟味して反論を試みるのではなく、むしろ著者が幅広く論じているにも関
わらず、あえて論点として取り上げなかった点に注目してみることであろう。
このような指摘は極めて重要であろう。本書が何を語っていないのか―あまりに語っていないことが多すぎるように思わ
れるが―を合わせて検討することで、本当の「戦後史の正体」が明らかになるであろう。 



引用文献
・『一九五五年体制の成立』 中北浩爾/東京大学出版会 2002年
・『戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる政治・外交・軍事』 中島信吾/慶應義塾大学出版会 2006年
・『「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで』 マイケルシャラー・市川洋一 / 草思社 2004年
・『歴史としての日米安保条約――機密外交記録が明かす「密約」の虚実』 波多野澄雄/岩波書店 2010年
・『日米関係の構図―安保改定を検証する』  原彬久/日本放送出版協会(NHKブックス) 1991年
・『日米同盟の絆―安保条約と相互性の模索』 坂元一哉・有斐閣 2000年
・『日中国交正常化の政治史』 井上正也/名古屋大学出版会 2010年
・『日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』 服部龍二/中央公論新社(中公新書) 2011年

注
*1:特に著者はこのような表現を明確につかっているわけではないが、便宜的に使用する。

*2:佐藤晋「鳩山内閣と日米関係―防衛分担金削減問題と大蔵省」『法学政治学論究(慶應義塾大学)』33号
(1997年);中北浩爾『1955年体制の成立』(東京大学出版会、2002年)、第4章。

*3:『外交青書(1957年9月)』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-2-1-2.htm

*4:防衛省・自衛隊ホームページ「在日米軍施設・区域(専用施設)面積 (平成24年3月31日現在)」
http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/us_sisetsu/sennyousisetumennseki.html

*5:NSC 5516/1 “Policy toward Japan” (April 9, 1955)
http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1955-57v23p1/d28
;中島信吾『戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる政治・外交・軍事』(慶應義塾大学出版会、2006年)、
第5章。

*6:いささか意地の悪い指摘となるが、在日米軍の撤退があらゆる時期にゆずれない米国益の一線であるならば、米
軍の「常時駐留」の否定(つまり在日米軍撤退)を掲げ、「有事駐留」を政策方針とした民社党をCIAが資金援助してい
たことを、著者はどのように説明するのだろうか。民社党へのCIAの資金供与はマイケル・シャラー(市川洋一訳)『「日
米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで』(草思社、2004年)、第9章。 


*7:岸信介『岸信介回顧録―保守合同と安保改定』(広済堂出版、1983年)第9章。岸の回顧録は『岸信介回顧録』の
他に『岸信介の回想』『岸信介証言録』などもあるが、いずれも東南アジア外交の意図等、後付け的な説明(同時代的
に全く違うことを言っている、あるいはそもそもそういった発言がない)が多く、証言のみで何かを語るのはリスキーで
あると思われる。この辺は岸のソツのなさを感じなくもない。

*8:波多野澄雄『歴史としての日米安保条約―機密外交記録が明かす「密約」の虚実』(岩波書店、2010年)、第4章;
アメリカ局安全保障課長(東郷文彦)「日米相互協力及び安全保障条約交渉経緯(昭和35年6月)」『1960年1月の安
保条約改定時の核持込みに関する「密約」問題関連』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/taisho_bunsho.html

*9:原彬久『日米関係の構図―安保改定を検証する』(日本放送出版協会、1991年)、第5章;波多野『歴史としての日
米安保条約』第4章;前掲「日米相互協力及び安全保障条約交渉経緯」。

*10:岸の「二段階」構想としては、むしろ坂元一哉などが論じるゝ谿楕歉鯡鵑僚だ気砲茲詆塋薪関係の是正、
憲法改正と本格的な相互防衛条約への発展が指摘されるが、「二段階」として安保と行政協定が語られるのは前代
未聞であろう。坂元の指摘する「二段階」構想については、『日米同盟の絆―安保条約と相互性の模索』(有斐閣、
2000年)、第4章。

*11:シャラー『「日米関係」とは何だったのか』、第5章;高松基之「チャイナ・ディファレンシャル緩和問題をめぐっての
アイゼンハワー政権の対応」『国際政治』105号(1994年)。

*12:Memorandum of a Conversation Between Secretary of State Dulles and 
Prime Minister Kishi (June 20, 1957)
http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1955-57v23p1/d189

*13:池田政権期の日中関係と米国の反応については、井上正也『日中国交正常化の政治史』(名古屋大学出版会、
2010年)、第4章;シャラー『「日米関係」とは何だったのか』、第9章。

*14:一般的には、ニクソン政権は田中に不満を持ちながらも、それを追認するほかなかったと言われる。井上『日
中国交正常化の政治史』第8章; 服部龍二『日中国交正常化―田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、
2011年)、第4章。

*15:ニクソン政権のブラント観については、ヘンリー・キッシンジャー(岡崎久彦監訳)『外交(下)』(日本経済新聞
社、1994年)第29章。もっともギョーム事件がCIAの陰謀であったと著者がするならば、このような見解はつじつまが
あうだろう。

*16:森田朗「書評『日本/権力構造の謎』」『法学論集(千葉大学)』5巻2号(1991年) 

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東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/ 



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