[CML 019434] 日本の固有領土はどこ?

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2012年 8月 23日 (木) 17:44:35 JST


 半月城です。
 にわかに領土問題が騒がしくなりましたが、日本も韓国も「固有領土」というあい
まいな用語を乱用し、いたずらに自国民の民族感情を刺激して領土問題を硬直化させ
ているようです。
 外務省は竹島=独島を日本の固有領土と主張していますが、かつて島根県竹島問題
研究会では竹島=独島を日本の固有領土とはいわなかったし、島根県のパンフレット
『フォトしまね』161号「特集竹島」(2006年)も同様でした。
 その理由を同会の下條正男座長は「今日の竹島は(日露戦争以前は、筆者注)「無
主の地」となっていたのである。従って、島根県の中間報告(2006年、筆者注)では
「固有の領土」論を採っていない(注1)」と記しました。ただし、下條正男座長
は、最近では変説してこう記しました。
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 竹島を固有の領土と言えるのは日本のみである。「固有の領土」は北方領土のよう
に、これまでどこの国にも統治されたことのない領土を指し、「無主の地」であった
竹島は、少なくとも1905年から戦前まで日本が実効支配をしていた実態がある。日本
政府は、竹島を「日本の固有の領土」といえるが、日本の領土を侵略した韓国側に
は、独島を「固有の領土」とする資格はないのである(注2)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 下條座長の論法でいけば、韓国は戦前まで全領土が日本に支配されたので韓国には
固有領土がまったくないということになります。これは韓国どころか多くのアジア諸
国も同様です。あまりにも偏狭的な固有領土の定義で話になりません。
 ところが、島根県は下條座長の変説にしたがったのか、最近のパンフレットでは
「竹島は、歴史的事実に照らしても、国際法上も明らかに我が国固有領土です」と主
張するようになりました。そもそも、固有領土とは一体何でしょうか?
 固有領土の定義ですが、仮に固有領土を遠い昔からの自国の領土と定義すると、日
本では時代によって固有領土の範囲が異なるという不都合が生じます。具体的にいう
と、現在の外務省が考える固有領土と、明治時代のそれとが基本的に食い違っていま
す。明治時代について山辺健太郎は次のように記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 私はこの『固有の領土』ということをしらべているうちに、伊藤巳代治文書のある
ことを発見した。これは『帝国憲法』制定のときに、憲法の施行される法域について
調べたもので、この中に固有の領土の定義があった。
 これによると、帝国の『固有領土』は神話にあるとおり、本州、九州、四国、淡路
島である、と明白に書いてある。私はこのことを日本史家に話したところ、「それこ
そ明白な定義だ」といっていた。これをみても、竹島『固有領土』説の根拠のないこ
とがわかるだろう(注3)。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 伊藤己代治は1882(明治15)年に欧州憲法調査に随行し、帰国後は伊藤博文の秘書
官として井上毅・金子堅太郎と共に大日本帝国憲法起草に参画した人物です。ところ
で、ここでいう伊藤己代治文書とは具体的に何を指すのか、もしおわかりの方がおら
れたら教えてください。
 さて、伊藤は真剣に固有領土の定義を考えたようですが、彼が根拠にした神話とは
『古事記』をさします。それによると、国生みの神であるイザナキとイザナミが天の
御柱をまわってから合体して生んだ子が、淡路島、伊予(四国)、隠岐、筑紫島(九
州)、壱岐、対馬、佐渡島、秋津島(本州)であり、天皇が統治した領域とされま
す。これらは総称して大八洲(おおやしま)と呼ばれますが、これが明治時代に多く
の人が納得する日本の固有領土でした。
 そこには南千島・歯舞諸島はおろか、北海道すら含まれません。こうした神話と歴
史が渾然一体となった皇国史観は少なくとも終戦時まで続いたので、その時点まで大
八洲が日本の固有領土として受容されたと見られます。それが戦後になって固有領土
の範囲を広げたのでは、またくのご都合主義といえます。
 ちなみに、北方の歯舞諸島を日本の固有領土として衆議院が「歯舞諸島返還懇請に
関する決議」を可決したのが1951年3月31日でしたが、その決議に南千島は入ってい
ませんでした。こうした認識が吉田茂首相の同年のサンフランシスコ条約受諾演説に
取り入れられ、その後の日本を制約することになりました。
 一方、日本政府が竹島=独島を日本の固有領土といいだしたのは、1956年12月3日
に重光葵外相が衆議院にて「竹島が日本の固有の領土であるということは、これはも
う歴史上明らかなこと」と発言したのが最初のようです。
 これ以前に竹島=独島を国会で日本固有の領土と主張した国会議員はいなかった
し、新聞記事もなかったようです。日本で竹島=独島の固有領土説は1956年に作ら
れ、その後次第に浸透し、ここ数年で加速度的に勢いを増したようです。
 現在、外務省は竹島=独島が日本の固有領土である根拠として「日本は、鬱陵島に
渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有
権を確立しました」、「日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島
への渡航は禁止しませんでした」とパンフレット『竹島を理解するための十のポイン
ト』に記しました。
 ところが最近の研究によれば、実は江戸時代に幕府は欝陵島と竹島=独島が朝鮮領
であることを示す絵図「竹島方角図」などを天保竹島一件の時に作成していました
(注4)。したがって、「17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました」などとい
う外務省の主張が成り立たないことは明白であり、固有領土の主張は根拠がなくなり
ます。日本政府や島根県は「固有領土」なる用語を再検討し、江戸時代の歴史をきち
んと検証すべきではないでしょうか。

(注1)下條正男「竹島問題の本質がわかっていない日本政府」『正論』2006.7、pp.
276-7。
(注2)下條正男「実事求是 第22回」『竹島問題に関する調査研究報告書 平成21年
度』2011、pp.42-43)
(注3)山辺健太郎「竹島問題の歴史的考察」『コリア評論』7巻2号、1965、p.4。リ
ンクは下記です。
http://www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/yamabe1965.pdf
(注4)朴炳渉「江戸時代の竹島=独島での漁業と領有権問題」『北東アジア文化研
究』35号、2012、pp.27-30。リンクは下記です。
http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park-1203.pdf

  (半月城通信) http://www.han.org/a/half-moon/



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