[CML 019332] 放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(2)

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2012年 8月 18日 (土) 18:54:39 JST


みなさまへ     (BCCにて)松元

「安全神話」の学問的裏づけに邁進する被爆国日本の「研究者」たちに注目して
きた東京大学の島薗進氏が、あらたに、「放射線のリスク・コミュ ニケーショ
ンと合意形成はなぜうまくいかないのか?」という連載を開始しました。

放射線リスクの「「専門家」の役割と責任を明らかにしておきたい」という著者
の了解を得て、連載を紹介させていただきます。今回その(2)は、 「リスク
認識が劣った日本人という言説」です。

◆ブログ:島薗進・宗教学とその周辺 より
http://shimazono.spinavi.net/

=====以下、その(2)全文転載(改行をしています)=====

■放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?
(2) ――リスク認識が劣った日本人という言説

政府側に立つ放射線の健康影響の専門家は、100mSv以下では健康被害はほぼ無視
してよいという発言を繰り返したが、他方、100mSv以下で も健康被 害はあり、
そのためにできるだけ被曝線量を避けるべきだという科学的知見も多い。楽観論
の言説と慎重論の言説が分裂し、両者が向き合って討議する 場は設け られな
い。政府や福島県、あるいは大手メディアは楽観論の専門家に従うよう市民に強
いるばかりで、異論に応じる気配はない。しかしまったく無視し きること もで
きないので、言うことが首尾一貫しない。そのために多くの市民の信頼を失っ
た。結局、放射線の健康影響については何が真実か分からないで、混 乱が続い
ているというのが現状だ。だが、政府側の専門家たちは、それは市民が放射線の
リスクについてよく理解できないためだと、市民の側に非があるかのよ うに見
な すのを常とする。

 山下俊一氏が拠点リーダーを務めた長崎大学グローバルCOEプログラム「放
射線健康リスク制御国際戦略拠点」が2012年3月に刊行した『福島 原発事
故 ――内部被ばくの真実』の山下氏による「序」については(1)で紹介した
が、この書物の編者であり、放射線の健康影響の疫学的研究の専門家である 柴
田義貞 氏の「福島第一原発事故一周年に寄せて――あとがき」を見てみようp203-4。
 柴田氏は「福島第一原子力発電所の事故は日本人の精神構造を改めて明らかに
したと言えないでしょうか」と述べる。「第一は、歴史に学ぶ姿勢に欠 けると
い うことです。政府による避難区域の設定は、政府の関係者がチェルノブイリ
原発事故の教訓をほとんど学んでいなかったことを示しています。」情報が 提
示され なかったために、かえって線量の高い地域に移動してしまった人が多数
出た。これは政府批判だが、専門が異なる分野については暗に政府寄りの専門家
を批判し ている。専門家が批判されてはいるが、それは自分たちの領域ではな
い専門家のものであり、自分たちが批判されるのはとばっちりだとのニュアンス
だ。だが、 これについても柴田氏のような放射線の専門家も原発推進派の一翼
を担ってきたのであって、責任を分有していないだろうか。

 続いて柴田氏のはリスク論にふれる。「第二は、確率の考え、したがってリス
クの考えが、なかなか受け入れられないということです。黒か白か、安 全か危
険 か、と二者択一を迫る傾向にあります。放射能あるいは放射線に対する異常
なほどの恐怖心は科学的思考の欠如を示唆していますが、その遠因は確率の 考
えを受 容しないことにあります」。日本人は確率の考え方が受容できない特性
をもち、それは科学的志向の欠如を示すものだという。

 「第三は、第二と密接に関連しますが、数字には強いが、その出自に無頓着で
あるということです。換言すれば、統計リテラシーに欠けているという ことで
す」。同氏は食品安全委員会の食品健康影響評価書案へのパブコメ(パブリッ
ク・コメント)の評価がその証拠という。パブコメは8割が案を支持と述 べて
いる ことを問題にしているが、パブコメは母数がないわけだから、8割は支持
率でも何でもないのに、その数を重視しています。これが日本人が統計リテラ
シーに欠 ける証拠だという。

 「第四は、論理的思考が欠如しているということです。福島第一原子力発電所
の事故後に起こった健康事象の原因を事故による放射線被ばくに求める 例が
多々 みられますが、現時点ではすべてアリストテレスによって論理的に誤りと
されたポスト・ホック(前後即因果)な論法です。子どもの鼻血や紫斑を放射
線被ばく による急性症状と診断した医師がいることに唖然とします」。

 柴田氏はこうした事柄が「日本人の精神構造」の劣った点だとするのだが、納
得する人はどのぐらいいるだろうか。きわめて説得力の乏しい論述が重 ねられ
て いる、柴田氏を含む専門家仲間のリスク評価と一致しない考えをもつ人が多
いのに、異なるリスク評価をつきあわせて検討する場は設けられなかった。 し
かも専 門家の言うことがコロコロかわった。そのために専門家は市民の信頼を
失った。だが、この失敗の原因は主に市民の側にあったというのが、柴田氏の主
張であ る。

 次に、東大医学部の放射線科の准教授で福島原発事故後、放射線の健康影響に
ついてやや極端な楽観論を活発に発信してきた中川恵一氏の『放射線の ひみ
つ』 (朝日出版社、2011年6月) を見よう。中川氏は言う。「日本は、
「ゼロリスク社会」と言われてきました。この言葉は、「リスクがない社会」で
はなく、「リスクが見えにくい社会」を意 味します。そもそも生き物はすべて
死にますから、私たちに「リスクがない」わけがありません。放射線でがんが増
えますが、日本はもともと、「世界 一のがん 大国」。2人に1にんが、がんに
なり、3人に1人が、がんで死にます。/放射線を含めて、リスクの存在を認
め、それにどう向き合うかという課題 は、「限り ある時間を生きる」 私たち
にとって、とても大切です。」

 日本人は「ゼロリスク」という幻想にはまっているが、それを克服しなくては
ならない――こういう言説がある。これは安全保障や治安の分野で言わ れてきた
ことなのだろうか。食品や環境の安全の問題や科学技術のもたらすリスクにも適
用されるようになったものだろうか。新自由主義の時代に乗り遅れ、リ スクを
冒 して起業する精神が足りないという議論に由来するのだろうか。よく分から
ない。
 だが、国際関係や犯罪にしろ、食品・環境・科学技術にしろ、それぞれの分野
で日本人が「ゼロリスク」の幻想にふけってきたという証拠はあるのだ ろう
か。 そうであったとして、そもそも日本人があらゆる側面で「リスク認識が甘
い」などということが示せるだろうか。これは人文学や社会科学の領域の事柄
だが、そ の分野の研究者の一人としてはありえないことだと思う。武道や格闘
技の愛好という事実ひとつとってみても、リスクをかけて戦うことを好む態度の
表 れではな いか。著名な冒険家も多く出ている国だし、日本人はギャンブルぎ
らいなどという説も聞いたことがない。

 中川氏の認識は異なるようだ。「ゼロリスク社会の中で、がん患者さんだけ
は、「自分の死」という最大のリスクを意識せざるを得ません。リスクな どな
いと 「勘違い」している一般市民とがん患者の「死生観」を比較するための調
査 研究をしたことがあります。その結果、がん患者さんは、「あの世があ
る」、「死んで生まれ 変わる」などと考えない反面、「生きる意義」を感じ、
「使命感」を持っていることがわかりました。リスクを意識することが、「生き
る意味を深める」ことに つながるのではないかと感じました。」p155

 この調査結果は私も見ているが、そうかんたんにこのような結論が引き出され
るものではない。データの解釈の仕方に恣意性が伴うのは言うまでもな いこと
だ。他国の調査研究も含めて、他の結果と比べてみなくてはならないし、ただひ
とつのこのような小さな調査から大きな結論を引き出すのは適切でな い。

 また、死を意識することをリスクの意識と関連づけることはできようが、それ
をリスク認識の典型と見てよいものか。覚悟を決めて長期留学を試みる 人も、
株 やギャンブルに大金を投ずる人もリスクを意識する傾向の人だろう。また、
リスクを意識することが「生きる意味を深める」ことであるなら、放射線に 侵
される リスクを意識しつつ原発事故の収束のために働いている作業員たちは
もっとも「生きる意味を深め」ていることになるが、中川氏はそう考えるのだろ
う か。

 このように危うい議論を展開しながら、言いたいことをまとめるとどうなる
か。――自分たちは熟したリスク認識をすることができるが、市民はリス ク認識
に 大きな欠陥を抱えている、ゼロリスク社会の幻想にふけり、リスクがないの
が当然で安全はタダだと勘違いしている。適切にリスクを認識すれば、この 程
度の放射線汚染は耐えることができる、と。実際にリスクを示すことによっては
説得できないので、専門外の社会心理や精神文化の領域に踏み込ん で、「あな
たのリスク認識は誤っている」と印象づけようとするものだ。「日本人のリスク
認識」について深く理解しようとすれば、人文学や社会科学 の広い知識と洞察
力が必要となるだろう。そういう領域にやすやすと踏み込む医学者や放射線影響
学者の知的冒険のリスクを問うてよいかもしれない。

 以上は、3.11以後、すなわち福島原発事故後になされた発言だが、こうし
た発言は2011年に始まったものではない。以前からなされていたも のだ。
放 射線に関するリスクコミュニケーションを味方にしようとする考えが原発推
進勢力の間で強く意識され、実行に移されていた。長崎大医学部のグローバ ル
COE 「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」が『リスクコミュニケーション
の思想と技術』(2009年)、『リスク認知とリスクコミュニケーション』
(2010 年)、両書を合冊した『放射線リスクコミュニケーション』
(2012年)を刊行しているのは、そうした動向をよく表している。だが、長
崎大以前に もそうし た探求はさかんになされていた。それを振り返る前に、こ
こで「リスクコミュニケーション」とは何かについて、かんたんにまとめておこう。

 「リスクコミュニケーション」という言葉は、科学技術のもたらす害を懸念す
る市民が登場してくるなかで、1970年代にアメリカで提唱された (平川秀
幸 他『リスク・コミュニケーション論』大阪大学出版会、2011年、)。環
境汚染、食品の安全、遺伝子組み換え植物の問題など問われる事柄は次々と 出
てく る。だが、「なかでも大きな問題となったのは、原子力発電でした」と同
書で土屋智子氏は述べている(p168)。当初から原発が主要な論題であ り、
「説 得」や「教育」が課題と理解されていた。だが、スリーマイルやチェルノ
ブイリの事故等を経て、事情は変化してくる。「行政・企業・専門家の信頼を
低下させ る深刻な事故が起きた」ためだ(p169)。

 「1989年、アメリカの学術会議であるNational Research Council (NRC)
は、多様な分野の専門家を集めてリスクコミュニケーションを再考した結果、こ
れまで考えられてきた説得や教育といったリスクコミュニケーションは効果がな
いという結論を出しました。そして、NRCが出した新しいコミュニケーション
の定義は、「個人、機関、集団間での譲歩や意見のやりとりの相互作用 過程」
で す。プロセスですから、何らかの結果をめざすものではありません。NRC
は、リスクコミュニケーションの成功を、「リスク問題にかかわってリスク コ
ミュニ ケーションをした人たちが、どちらも自分の意見が十分言えた、自分の
意見は十分聞いてもらったと満足する状態ができたら成功である」と定義しまし
た。注意 していただきたいのは、十分に意見交換をしたからといって合い得手
の気もちが変わるわけではないかもしれないし、合意に至ることもないかもしれ
な いという 点です」(p169-170)。

 このような新しい段階でのリスクコミュニケーションは、日本の放射線健康影
響の分野では積極的になされてこなかった。むしろ、「説得」、「教 育」こそ
が リスクコミュニケーションの中心的な意義であると考える人たちが、政府寄
りの専門家たちであり、そのような態度で原発の立地の、また原発事故等の 際
の住民 の懸念に対処しようとしてきた。要するにリスクの認識と評価は全面的
に専門家側に握られており、それをどう受け入れさせるかがリスクコミュニケー
ションの 問題という古い理解である。

 放射線健康影響専門家や彼らに賛同する人たちが、福島原発事故前からそのよ
うな態度をとってきた例は多い。まず、菅原努『「安全」のためのリス ク学入
門』(昭和堂、2005年)を見よう。京都大学の医学部長をも務め、医学と生
物学をまたぎながら放射線の健康影響を研究してきた菅原は、低線量被 ばくに
は しきい値がありそれは370mSvだとする論文の共著者でもある
http://shimazono.spinavi.net/?p=302  。

 その菅原は、放射線健康影響の専門家としては早くからリスク問題に取り組ん
できたが、その著書でこう述べている。「「リスク」とは、本当は人々 により
心 配の少ない、心豊かな生活を提供することを目的として使われるべき概念だ
と、私は考えています。しかし今や、その「リスク」という言葉があちこち で
濫用さ れてしまい、かえって人々の恐怖の種となってしまっています。」「こ
うしたリスクの概念は、元々日本にはなかったものだけに、なかなか一般的な理
解が広 がっていきません。「危険のことを口にすると危険が本当になる」とい
う日本独特の「コトダマ」的感覚も、将来の危険を先取りして考えるリスクの考
え方とは 相容れないものと言えるでしょう」p18-19。

 次のような論述もある。「リスクの考え方は、初めから人工の町を作ってきた
アメリカでは受け入れられても、欧 米以外の、古い農村を中心とする長い歴 史
のある地域では、何か異様な感じで受け取られても仕方がないのかもしれませ
ん。このあたりが日本の一般の人々がリスクの考え方を理解する上での障害とな
るように思われます」p206。

 きわめて根拠の薄い推論だが、日本人はリスク認識が苦手だと印象づけること
によって、自らが是とするリスク認知、リスク評価が優れていることを 示すの
には役立つ議論と思えたのだろう。


(以上、その(2)転載終わり、(3)へ続く)


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