[CML 019326] 放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(1)

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2012年 8月 18日 (土) 08:07:05 JST


みなさまへ     (BCCにて)松元

「安全神話」の学問的裏づけに邁進する被爆国日本の「研究者」たちに注目して
きた東京大学の島薗進氏が、今回あらたに、「放射線のリスク・コミュ ニケー
ションと合意形成はなぜうまくいかないのか?」という連載を開始しました。

放射線リスクの「「専門家」の役割と責任を明らかにしておきたい」という著者
の了解を得て、連載を紹介させていただきます。今回その(1)は、 「専門家
側に責任はなかったのか?」です。

◆ブログ:島薗進・宗教学とその周辺 より
http://shimazono.spinavi.net/

=====以下、その(1)全文転載(改行をしています)=====

■放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?
(1)――専門家側に責任はなかったのか?

 福島原発事故が1年半が経過しようとしている。放射線の健康影響について、
この間に膨大な情報がやりとりされた。だが、未だにどこに真実 があるのか、
よく分からない。そう感じている人が多いだろう。今後、どれほどの健康被害が
ありうるのか、どのように対処すれうばよいのか、さ まざまな評価 や考え方が
あってよく分からない。大きな被害が及ぶのではないかと推測する人から、そう
ではなく被害は極小、あるいはほぼゼロだという人まで あらゆるタイプの人が
いて、錯綜し混乱している。分からないなら分からないなりの対応があってしか
るべきだが、あたかも被害はほぼないとの前 提で施策がなされているら しい
が、なぜそうなのか。 

 専門家とされる科学者が情報発信し市民を導こうとしているのだが、その見解
は大きく分かれている。政府寄りの専門家、つまりはこれまで原発 推進の国際
国 内の機関と密接な関わりをもってきた専門家は「低線量放射線による健康へ
の影響はない」、したがって避難や防護の措置にさほど手をかけなくて もよい
という 立場をとり、そうではない専門家は「健康への影響はありうる」ので避
難する、除染する、食品の基準を厳しくし検査体制を強めるなどの防護策を 早
くとるべき だ、あるいはとるべきだったという立場をとる。

 専門家の対立する見解を前にして、比較的汚染度の高い地域の住民は、何を信
じてよいのか分からず悩む。住民同士、あるいは家族の中でも受け 止め方が異
な るため、隠微な対立が生じてしまう。家族の崩壊の危機に直面している人た
ちも少なくない。福島県の広い範囲の人々の間にはやり場のない怒りや 苦悩が
蓄積し ている。その理由の大きな部分は、放射線防護をめぐる決定が政府や県
により一方的になされており、異なる意見が無視されていると感じられてい る
ことによ る。

 異なる見解があるなら、それをつきあわせて討議し、折り合えるところは折り
合って公共的な決定を行ってはどうか。ところが政府寄りの専門家 は、狭い範
囲 の仲間の専門家の中でことを決して来ており、多くの公衆が開かれた討議に
よる決定と見なしていない。福島県など放射性物質による汚染度の高い 地域の
人々が 討議に参加するという機会ももたれていない。自分たちの懸念を述べ、
対策に反映させるすべがなく、防護対策や補償をしたくない政府や県に見捨 て
られたと感 じている住民が少なくないのだ。

 このような事態を招いたことについて、専門家、とくに政府寄りの専門家の側
に責任があったと考えている人は少なくない。3.11以後、専門 家(科学
者・ 学者)が信頼を失ったという認識は広く共有されている。2012年版科
学技術白書は、国民意識調査では科学者を「信頼できる」とする人が震災 前の
76〜85%から65%前後に大きく低下したことを紹介している。「任せてお
けないと考える国民が激増しているのと比べ、専門家は信頼低下を 深刻に捉え
て いないようだ」と厳しく指摘しているという(共同通信2012年6月19
日)。これは原発の安全性に関する専門家の信頼度が大いに関わってい ると推
測され るが、放射線の健康影響の問題も関係がなくはないだろう。

 すでに2011年10月10日の日本経済新聞は、滝順一編集委員による「科
学者の信用どう取り戻す――真摯な論争で合意形成を」と題する記 事を掲載し、
「科学者の意見が分かれて誰を信じてよいのかわからず、途方に暮れる。そんな
状態が人々の不安を助長し、科学者への不信を増殖する。いま最も 深刻なのは
低 線量放射線の健康影響だ」と述べていた。 
http://shimazono.spinavi.net/?p=255 

 また、『中央公論』2012年4 月号は吉川弘之日本学術会議元会長、元東大
総長の「科学者はフクシマから何を学んだか―地に墜ちた信頼を取り戻すため
に」という文章を掲載し ている。
 吉川氏は原発に関わる「技術開発に関わる科学者の責任の重大さ」について述
べたあとで、「加えて、「放射能の人体への影響」について、「専 門家」たち
の さまざまな見解が飛び交ったことが、大きな混乱を招く結果になった」と論
じている。「放射能に関して言えば、それがどの程度人間の体に悪影響 を及ぼ
すのか について人類が蓄積したデータは、十分と言えるレベルにはない。広
島、長崎や、チェルノブイリの結果を、そのまま横滑りさせることはできな
い。「持ってい る範囲の情報」さえも、有効に活用されることはなかったので
ある」。

 また、国会事故調(「東京電力福島原子力発電所事故調査委委員会」)報告書
は、福島原発事故以前の放射線リスクの伝え方について、「放射線 の安全性、
利 用のメリットのみを教えられ、放射線利用に伴うリスクについては教えられ
てこなかった」とし、まずそこに信頼喪失の原因があるとしている。事 故後も
放射線 量の情報、また放射線が健康に及ぼす影響についての情報提供が不十分
だったという。そのよい例は「文科省による環境放射線のモニタリングが住 民
に知らされ なかったこと、学校の再開に向けて年間20mSvを打ち出し、福島県の
母親を中心に世の反発を浴びた」ことだ。
 そしてこう述べる。「政府は「自分たちの地域がどれほどの放射線量で、それ
がどれだけ健康に」影響するのか」という切実な住民の疑問にいま だに応えて
い ない。事故後に流されている情報の内容は事故以前と変化しておらず、児
童・生徒に対してもその姿勢は同様である」。これは政府に対する批判と して
述べられ ているが、政府が全面的に情報提供や対策案の作成を頼って来た専門
家にも向けられてしかるべきものである。

 国会事故調の委員長は吉川弘之氏に続いて日本学術会議会長を務めた黒川清氏
である。1997年から2006年にわたって日本学術会議会長を 務めた日本
を 代表するといってもよい2人の科学者(工学者と医学者)が、放射線健康影
響の専門家の対応が不十分であり、多くの市民の信頼を失わざるをえな いもの
だった ことを認めているのだ。

 くどいようだが、もう一人、日本を代表する哲学者にも登場していただこう。
日本学術会議哲学委員会の委員長で、本年3月まで東北大学副学長 だった野家
啓 一氏の「実りある不一致のために」『学術の動向』(2012年5月号)と
いう文章を参照したい。野家氏はこう述べる。「おそらく政府関係者に せよ専
門科学 者にせよ、念頭にあったのはパニックによる社会的混乱の防止というこ
とであったに違いない。しかし、そこで目立ったのは、むしろエリートたち の
混迷ぶりで あった」。「もどかしく思ったことは、原発事故から数ヶ月に被災
者が最も知りたかった放射線被曝の人体への影響について、国民目線に立ったわ
かりやすい メッセージと説明が、皆無とは言わないまでも少なかったことであ
る」。

 では、当の専門家たち、とりわけ住民の怒りをかった専門家、すなわち政府側
で放射線情報を提供してきた当の専門家たちはこの事態をどう認識 しているの
か。自分たちの側に不適切なところがあったという認識をもっているのだろうか。

 3.11後に福島県立医大副学長となった、広島大原医研所長の神谷研二氏の
理解を見てみよう。同氏は2011年12月22日に報告書を提出 した「低線
量 被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」に提出した書面
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko /info /twg/111222b.pdf においてこう
述べている。
 「福島原発事故後、放射線の単位や放射線情報が氾濫した。しかし、住民に
は、放射線データの意味や評価が十分に説明されず、専門家の意見も 異なっ
た。即 ち、リスクコミュニケーションの不足が、住民の健康に対する不安を増
幅した。LNTモデルによる低線量放射線のリスク推定は、その可能性の程 度を確
率的に 推定するものである。従って、リスクを確率論的に捕らえることと、リ
スクの比較が重要であるが、国民はそれに慣れていない。国民もメディア も、
シロかクロ かの二元論でとらえる傾向があった。これを克服するためには、国
民全体の放射線リテラシーが必要」。

 「十分に説明されず」という政府や専門家の側の問題がいちおう触れられてい
るが、専門家側の問題についてはそれ以上、述べられない。そして もっぱら国
民 の側のリテラシーの不足が問題なので、リテラシーを高めるべきだという結
論になっている。あたかも専門家側に省みるべき点はほとんどなかった かのよ
うな論 調である。

 神谷研二氏とともに福島医大の副学長に就任し、首相官邸の原子力災害専門家
グループに加わり、その上福島県のリスクアドヴァイザーとして政 府と福島県
の 放射線健康影響情報提供や防護策立案に深く関わってきた山下俊一氏の場合
はどうだろうか。同氏は、同氏が拠点リーダーを務めた長崎大学グロー バル
COEプ ログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」が2012年3月に
刊行した『福島原発事故――内部被ばくの真実』という書物(柴田義貞編)の
「序」でこう 述べている。
 「「放射能」「炉心溶融」「汚染」や「被ばく」などの言葉が現実的な恐怖を
想起させ、原爆体験のみならず、9.11の 同時多発テロに似た感情や報道が
錯綜しています。これは、放射能 が単に核兵器を連想させるだけではなく、放
射能が内包する危険性に関する知識が正しく理解されず、日本国民全体にリスク
論的立場で普段の生活を議論する力 が不足していたとも考えられます」。

 これについで山下氏は放射線健康影響について人々が適切な情報が得られずに
苦しんだわけについて説明しようとしている、だが、そこには自ら を含めた政
府側の専門家の側に問題があったのではないか、との示唆はまったく出てこない。
  「公表された情報には信頼性が低いもの、科学的根拠が薄弱なもの、無責任
に恐怖や不安を煽るものなども含まれ、情報の錯綜と混乱は東電や 政府への不
信 感とも重なり、その深刻度を増していきました。その後も情報災害の様相は
改善するどころか、福島にあっては風評被害の結果いわれなき差別や偏 見に曝
され、 そのうえ現在も続く環境放射能汚染の地に暮らす住民の苦労は大きなも
のがあります。まさに錯綜する情報と不信感から、本事故の影響に関して暗 澹
たる不安と 怒りが蓄積しています。」

  「情報災害」というなら、「直ちに健康に影響はありません」を繰り返した
政府側専門家の情報提供は「情報災害」に寄与しなかったのだろう か。あるい
は 山下氏自身の「福島という名前は世界中に知れ渡ります。福島、福島、福
島、なんでも福島。これは凄いですよ。もう広島、長崎は負けた。・・・ 何も
しないのに福島有名になっちゃったぞ」「放射線の影響は、実はニコニコ笑って
いる人には来ません。くよくよしている人に来ます」(『週刊現代』2011年
6月18日号)といった発言はどうか。

 もっとも山下俊一氏自身は、2012年5月になって、ある弁護士の追究に対
して過度の安全論の非を認めひっそりと謝罪している。日隈一雄弁 護士の5月
15日付けの公開質問状に対する5月31日1付けの回答においてだ。これは日
隈氏のブログの6月冒頭部分に掲載されている。 http://t.co /hM4lqFWF
 山下俊一氏はその書面でこう謝罪している。「私自身が現地でお話しした内容
から、100mSv以下の安全性を強調しすぎたとのご批判と、そ のために一部 の県
民の皆様に不安と不信感を与えたとするご指摘には、大変申し訳なく存じます。
事故発生直後の非常事態に おける危機管理期から、その後の移行期において放
射線の防護と健康リスクの説明の仕方が必ずしも円滑でなかったことは、私の未
熟な点であり、謙虚に反省 し、その後、自戒の上で行動しています。」

 これは一歩前進かもしれないが、だが誰に対して謝るべきなのか。同氏の放射
線リスク・コミュニケーションのどこがどのようにまちがっていた のか。今一
つ 明らかでない。これまで非は主に国民の側にあるかのように述べてきたとす
れば、それは撤回するのかどうか。こうした事柄を明らかにしなけれ ば、謝罪
したこ とにはならないのではないだろうか。

 このように山下氏の責任を問うのは、同氏が今なお、福島県の、また他地域の
多数住民の放射線健康影響に関わる施策に関わる専門家の中心的存 在であり、
それに信頼感をもてない人々がきわめて多数に上るからだ。
 どうしてこんな事態に陥ってしまったのか。適切な情報発信や合意形成を行う
ことができず、公に政府寄りの専門家側のこれまでの非を認めて、 新たな合意
へ向かおうとする姿勢を示すことさえできないのか。これは3.11以前の状況
を見直さないととても理解できそうにない。

(以上、その(1)転載終わり、(2)へ続く)



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