[CML 019082] 「法の廃墟(8) 水戸事件の闘いに学ぶ」『無罪!』2006年11月号

くすのき cxm00507 at nifty.com
2012年 8月 4日 (土) 23:39:55 JST


くすのきです。

前田さん、お忙しいのに有難うございます。
「強い個人」「弱い個人」という座標軸があることをはじめて知りました。

>立岩真也さんの「弱くある自由へ」がすぐれた問題提起だったのは、

次回の会で紹介してみます。

しかし、以下のことは前田ゼミを傍聴、ムカシでは盗聴しないと、理解し
にくいようです。まずは「立岩真也さんの「弱くある自由へ」を読むことに
します。

>裁判の場面では、「強い個人」による「権利のための闘争」モデルで事柄が考え
>られます。「弱くある自由」があるとしても、「弱い個人」が法主体として直ち
>にそのまま認められるわけではありません。裁判の場面では、「弱い個人」は
>「保護の客体」にされかねません。パターナリズムの「必然性」はここにありま
>す。
>「強い個人」の間の形式的平等が明快なのは、近代における普遍化可能性と予測
>可能性を容易に担保しうるからです。「強い個人」は確実に体験、記憶、想起、
>証言をなしうるとされているわけです。「弱い個人」のための実質的平等性の確
>立は重要ですが、実質的平等性の議論は、つねに普遍化可能性と予測可能性を犠
>牲にしてしまいます。ここが難しいところです。

今夜は

市川和彦著『施設内虐待−−なぜ援助者が虐待に走るのか』の抄読会でした。
性的虐待の例示は少ない文献なのですが、途中、前田さんレポートを使わせて
いただき、の水戸事件、浦安事件、かぶとやま事件などの話にもなりました。
最高裁へ持ち込むためには、1審2審では出なかった新たな重要な証拠が見い
出せた場合には可能だが、それ以外は高裁判決となるようだ、との解説も
ありました。弁護士さんにはなれなかったという司法書士さんの解説です。
裁判とは真実を見い出すものと一般には思われているが、判決は必ずしも
事件の真実にさえ迫っていないものが多い、とも伺いました。
確かに都教委関連では多くの裏切り判決がありましたし、戦後補償裁判でも
そうでした。

また

映画「トガニ」(韓国語・るつぼの意味)の話も出ました。原著の日本語訳が
出版されているそうです。8月から映画も公開されるとのことで新聞広告でも
見ました。韓国・聴覚障害者学校での性的暴行事件らしいのですが、校長
を含む集団暴行に対する判決は、執行猶予がつくという理不尽だったそうで、
孔枝泳(コンジヨン)さんがネット小説で告発。その衝撃的な内容は韓国社会
をゆさぶり学校は閉鎖され、子どもへの性暴力は厳罰化されたとのこと。

8人から10人ほどの集まりなのですが、皆で見に行こうと相談がまとまりました。

以上。






----- Original Message -----
> くすのきです。
> 
> >「法の廃墟(8) 水戸事件の闘いに学ぶ」『無罪!』2006年11月号
> 
> を拝読しました。明日の学習会で使わせてください。
> 
> 水戸事件だけではなく、浦安事件にも言及されていらっしゃいますので、
> 伺いたいことがあります。
> 
> 水戸事件、浦安事件のように、知的障害の女性・女児が、性的虐待を受けた
> とき、彼女たちの判決に不服がある場合、最高裁に上告することは可能でしょ
うか?
> 最高裁は憲法判断が含まれる場合には上告できるが、憲法判断がない訴訟では
> 高裁判決で確定、との話を聞いたことがあるのですが、、、。
> 
> 知的障害ゆえに、被害にあった日時、時刻、場の特定が困難で、それゆえに
> 警察に取り合ってももらえず、民事でも立証困難な状況は許しがたいことです。
> 健常者も障害者も法のもとでは平等(憲法?条)という論理で、最高裁に持ち
> 込めるかどうかが知りたいのですが、、、。
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