[CML 016114] <テント日誌 3/31(土)>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2012年 4月 3日 (火) 00:13:27 JST


<テント日誌 3/31(土)――経産省前テントひろば203日目>
        テントで、テントを支えた蔵屋敷さんを偲ぶ    
       「福島の女たちの本気が更に示される日!」

  4時少し遅れて目が覚める。今日のお散歩はQさんとは別に行きました。昨日見つけた樹の根元に咲く「ど根性桜」 http://img.ly/fXqI はどうなっているか探してみるとちゃんと咲いていました(笑) この「ど根性桜」がどこに咲いてるかと言いますと……気の根元をご覧下さい! http://img.ly/fXqV
僕がどうして「ど根性桜」と名付けたかがお分かり頂けると良いのですが・・・(爆)
  日比谷公園・カモメ広場の桜は一輪も咲いていないのに、この花だけが咲いているのです。しかもこんなに根元の蘖(ひこばえ)の部分に・・・。 

  午前中に蔵屋敷有紀さんを偲ぶ会が行われるので、その準備のためのお弁当をタッチーと買いに行きました。物凄い嵐のような風の中でしたが、まるで蔵ちゃんがいつまで経っても原発が止まらない、福島の支援が進んでいないことに怒っているかのように思えたです。
 彼女は昨年末、急逝された女性です。テントでは早い段階から献身的に動いていた女性で、当時僕がテントで会う女性では一番若い方だったのではないかと記憶しています。
 それ以前にもデモでお顔だけは見知っていた方でした。テントには無くてはならない女性であり、その後の女性主体のイベントと運営を形作った方だったと言っても過言ではないと思っています。

 10月末に行われた「原発いらない!福島の女たちの座り込み」「福島の女たちに続け!原発いらない全国の女たち」の時にボランティア・スタッフをした僕と一緒に撮影した事を思い出します。
 少々ぶっきら棒で冷たい印象を与えるような印象でしたが、細かな心配りの出来る優しい方だった。
言葉の最後に僕を温かくフォローしてくれる。それぞれが思い思いの想い出を語り合う中、外では風が更に強くなり彼女を偲ぶ気持ちが高まる頃には雨が降り始めました。そして段々と強くなっていきました。
  それは正に皆さんの代わりに流す涙であるかのように・・・。
  今、彼女にかける適切な言葉は見つかりませんが、やはり早過ぎるということ、体調の悪い中頑張って下さったこと、それをおくびにも出さずに動き回っていたこと。蔵ちゃん!頑張り過ぎだったんだよね!もっと泣き言を言って良かったんだ!今は感謝の言葉しか浮かびません。

『蔵ちゃん!本当にありがとう(合掌)』

 午後になり第二テントで数人の女性たちと話をしていると外から大きな声がするので、何かと耳を澄ませば「消費税増税反対ぁ?い!」と叫んでいるではありませんか。
  これは応援せねばと外に出てみると大勢の人の列が!凄い!勢い込んで「皆さんどのような団体ですか?何人位の参加でしょうか?」と聞いてみると「ざっと一万人かな」との応えが。
  うん?一万人?本当か?組織はと見てみると「幸福実現党」の幟!あああっ!幸福の科学の組織動員でした。確かに隊列はいつ迄も続くかのようでした。

  夕方になり福島から「原発いらない!福島の女たち」の黒田節子さんがテントに到着されました。
 3月25日から大飯原発の地元、福井県小浜市明通寺の中島哲演住職さんが再稼働に反対するため福井県庁前で断食に入ったことに連帯して行動しようと黒田さんの呼び掛けで全国的連帯が行われることになったからです。黒田さんご自身は既に断食に入っており明日の記者会見に合わせての来訪でした。
  黒田さんは静かに優しい語り口で想いを語られ、同席していた皆さんの胸を熱くさせるのでした。
僕はそのお気持ちに今まで以上に福島に寄り添っていきたいと改めて強く誓うのでした。
  この日から椎名千恵子さんを含め僕もリレーハンストに入りました。全国から黒田さんに連絡が入り、次々と賛同者の輪が広がっていくのを僕も興奮しながら聞き入ってしまいます。夜になって風は益々強くなり、椎名さん、黒田さんをホテルに送り出してから家路につきました。
  無事に今回の行動が遂行されるのを祈りながら、空腹のお腹を抱えて眠りにつきました。

 せっかく咲いた「桜」が風で散らされなければ良いな!

リレーハンストの詳しい情報はこちらから
「未来を孕むとつきとおかのテントひろば行動ブログ」
http://totukitouka.info/blog/                                ( F記 )

===================================
テント日誌 番外編 「福島にて(最終回)」 
『その日の空は鎮魂の色。白い涙が降っていた』part-4 

僕の帰りを白い涙が激しく強く包みこんだ!
  福島最終日となりました。今日は昨晩、慶子さん宅に一緒に泊まった東井 怜さんと慶子さんと3人で県庁にある自治会館内にある福島県記者クラブに行くことになったのです。と言うのも東井さんが執筆された「原発震災」という本の紹介を各新聞社、報道関係にするためでした。
(本の紹介はこちら > 
http://tinyurl.com/6tma5r7)
 記者クラブの中には初めて入りましたが、記者達はどなたも疲れ切っているように見えましたし、この現場の苦労が上に潰される事があるのだろうと思うと彼等に忸怩たる気持ち、徒労感を感じさせるのでした。
    最後に福島民友新聞社に行きましたが、対応下さった記者はテントひろばの事をあまりご存知ではなかったので、テントの新しいチラシを置いてきました。
 小出裕章先生がテントに来て下さった事をお話すると、大いに驚いておられたのが特に印象的でした。
  この頃から外では雪が強く降り始め、帰路に一抹の不安を感じ始めたのです。
  東井 玲さんを福島駅までお送りし、佐々木慶子さんをご自宅まで送り届けると、いよいよ、福島を離れる時が迫ってきました。慶子さんから温かな、嬉しい言葉を頂いたのでしたが、この方は人の心の痛みや気持ちをさり気なく受け止めて下さる本当に優しい方だと改めて強く思いました。最後におみやげまで頂くことになり恐縮するばかり・・・。

 今回、福島に来てとても気になったのは、以前より放射線量が増えてるのではとの疑問でした。朝、慶子さん宅の周りを計測した時には、阿武隈川の支流、荒川に面した庭の植木では10μSV/h以上を検知する所が多くありました。
  地面近くは1~2μSV/h位でしたが場所によっては5μSV/hを超えるところもあり、慶子さんに伝えても良いものか迷いましたが、本人はもちろん既にご存知でして、明るく「知ってるよ」と声を返されてしまった。
 しばらくは来れないので名残惜しく、福島市内を車で回りながら線量を測ってみました。
  子ども福島事務所、野菜カフェ「はもる」、福島駅前、県庁などなど。特に県庁の高い値には胸が詰まります。県庁の北側で1~2μSV/h位。南側は2?3μSV/h位と渡利並みの値でした。
 東北道、磐越道といつもの道を帰りましたが、雪は益々強くなり案の定三春町を通る頃にはヘッドライトに当たる雪が前を遮り、全く前が見えません。SAごとに車を止め恐る恐る進むしかありません。
    福島市を離れるにつけ下がる線量も茨城の日立市に入っても0.2?0.3μSV/h位で、これ以上は下がらなくなりました。東京には深夜の2時に着きました。明るくなってから愛車を見ると活躍してくれた痕跡があちらこちらに。良く頑張ってくれましたね、ノーマルタイヤで??            (完)                                       ( F  ) 



CML メーリングリストの案内