[CML 013003] 【TPP参加問題=精神科医・斎藤環】 「トッドの見立てが真実ならば、TPP反対運動と、例えば「ウォール街を占拠せよ」と名付けられたニューヨークデモにおける人々の主張とは、格差社会への抗議と民主主義の擁護という点で一致することになる」、ラカン派マルクス主義者という奇妙な肩書を持つ思想家スラヴォイ・ジジェク「自由主義経済の名の下で、政治は富裕層だけに徹底した保護を与えようとする」

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2011年 11月 6日 (日) 09:13:25 JST


時代の風:TPP参加問題=精神科医・斎藤環

 ◇壁より卵、だから反対

 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)をめぐる論議がかまびすしい。門外漢たる私としては、賛成意見を読めばそれなりに説得され、反対意見を読めば読んだでTPP許すまじという気分になるようなありさまだ。しかし、こうした混乱は私だけのものだろうか。

 まず自分の政治的立場を定めたうえで、そこから導かれる見解を述べればよいのかもしれない。しかしTPPについては、例えば民主党内部にすら激しい対立がある。賛成する保守派がいるかと思えば、反対の革新派もいる。この混沌(こんとん)ぶりは、どこか原発をめぐる議論にも似て見える。

 例えばTPPで日本の農業が破壊されるという意見がある一方で、過保護な農業政策は一回厳しい競争にさらされればいいのだという意見もある。すでにこの種の議論において、「事実」や「現場」に即した議論の限界が露呈しているのではないか。相容(あいい)れない事実や経験が乱立している場合、一歩引いた視点から全体の構図を眺めておくことも無意味ではないだろう。

 歴史人類学者のエマニュエル・トッドは、近著「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」(藤原書店)において、まさにTPP的な貿易のあり方に強く警鐘を鳴らしている。

 自由貿易で国外市場へ向けた生産が増えれば、企業のコスト意識が高まり、国内の労働者に支払われる賃金もコストカットの対象となる。労働力が低賃金ですむ中国などに集中した結果、どの国でも給与水準が低下し、国内需要が不足しはじめる。それゆえ自由貿易に固執し続ければ、社会の不平等と格差は拡大し、優遇された超富裕層が社会を支配することになる。かくして、自由主義が民主主義を破壊するという逆説が起こる。

 こうしたトッドの見立てが真実ならば、TPP反対運動と、例えば「ウォール街を占拠せよ」と名付けられたニューヨークデモにおける人々の主張とは、格差社会への抗議と民主主義の擁護という点で一致することになるだろう。

 ラカン派マルクス主義者という奇妙な肩書を持つ思想家スラヴォイ・ジジェクは、ニューヨークデモにおける演説でこう述べている。「常に金持ちのための社会主義が存在する。彼らは私たちが私的財産を尊重しないと非難するが、2008年の経済破綻で毀損(きそん)された私有財産の規模は、私たちが何週間も休みなく破壊活動にいそしんだとしても及びもつかない」(http://www.imposemagazine.com/bytes/slavoj-zizek-at-occupy-wall-street-transcript)

 そう、自由主義経済の名の下で、政治は富裕層だけに徹底した保護を与えようとする。多様な危機的状況の中でも、最も迅速に政治的介入がなされるべき危機こそが「経済危機」であるからだ。

 ジジェクは資本主義の本質にモラルハザードが存在すると主張する(「ポストモダンの共産主義」ちくま新書)。平等主義の再分配がなぜいけないのか。それは富裕層を貧しくするからだ。富裕層が貧しくなると、それは貧困層にも波及する。逆にいえば、富裕層の富を守ることは、そのおこぼれ(トリクルダウン)にあずかる貧困層を守ることにつながる。現代において、富の配分は常に間接的だ。貧困層の直接支援などよりも、金持ちをもっと金持ちにしておくことが、結果的に真の繁栄を生み出す唯一の策なのだ。

 マルクスが指摘した資本主義の矛盾は、景気循環や恐慌として噴出する。しかし、それを予防するための経済政策にすら矛盾がはらまれるとしたらどうだろう。ジジェクの言う「金持ちのための社会主義」が、さらなる格差化を招いているとしたら。

 確かに1920年代のような世界恐慌は回避されるかもしれない。その代わりアメリカでは、70年代には一般労働者の約50倍だった経営者の賃金が、いまや1700倍にも達しているのだ。

 政治的立場の違いにもかかわらず、ジジェクとトッドの主張が構造的に似かよってしまうこと。なんと、資本主義と自由貿易がゆきつく“理想の体制”が中国である、というアイロニーまで同じなのだ。

 確かにジジェクが言うように、資本主義と民主主義の結婚は終わりつつあるのだろう。資本主義(≒自由貿易)が最もその矛盾(恐慌)に直面することなく、安定的に富を生み出すシステムモデルが、現代中国のような統制された超格差社会であるとすれば。アメリカや欧州連合(EU)、そして日本が富裕層のための社会主義国家に変貌するのも遠い未来のことではないのかもしれない。

 この流れを反転させるべく、ジジェクは「コミュニズムへの回帰」を、トッドは「プラグマティックな保護主義」を提唱する。現実性という点から言えば、トッドの立場に分があるようにも思われる。いずれにせよ二人に共通するのは、システムよりも個人を、つまり壁より卵を擁護する立場だけは決して譲るまい、という覚悟のほうだ。

 それがどのような名前で呼ばれようと構わないが、私も彼らの側に立ちたい。ならば答えは自(おの)ずと明らかだ。私は日本のTPP参加に反対である。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2011年11月6日 東京朝刊

http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20111106ddm002070084000c.html 		 	   		  


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