[CML 009878] 「僕のお父さんは東電の社員です」という書き出しで始まる小6男児の手紙(毎日新聞、2011年5月19日掲載)について考える

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2011年 5月 27日 (金) 21:56:54 JST


毎日新聞の『風知草』(山田孝男編集委員、2011年5月23日付)で「僕のお父さんは東電の社員です」と
いう書き出しで始まる小学6年の男子児童の手紙のことを知りました。

■電力消費増大神話(毎日新聞『風知草』 山田孝男 2011年5月23日)
http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/
■東日本大震災:福島第1原発事故 小6、毎小に手紙 「自分と違う意見聞きたい」(毎日新聞 2011
年5月19日)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110519dde041040003000c.html

いつのまにか父親の悲哀なるものが「枯野をかけ廻る」こがらしの身よろしくいっそう身にしむ年齢に
なってしまった私としては幼(いとけな)い児童から「僕のお父さんは・・・」などと言われてしまうと、それ
だけで断然その少年の味方になってしまいたくなりますが、そこはグッと抑えて、ここではその少年の
しっかりしているとはいえやはり子どもらしさのにじむ理路の質とその幼い理路の陥穽をうまく指摘し
えていない『風知草』の筆者の少年の文章の引用のしかた及びその視点について少しばかり私の感
心しえないところを述べておきたいと思います。

「僕のお父さんは東電の社員です」という書き出しで始まる小学6年の男子児童の文章は『風知草』の
筆者も言うとおり「子ども離れした目配り」も利いていて、その「手紙の書きっぷり」は見事です。

  「僕のお父さんは東電(東京電力)の社員です」で始まるその投書は先月、毎日小学生新聞編集
  部に舞い込んだ。/「原発を造ったのはもちろん東電ですが、きっかけをつくったのは日本人、い
  や、世界中の人々です。その中には、僕もあなたも入っています」/「発電所を増やさなければな
  らないのは、日本人が夜遅くまでスーパーを開けたり、ゲームをしたり、無駄に電気を使ったから
  です」と続く。/子ども離れした目配りで、エネルギー浪費型文明の構造の根幹に斬り込んで鋭い。
                                         (『風知草』 2011年5月23日付)

そうではあるのですが、その少年の文章について、『風知草』の筆者の「エネルギー浪費型文明の構
造の根幹に斬り込んで鋭い」という評価だけでは子どもを遇するという意味でのある意味不当な評価
にとどまり、その少年の真の理知に見合ったほんとうの意味での評価になりえていないように私は思
います。この「子ども離れした目配り」のできる少年であるならば次のような理路も(それは批判を含
むものですが)当然よく理解しえるはずではないか。『風知草』の筆者は幼い論客に次のように問いか
けるべきではなかったか、と私として思うところがあるからです。

「○○君。たしかに○○君の言うとおり『発電所を増やさなければならないのは、日本人が夜遅くまで
スーパーを開けたり、ゲームをしたり、無駄に電気を使ったから」だということはいえるよね。おじさん
もそう思う。けれど、次のような側面もありはしないだろうか? ○○君ならわかってくれるのではない
か、とおじさんは思うから、少し理屈ぽくなるかもしれないけれども書いてみようと思う。○○君にも是
非このことについて考えて欲しい」。

以下、その内容。

1.東電の“情報操作”「電力不足キャンペーン」について5月12日付けの東京新聞「こちら特報部」
の次のような記事があること(○○君のお父さんの勤めている東電の悪口になって申シ訳ナイケレド)。

記事要約:
======
東電また“情報操作”「電力不足キャンペーン」にモノ申す
中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の停止決定を機に、またぞろ「電力不足キャンペーン」が始
まった。中電による電力融通の打ち切りが理由のようだが、「こちら特報部」の調べでは、被災した
東京電力広野火力発電所(福島県広野町)が七月中旬にも全面復旧する。そうなれば真夏のピー
ク時も電力は不足しない。国民を欺くような“情報操作”の裏には、なおも原発に固執する政府や電
力会社の姿勢が垣間見える。 

結論。夏の電力は大丈夫。余力あり。停電ありえず。

・中味の一部を紹介しよう
イ.中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の停止決定を機に、またぞろ「電力不足キャンペーン」が
始まった。中電による電力融通の打ち切りが理由のようだが、「こちら特報部」の調べでは、被災し
た東京電力広野火力発電所(福島県広野町)が七月中旬にも全面復旧する。そうなれば真夏のピ
ーク時も電力は不足しない。国民を欺くような“情報操作”の裏には、なおも原発に固執する政府や
電力会社の姿勢が垣間見える。
ロ.今月六日、衆院科学技術特別委員長の川内博史衆院議員ら民主党国会議員七人が広野火力
発電所(五基、計三百八十万kw)を視察した。首都圏の電力供給力向上のカギを握る発電所だが、
東電は復旧の見通しを示していない。しかし、川内氏らが今夏までに再稼働が可能かどうかを尋ね
ると、発電所の担当者は「津波で破損したが、全体的には被害は少ない。七月中旬にも全面復旧で
きる」と明言したという。
ハ.さらに広野火力が復旧すれば、夜間に余った電力でダム湖に水をくみ上げて発電する揚水発
電も上積みできる。電力供給力見通しでは、四百万kwしか計上していないが、東電管内の揚水発
電能力は最大千五十万kw。今夏の最大需要と予測する五千五百万kwは十分に賄える計算になる。
川内氏は「今夏の東電の電力供給力は全く問題がないどころか、需要を上回る。余剰電力は東北
電力などに融通すればいい。
二.西日本からの電力融通分百万kwの内訳についても、東電、中電ともに口をつぐむ。(中略)電力
供給力への不安を解消するどころか“得意の情報隠し”で危機をあおっている格好だ。
ホ.東電や政府は震災後、一貫して電力の供給力情報を出し渋ってきた。それを裏付けるような文
書「東京電力の設備出力及び地震による復旧・定期検査等からの立ちあがりの動向」がある。資
源エネルギー庁が官邸や与党への説明用に作成した内部資料で、東電管内の原発、火力発電、
水力発電の出力や、震災前と直後の状況、七月末までに復旧する予定の発電所が一目で分かる。
この文書でも、東電の当初の供給力見通しのうち、最大千五十万kwの揚水発電の存在が抜け落
ちていたことがあきらかになった。

・結論
わかっているだけでも3つ=東電広野火力(5基380万kw)と揚水発電(東電管内1,050万kw)と中電
からの供給分(100万kw)の三つが、意識的に外されている。民主党川内博史議員が言うとおり、
今夏の東電の供給力は、全く問題ないどころか需要を上回る。余剰分は、東北電力へまわせる
位だ。
======

2.京都の諸留能興さんに「『電気の30%が原発だから原発無しの生活は出来ない』のカラクリ
!!」というとてもわかりやすくて「原発無しでも生活ができる」ことについてとても納得のいく論考
があること(発電所を増やさなくとも電力は十分に足りているということ)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-April/008915.html

3.上記のことはエネルギーに関する調査や統計作製を専門に行い、各種の報告書や書籍を発
行している国際エネルギー機関(IEA)という国際組織も認めている国際的にも明らかな事実であ
るということ。

■日本、原子力発電不足分補う石油火力発電の余剰ある=IEA
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20049520110315


『風知草』の筆者は「僕のお父さんは東電の社員です」という書き出しで始まる少年の文章を引用
するのであれば、その少年の視点に即して少年に対して多少批判的になったとしても上記のよう
な大人の視点も提起しておくべきではなかったでしょうか。この少年ならばきっと理解してくれたで
しょう。「エネルギー浪費型文明の構造の根幹に斬り込んで鋭い」という評価だけではやはり不十
分、マスメディアの責任を果たしえていない、という批判は謗りは免れえないように思います。『風
知草』の筆者に考えていただきたいことです。


付記:
作家の丸谷才一に「子供に詩を作らせるな」「子供の文章はのせるな」などを主題にした『日本語
のために』(新潮文庫)、『桜もさよならも日本語』(新潮文庫)という含意の深い著書があります。
学校の教師を含む大人たち、また革新人士のみなさんにもぜひ読んで考えていただきたいこと
です(いたずらに子どもの作文や集会等での朗読を評価しすぎということはありませんか?)。

■「完本 日本語のために」(丸谷才一著 新潮文庫 立ち読み版)
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/116911.html

たとえば『日本語のために』には丸谷の次のような文章があります。名文、名言だと私は思って
います。

「一体、作文教育の原理といふのは至つて簡単である。一流の名文をたくさん当てがへばそれで
いい。優れた文章に数多く接すれば、おのづから文章の骨法が呑みこめるのだ。ところが今の日
本の国語教育では、名文を読ませるのは二の次、三の次にして、子供の書いた大したことのない
文章、およびそれに誰かが手を入れていつそう悪くした文章を読ませる。これでは文体の感覚が
鈍磨するのは火を見るよりも明らかだらう。子供の文章などというものは、すこしくらゐ出来がよく
たつて、何も教科書に入れて規範とする必要はない。そんなものはガリ版刷りの学級文集に収め
ればいいのである。」



東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/



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