[CML 009760] 〈小沢信奉〉を乗り越えられない市民発脱原発論者の民主党批判について――福島第一原発事故以後・・・(6)

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2011年 5月 21日 (土) 19:37:39 JST


長文になりました。ご容赦ください。

第5回目の記事の発信から少しばかり間隔があきましたが、この連載も今回で6回目になります。この
連載の意図は第1回目の「総論のようなものとして」で述べているとおりですが、私がこの連載の被批
判者としてあげた7人の便乗反原発論者の人選の基準について、「放射線医療研究所などといった元
理事長、代表、放射線影響研究大学院などなどなどのすさまじいほどのペテン師たちが、人選から外
れている」などという本連載の意図を誤解している見当違いの批判もあったりしますので、若干の補足
をつけ加えておきたいと思います。

本連載はいわゆる世間でいう御用学者、著名人などの原発推進論者、便乗反原発論者の総体的、網
羅的批判をめざしたものではありません(そういう芸当はもちろん私の力量ではできもしませんし、他に
適当な批判者がいる以上ここは私など素人のでしゃばる幕ではないだろうとも思っています)。この人
たちは便乗反原発論者として相当、相応に批判されてしかるべきではないか、と私として思われる人た
ちでありながら、管見の限りにおいて、いわゆる市民サイドの反原発活動家、また、反原発論者からは
批判の対象となっていない、あるいは見落とされている人たちにズームを絞りこんだ上での批判です。
すなわち、なにゆえにこの人たちは批判されなければならないのか、という私なりの問題視点の提起、
その結果としての7人の便乗反原発論者の人選にすぎないということです。ですから、たとえば長崎大
学教授の山下俊一氏など市民サイドの反原発活動家、また、反原発論者からある程度批判が集中し
ている原発推進論者、いわゆる御用学者、著名人についてははじめから弊批判の対象外としています。
だからまた、被批判者として登場させた、また登場させる予定の7人はこれもまた管見に触れた範囲内
での被批判者ということでしかなく、この被批判者をして被批判者総体を代表させるつもりがあってのこ
とでも当然ありません。お断りしておきたいと思います。

さて、私はこの連載のはじめに「総論のようなもの」の一例として、つい最近まで岩波書店の『世界』の
優秀な編集部員であり、現在(いま)はひとりの岩波書店労働者として同書店の理不尽極まる不当解
雇通告と闘っている気骨の言論人、金光翔(キム・ガンサン)さんの次のような指摘を紹介しておきま
した。

「ウェブ上での原発危機関連の発言で、一つ不思議なのは、小沢派と目されるジャーナリスト(上杉
隆ら)や無名のブロガーたちが、危機意識を煽りまくっている(略)、というのが率直な印象なのである。
様々な情報・見解を提供してくれている原子力資料情報室(CNIC)のような、それ自体としては有益
であろう機関も、青木理や岩上安身のような小沢派ジャーナリストが積極的に関与しているのを見る
と、いささか距離を置いて考える必要性を感じざるを得ない。」(「佐藤優の原発問題関連の発言に
ついて(4)」2011年4月2日付)
http://watashinim.exblog.jp/13293493/

そのとき私は金光翔さんの発言を「市民の〈反原発〉現象」のプラス99、マイナス1の負の一端を剔
抉する「聞くべき省察」、として紹介したわけですが、上記で紹介した金さんの懸念は次のような目立
たない形(とはいっても、問題意識のある者にとっては当然目立ってしまうわけですが)で顕在化して
います。

福島第一原発事故以後、反原発研究者の小出裕章氏(京大原子炉研)の優良な言説を逐次紹介し
てフクシマ以後の世論形成に少なくない貢献をしている市民サイドの情報に「たね蒔きジャーナル」
情報がありますが、その5月16日付けの「たね蒔きジャーナル」情報にはさりげなく次のような記載
があります。

「たね蒔きジャーナル、民主党で菅批判の川内博史議員の電話出演がありました。(略)『原発事故
対応、菅総理に物申す』であり、川内さん、リスナーから菅政権に言いたいことが殺到し、視覚障害
者の人が友人経由で『辞めてほしい』といい、川内さんも『辞めて欲しい、原発、震災の国難への対
応はダメ、真のリーダーが必要」と言うことです。(略)菅総理ではダメなら、他の人では、であり、誰
が適任かは、『小沢一郎』と思う、国民的には何だそれと言うことだが、『誰がやるか』ではなく、『何
をやるか』であり、原発はいざとなったら大変であり、エネルギー政策を転換する、浜岡は停止では
なく廃炉と言う政治家が必要(略)、(毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」キャスターの)水野さん、
小沢氏にたね蒔きジャーナルに出て欲しいのです。」

原発事故の対応について「菅総理に物申す」というのはよくわかりますが、それがなぜ唐突に「小沢
一郎」待望論になるのでしょう? 同情報によれば小沢一郎は「真のリーダー」であり、「原発はいざ
となったら大変であり、エネルギー政策を転換する、浜岡は停止ではなく廃炉と言う政治家」というこ
とのようですが、どれほどの根拠があってのそうした〈断定〉なのでしょう?

小沢一郎は〈脱原発論者〉などでは毛頭なく、逆に「民主党はもともと原発政策に関しては旧社会党
系の意見を一定程度容れた『慎重派』(消極的容認派)だった。それを自民党とまるっきり同じの『積
極的推進派』に変えてしまったのが小沢一郎なのである」という次のような指摘があります。

■小沢一郎が原発に慎重だった民主党の政策を「原発推進」に転換した(kojitakenの日記 2011年
3月23日)
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110323/1300836885

上記の指摘は2006年当時の新聞報道などを援用していて、客観的な証拠にもとづくものです。

さらに次の五十嵐仁さんのブログ記事も上記の指摘の信憑性を補強するものといえるでしょう。

■民主党と同じ頃、連合も原発推進へと方針を転換していた(五十嵐仁の転成仁語 2011年5月19
日)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2011-05-19
■連合は脱原発へと明確にエネルギー政策を転換するべきだ(五十嵐仁の転成仁語 2011年5月
20日) 
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20
■原発の新増設推進に合意した自治労の責任は大きい(五十嵐仁の転成仁語 2011年5月21日) 
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2011-05-21

小沢氏は〈脱原発論者〉などではありえないことは上記の記事に明白です。しかし、このように明々
白々な事実の指摘についても小沢擁護論者、たとえばそのひとりの天木直人氏は居直り強盗的と
もいえる次のような牽強付会な論理を展開して恥ともしません。

■小沢一郎はいまこそ反原発を宣言すべきである(天木直人のブログ 2011年3月27日)
http://www.amakiblog.com/archives/2011/03/27/

「小沢一郎が原発推進者だったという話が小沢批判者側から流されている。/もしそうであるとし
ても、小沢一郎はその事に対して言い訳をする必要はない。/加藤陽子を見習えばいいのだ。/
3月26日の毎日新聞「時代の風」で加藤陽子東大教授(歴史学)が「原発を許容していた私」とい
う見出しの寄稿で要旨次のように語っていた。/すなわちあの戦争を「許容していた」という反省
から、「俘虜記」、「レイテ戦記」などの作品で反戦を訴え続けた作家大岡昇平の例を引用しなが
ら、私は原発を許していた。温暖化の切り札として、インフラの海外輸出の柱として、そしてオール
電化の安全性として、原発是認の声は説得力があると思っていた。/その私が、今度の事故で
目覚めた。敗戦の総括が自力でできなかった日本ならば、せめて原発事故の誤りを繰り返しては
ならない、と。/強烈な反省と覚醒である。」

大岡昇平の例を出さずとも、これまでのおのれの思想や愚行を反省して悔い改めるのはもちろん
悪いことではありません。私は加藤陽子氏のその反省の質の本物性についてここで論じるつもり
はありません。が、一般的にいって真の反省のないところに(キリスト教的な「懺悔」を比ゆとして
用いますが)「新生」も「復活」もありえません。小沢一郎氏の場合、おのれの思想を真に脱原発の
思想に改悛したというのであれば、民主党の政策を「原発推進」に転換した2006年当時のおの
れの理念と思想を「強烈に反省」し、悔い改める必要がその「反省」の前提条件としてあるでしょう。
しかし、その真の意味での反省は小沢氏からも民主党からも一切聞こえてきません。「小沢一郎
はその事に対して言い訳をする必要」があるのです。

週刊誌「AERA」(2011年4月25日号)の報じるところによれば、「民主党は東京電力の『電力総連』
という労組から合計8740万円もの献金を受けて」います。その内訳は、「小林正夫議員4000万
円、藤原正司議員3300万円、中山義活議員700万円、吉田治議員700万円、川端達夫議員
30万円、近藤洋介議員10万円」。左記の5人の民主党議員のうちの2人は小沢派(藤原、吉田)、
3人は鳩山派(小林、中山、川端)です。小沢派の身内に2人もの原発推進議員を抱えたままで
仮に脱原発宣言をしたとして、人々(市民)の誰が信用するでしょうか。人々(市民)の誰にも決し
て信用されはしないでしょう。「小沢一郎はその事に対して(とりわけ)言い訳をする必要」がある
のです。

さて、これまで冒頭で述べた7人の便乗反原発論者(及びそれに準じる者)のうち武田邦彦氏(注)、
五百旗頭真氏、勝間和代氏、小佐古敏荘氏の4人について批判してきましたが、あと佐藤優氏、
住田健二氏、弘兼憲史氏の3氏の批判が残されています。佐藤優批判については冒頭でもご紹
介しました金光翔さんに詳しい論があります。私の佐藤批判は金光翔さんの論を超えるものでは
ありませんので、金さんの該当論攷を紹介することで、かつ金さんに対して僭越至極であることは
承知の上で私の佐藤批判に代えさせていただきたいと思います。

■佐藤優の原発問題関連の発言について(1)(金光翔 2011年3月30日)
http://watashinim.exblog.jp/13271620/
■佐藤優の原発問題関連の発言について(2)(金光翔 2011年3月31日)
http://watashinim.exblog.jp/13279016/
■佐藤優の原発問題関連の発言について(3)(金光翔 2011年4月2日)
http://watashinim.exblog.jp/13293331/
■佐藤優の原発問題関連の発言について(4)(金光翔 2011年4月2日)
http://watashinim.exblog.jp/13293493/
■佐藤優の原発問題関連の発言について(5)(金光翔 2011年4月3日)
http://watashinim.exblog.jp/13300046/

住田健二氏(大阪大学名誉教授)については、先頃、これまで原発を推進してきた元原子力安
全委員らが福島原発事故についての反省的「緊急建言」を発表しましたが、住田氏は、元原子
力安全委員会委員長代理、元日本原子力学会会長の肩書きでその「緊急建言」に署名した1
6人のメンバーのひとりです。私は住田氏の最近の発言、「自分は原子力村の一員でも村の外
れ的存在。原子力村のリーダーではない」「原発は地震国で存在できるかについては、存在さ
せないといけない。原子力を安全に使えると考えている」などの発言は根底的な反省が不十分
で、今年80歳の長老とはいえ、いやそれだけになおさら十分に批判されておかなければならな
い性質のものというべきだろう、と思っていますが、それ以上に住田氏を批判する材料を持ち合
わせていません。くれぐれも反原発に改悛した元原子力学者というがごとき賞賛のたぐいは厳
に慎まれなければならないものだ、という指摘にとどめておきたいと思います。

弘兼憲史氏(漫画家)についても、同氏は文化放送にレギュラー番組を持っており、これまでも
同番組を通してタカ派的な発言を繰り返してきた人。また、同氏は、原発メーカー東芝と一心同
体で、原発神話の拡大普及にも大きな「功績」のあった人でもある。そういう人が反省もなく、何
事もなかったように番組でとりつくった話をしている。きわめて不愉快である、という指摘がある
ことのご紹介にとどめたいと思います(それ以上のことについてはこの件についても私は適切
に弘兼批判を展開する材料を持ち合わせていません)。

注:私は武田邦彦氏については第2回目の連載で「『かつての原発推進学者が反原発学者に
転向した』というたぐいの一種の〈貴種流離譚〉記事として市民の間に「拡散」されて」いると批
判しているのですが、同氏は最近の発言で「私自身によっては(ママ)2006年の地震指針の
ときに原発推進派から批判派に変わった。今度のときを機にずいぶん苦しみましたけれど批
判派からはっきりとした反対派(に変わった)」(岩上安身氏インタビュー 2011年5月12日)と
述べています。
http://www.ustream.tv/recorded/14646649(3:39秒頃) 

武田氏のこの自己評価について、私はこれまでの彼のトンデモ発言からしておおいに疑問を
持っていますが、ほんとうに原発反対派に変わったのであれば、それはそれで評価すべきも
のです。彼の同発言が真実のものかどうか、しばらく注視したいと思っています。

次回は「拡散」という言葉を不用意に頻発する最近のある種のメールについての私の違和感
について書きます。それでこの連載を了としたいと思っています。


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/




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