[CML 009510] 石原慎太郎支持層に届かなかった石原批判

Hayariki hedomura2 at hotmail.co.jp
2011年 5月 10日 (火) 19:52:45 JST


【PJニュース 2011年5月9日】2011年4月の東京都知事選挙では現職の石原慎太郎氏が再選した。石原氏は数々の暴言や失言を繰り返してきた人物である。批判者にとって石原氏ほど批判しやすい人物は存在しない。それにも関わらず、石原氏は東京都知事に再選した。ここから有名人好きの東京都民の民度の低さと片付けることは容易であるが、石原氏支持者の心理と批判者の限界を分析することは有益である。

暴言や失言を繰り返す石原氏を支持する層には二つのパターンに分類できる。

第一に暴言そのものを支持する層である。石原氏の発言を暴言とは捉えず、反対にタブー破りの正論であり、「よく言った」と持ち上げる。このような層は石原氏の発言を問題とは考えていない。だから石原氏を支持することには論理的な一貫性がある。石原氏の問題発言を批判したところで、彼らの心には響かない。

第二に暴言にも関わらず、石原氏を支持する層である。彼らは暴言を支持するものではない。それでも、石原氏は悪い点もあるが、良い点もあるというスタンスで、石原氏を支持する。悪い点もあるが、良い点もあるならば、差し引きすれば大して良い政治家にはならない。

しかし、何故か悪い点があることも優れた政治家の魅力と評価されてしまう傾向にある。石原氏に数々の欠点が存在すること自体が型破りの候補者を求める有権者に逆に魅力的に映ってしまうという困った現実がある(林田力「都知事選出馬の渡辺美樹・ワタミ会長の経営の評価」PJニュース2011年2月21日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110219_3/

ステレオタイプな評価をすれば、日本人は「けなしの文化」「減点主義」とされる。特に同格以下の存在に対する日本人の「けなしの文化」「減点主義」は容赦がない。ところが、石原氏のような権力者に対してだけは加点主義で好意的評価を下すという醜悪さがある。

この第二の層は第一の層よりも穏健であるが、論理的には徹底していない。従って石原批判者としては第二の層を説得することが批判を広げるための合理的な戦略になる。良い点も悪い点もあると考える人には、悪い点が大きいことを示せば説得可能である。

第一の層と第ニの層は固定的なものではなく、暴言の内容によって流動する。三国人発言を支持する人種差別主義者でも、天罰発言には腹を立てた人は少なくない。天罰発言後の石原氏に対する支持層は第二の層が圧倒的に多くなる。反石原陣営にとっては説得可能な層が増えたことになる。

再びステレオタイプな評価をすれば、日本人は同質性が強く、異なる立場への共感力に乏しい。人権意識の高い国では政治生命を絶たれるマイノリティへの差別発言もスルーされがちである。これに対し、現実に大勢の日本人が被災し、誰もが被害に遭う可能性がある地震や津波の被災者への暴言には腹を立てる。現実に天罰発言は広範な反発を呼び、石原氏も陳謝を余儀なくされた。

日本人に対する天罰発言はマイノリティへの差別発言の延長線上のものである。マイノリティを差別する人種差別主義者は、やがては日本人にも矛先を向けることを石原発言は示している。在日コリアンの差別を放置・助長するような政治家が日本人の人権を保障することはない(林田力「延坪島砲撃事件による朝鮮学校無償化停止の不当(下)」PJニュース2010年11月30日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101126_4/

従ってマイノリティの差別発言と天罰発言で反発の大きさが異なること自体が日本社会の後進性、人権意識の低さを示している。一方で、そのような意識の低い日本人にも天罰発言は石原氏の問題を理解させる材料になった。現実にインターネットでは石原氏の天罰発言と原発推進姿勢を結び付けて、再選阻止を目指す声が盛り上がった。被災者の痛みを感じないから危険な原発を推進するという論理である。

ところが、現実社会では盛り上がりに欠けた。ここには現実社会の石原批判の担い手である左派市民の限界がある。左派市民は石原氏を痛烈に批判する。しかし、その石原氏批判が公正なものであるかが問題である。
http://www.pjnews.net/news/794/20110509_5
暴言批判を前面に出した石原批判は、突き詰めれば石原慎太郎という人格の否定になる。「石原慎太郎が生理的に嫌い」も反石原の立派な理由である。しかし、その批判が石原支持層に届くかは別問題である。「私は石原氏が好きだから、欠点があっても好意的評価をする」と返され、平行線になってしまう。

この平行線を打ち破るほどの論理性を左派が有しているかが問題である。石原氏を痛烈に批判する左派も実は身内には甘い傾向がある。政府や企業の汚職や疑惑を鋭く追及していた社民党代議士や労働組合が、裏では秘書給与のピンハネやヤミ専従などの不正をしていた。この種の二準基準が石原批判からも感じ取られている恐れがある。

実際、石原氏を激しく非難する左派の運動家も、問題発言したメンバーに対しては「他人同士のこととなると実に的確・冷静な判断・指摘をすることのできる人かもしれない」と擁護した例がある。それならば天罰発言の石原氏も政治家としては適切な能力を発揮するかもしれないという論理も成り立つが、市民同士の場合と政治家への批判は異なると二重基準を正当化した。

このような人物の石原批判が石原支持層に届かないことは至極当然である。単に石原氏が嫌いな人のたわ言と受け止められてしまう。正義を追求する側にばかり高い倫理性を要求する日本社会の二重基準は不公正であるが、自分たちにだけ甘い左派の二重基準に厳しい視線が向けられていることに左派も自覚する必要がある。【了】



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