[CML 009437] 福島第一原発事故以後 〈反原発〉の国民的怒りの波に便乗しようとする「研究者」なる者と著名人なる者の正味の正体(1) はじめに総論のようなものとして

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2011年 5月 7日 (土) 21:56:50 JST


2011年3月11日にわが国を襲った未曾有の大震災である東日本大震災(天災と人災の両方の側面
を持つ)とそれにともなうこれもまた未曾有の〈大人災〉である福島第一原発事故の発生以来、政府(原
子力災害対策本部、原子力安全・保安院など)と東電の意図的な情報隠しと情報操作。その意図的に
情報操作された政府と東電の大本営発表しか垂れ流さないマスメディアの報道のていたらくに業を煮
やしたかのように矢継ぎ早に発信される反原発研究者や反原発研究機関の情報を基調とする市民レ
ベルでの情報発信(主にメーリングリストを通じて)はこの間目を瞠るものがありました。

その間髪を容れない早業ともいうべき市民レベルでの今回の情報発信は、ひとつはこれまで警告し続
けてきた原発災害、それも天変地異ならぬ人変地異ともいうべき大災害が現実に起こったことへの市
民の激しい怒りの現われの表出と見るべきものでしょう。その寸暇と労苦を惜しまない即断即時の市
民の情報発信は尊敬に値するものですし、また、大いに評価されてしかるべきものです。原発の仕組
みや放射能、また医学的知識のある市民からは非常に質の高い情報も数多く発信されてきました。

が、玉石混交。ということはどこにでもよく見られることですが、情報の精度やその情報の信頼性を自
ら確かめることもなく、ただ〈反原発〉らしいというだけであまりにも無思慮、無造作に、それも孫引きの
また孫引きという形で投稿を乱発する現象(「拡散」という言葉を不用意に頻発するメールにその種の
ものは多いように見受けられます。この日本語の用法としてはおかしい「拡散」という用法への違和感
については稿をあらためて論じることにします)も少なからず現在進行形で見受けられるように思いま
す。

ここではそうした「拡散」メールのうちその情報を見なかったことにしてそのままうち捨てておくにはあま
りにも悪影響が大きすぎると思われる〈反原発〉の国民的怒りの波に便乗しようとする「研究者」、また
著名人なる者の「情報」を自らの不確かな目で過大評価して無批判に垂れ流す一部の傾向について
批判を加えておきたいと思います。

私がここで批判しようと思っている「研究者」、著名人の名前をあらかじめ示しておきますと、その批判
の質はおのずからそれぞれ異なることになるのですが、とりあえずのところ次のような人たちです。武
田邦彦氏(中部大学教授)、五百旗頭真氏(神戸大学名誉教授、現防衛大学校長)、勝間和代氏(評
論家)、弘兼憲史氏(漫画家)、小佐古敏荘氏(東京大学大学院教授)、住田健二氏(大阪大学名誉教
授)、佐藤優氏(元外交官)。この人たちを何回かに分けて批判していきます。

さて、その前に総論的なことをひとこと述べておきたいと思います。それは加藤周一が「大勢順応主義
(日本的コンフォーミズム)」と呼ぶ日本人一般(市民一般と言い換えても同じことですが)の心性につ
いてです。加藤によれば、大勢順応主義とは、現在の大勢を判断してそれに従う。そして大勢それ自
体は所与のものになっていて、その所与の大勢を無批判に受け入れる態度のことをいいますが(『日
本文化のかくれた形(かた)』など)、その大勢なるものは必ずしも政治状況である必要はありません。
それがたとえば文化状況であったとしても同じことです。明治以後の西欧化、戦後のアメリカナイズ。
そうした文化の流入に対してもそれが大勢なら日本人(市民)はたやすくかつ無批判に順応する。そ
うした心性のことを言います。また、大勢にも階層があって、そこには保守政治的なレベルの階層も
あれば左翼的レベル、また市民的レベルの階層もある。そうした階層ごとにも日本人(市民)の大勢
順応主義はいかんなく発揮される。そうした指摘なのです。

私がここでなにが言いたいのかといえば、〈反原発〉はいまの市民レベルの大勢というべきものです
が、上記でも少し述べたようにそれが〈反原発らしい〉というだけで、それが大勢を構成しているらし
い様子がうかがえればそうした〈反原発らしい〉ものにも市民はたやすく順応する心性を持っている、
ということです。いまの現状がそのことをまさに証明しています。

最近偶然に戦後初期のふたりの戦争史家の文章に触れる機会がありました。ひとりは毎日新聞の
山田孝男編集委員が風知草「『原発への警鐘』再び」(同紙、2011年4月25日付)で紹介する経済評
論家の内橋克人さんの著書『原発への警鐘』(原題「日本エネルギー戦争の現場」1984年)の引用
から。

「内橋は、『原発への警鐘』の終盤で、第二次大戦の敗因を分析した戦争史家の文章から以下を引
用している。/『有利な情報に耳を傾け、不利な情報は無視する(日本政府固有の)悪癖に由来す
るが、日本的な意思決定方式の欠陥を暴露したものであろう。会して議せず、議して決せず……。
意思決定が遅く、一度決定すると容易に変更できない。変化の激しい戦争には最悪の方式で、常
に手遅れを繰り返し、ついに命取りになった……』」(風知草:「原発への警鐘」再び=山田孝男)
http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20110425ddm012070041000c.html

もうひとりは批評家の金光翔さんが「これは前からわかっていたことなんだから、少しも心配するこ
とはない」(2011年3月29日付)という記事で紹介する同氏の引用から。

「ところで、偶然、友人に勧められてルース・ベネディクトの『菊と刀』を10数年ぶりに再読していたと
ころだったのだが、以下の一節に目が釘付けになってしまった(強調は引用者)。/『日本人が戦争
中にあらゆる種類の事柄に関して述べた言葉が、比較文化研究者には日本人を知る好個の材料
となった。・・・・・・どんな破局に臨んでも、(略)日本人の国民に対するおきまりのせりふは、これは
前からわかっていたことなんだから、少しも心配することはない、というのであった。明らかに、お前
たちは依然として何もかもすっかりわかっている世界の中に住んでいるのだと告げることによって、
日本国民に安心を与えることができると信じたからであろう。(略)日本人はあらかじめ計画され進
路の定まった生活様式の中でしか安心を得ることができず、予見されなかった事柄に最大の脅威
を感じる。」(金光翔 私にも話させて)
http://watashinim.exblog.jp/13263227/

このふたりの戦争史家の文章の引用は日本人(市民)の「大勢順応主義(日本的コンフォーミズム)」
の行き着くところの説明になりえているものとして私には興味深いものがありました(どちらともか
つて読んだ本ではありますが)。

金光翔さんには市民の〈反原発〉現象(と一応言っておきますが、「現象」という言葉に批判の意図
を込めているつもりはありません)に関わる私として聞くべき次のような省察もあります。

「佐藤(注:優)をこの数年間、全面的にバックアップしてきており、現在も極めて積極的に擁護して
いるのが岩波書店(『世界』)、『金曜日』その他のリベラル・左派メディアであることは改めて言うま
でもない。(略)佐藤が上記のような犯罪的な言説を垂れ流している(注:私にも話させて「佐藤優
の原発問題関連の発言について(1)」2011年3月30日付参照)ことについて、岩波書店その他の
リベラル・左派メディアが責任を有することは明らかであって、これらのメディアが今後、どれほど
原発関連で『良心的な』記事を載せようと、本質的には二枚舌以外の何者でもない。」
http://watashinim.exblog.jp/13271620/

「ウェブ上での原発危機関連の発言で、一つ不思議なのは、小沢派と目されるジャーナリスト(上杉
隆ら)や無名のブロガーたちが、危機意識を煽りまくっている(略)、というのが率直な印象なのであ
る。様々な情報・見解を提供してくれている原子力資料情報室(CNIC)のような、それ自体としては
有益であろう機関も、青木理や岩上安身のような小沢派ジャーナリストが積極的に関与しているの
を見ると、いささか距離を置いて考える必要性を感じざるを得ない。」(「佐藤優の原発問題関連の
発言について(4)」2011年4月2日付)
http://watashinim.exblog.jp/13293493/

以上、総論のようなものとしての私の問題提起です。


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/



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