[CML 009345] ヴィットリオ・アッリゴーニの葬儀

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2011年 5月 3日 (火) 02:12:40 JST


みなさまへ   (BCCにて)松元@パレスチナ連帯・札幌 


ガザで殺害されたヴィットリオ・アッリゴーニの葬儀が4月24日日曜日、彼の故郷北イタリアのブルチャーゴで執り行なわれました。イタリア在住の石山奈緒さんから「ピース・リポーター紙」に掲載されたルカ・ガラッシ氏の弔問記事が送られてきました。

=====転送転載歓迎=======

PeaceReporter
2011年4月24日
ルカ・ガラッシ

《ヴィックへ最後のお別れ》

ヴィットリオ・アッリゴーニの葬儀がブルチャーゴで執り行われた。二千人の参列者の前で語った母親の言葉の中からは感動と希望が感じられた。

彼はキリストと同じように十字架の上で死んだ。迫害された民族の復活のために。この民族が正義と平和を手に入れることができるように。4月15日ガザでイスラム過激派たちの手によって殺害されたヴィットリオ・アッリゴーニに最後の別れを告げるため、詰めかけた友人たちで一杯となったブルチャーゴのスポーツセンターの体育館の中に、エルサレム名誉大司教ヒラリオン・カプッチ師の言葉が鳴り響いた。

この葬儀に参列するため、イタリア各地そして海外からも友人、知人、そして自治体代表から一般市民に至るまで何百人もの人々が駆けつけた。カフィアを身につけ、紙に平和活動家の写真を印刷したものを手にし、また即興で綴った詩やメッセージと共に、何百人もの人々が小さな体育館を一杯に満たし、それ以外にも何百人もの人々が体育館の外で葬儀を見守っていた。個人で、もしくはグループや団体代表として駆けつけた二千人以上の人々は、平和の旗だけを掲げた。それが遺族の意向だったからである。ヴィックはどの旗にも属していなかった。パレスチナの旗以外には。彼の亡骸が入った棺には三色からなるイタリア国旗とその三色に黒が混じったパレスチナ国旗がかけられていた。

キリスト教復活祭の日には二つのミサが執り行われた。最初のミサは、復活祭の讃美歌の調べに乗って、エルサレム高位聖職者とブリアンザ教区司祭のファブリツィオ神父、そして前ブリアンザ教区司祭のフェリーチェ神父による三名で執り行われたカトリック式典礼であった。二つ目のミサは、自治体の長、友人、人道ボランティア、そして母親であるエジディア・ベレッタ氏(彼女はブルチャーゴ村長である)からのメッセージによって「執り行われた」世俗的な葬儀となり「Bella ciao(ベッラ・チャオ)」 
(註)の歌によって彩られた。

エルサレム司教は感動的な言葉でヴィットリオに対する敬意を表わした。「私は一司教である。司教とは他者に仕える者であり、また狼が現れる時には羊の群れを守る牧者である。私にとって羊の群れとは、すべてのパレスチナ人のことを指している。苦しみを受け、迫害を受けてきた民族である。この羊の群れを守ってきたのは、私一人だけではなかった。私達の息子ヴィットリオもまた素晴らしい牧者であり、パレスチナ人たちを守ってきた。彼に対する感謝の気持ちを表す適当な言葉が見つからない。ヴィットリオは国籍上はイタリア人だったが、心情はパレスチナ人そのものであった。彼をパレスチナ人として見なすことを私達は光栄に思う。」

葬儀にはパレスチナからの代表団も数多く参加した。その一人に、最前列のヴィットリオの妹アレッサンドラの隣に座るオサマがいた。彼はパレスチナ人の友人で、ヴィットリオの棺がイタリアに帰還する道程に同行するため、ロンドンからガザへと向かっていた。ブルチャーゴで執り行われた葬儀と同時にガザとラマラでも二つのミサがヴィットリオのために行なわれた。

万雷の拍手がパクス・クリスティのコーディネーター、ナンド・カポヴィッラ神父に対し送られた。彼はこの葬儀に誰一人イタリア政府高官が参列しなかったことを批判したのである。「この葬儀に我々の政府高官が誰一人全く姿を見せないことは、私達を不安にさせる」とナンド神父は続けた。「不安にさせるが、もうこれ以上私達は驚かないだろう。」

パレスチナ支援団体の代表者たちは、ガザの封鎖について言及し、またイスラエルによる政策についても強く批判した。「ヴィットリオ、あなたは『レッド・キャスト』軍事作戦中もイスラエル政府による犯罪行為を告発するため、爆弾の落ちるガザにとどまり続けました。私達はイスラエルという。植民地主義であり、また人種差別を行なう国家に対するボイコット運動を続けていきます。パレスチナのあらゆる川や海が解放され、人々の手に戻るまでボイコット運動を広めていきます。」

最後に母親のエジディア氏がメッセージを読み上げた。
「ヴィットリオは英雄でも、また殉教者でもなく、ただ一人の青年でした。彼は特別な人生を送りながらも、人権は普遍的なものであること、それゆえに世界の至る所で尊重され、また守られるべきものだと強く主張することを願っていたのです。」とベレッタ夫人は続けた。「そして私達の誰かが、居心地の良い環境の中で『私はそこにいなかった。知らなかった』と言うことがないように、不正義は語られ、また記録に残されるべきだと確信していたのです。ヴィットリオは証人であり、偉大な人権活動家でした。

私達は理想に即した努力というものを彼から学ばなければいけません。彼の原点である非暴主義からも、具体的な行動を引き出し、私達も世界の至る所で人権活動家となるべく力を引き出さなければなりません。私達はあなた方のうち、どれだけの人々が世界中で彼のことを愛してくれているのか知りもせず、また想像もしていませんでした。どうか信じて下さい。それがこの辛い日々に私達の傷ついた心を思いがけなく支えてくださったことを。

みなさん、そしてパレスチナの子どもたちへ愛情をこめて。特にガザにいるヴィットリオの友人たちに惜しみない愛情を捧げます。ガザは彼にとって第二の故郷でした。一致団結してあなた方の祖国のために勇気と希望をもって活動を続けて下さい。ヴィットリオはたった一つだけ武器を持っていました。それは言葉と証言でした。人間であり続けましょう。サラーム・アレイクム。」

記事/ルカ・ガラッシ(Luca Galassi)
http://it.peacereporter.net/articolo/28145/Vik,+l'ultimo+saluto
(石山奈緒訳)


註:「Bella ciao(ベッラ・チャオ)」は第二次世界大戦中、イタリアのパルチザンたちが口ずさんだ歌と言われています。
参考サイト:http://en.wikipedia.org/wiki/Bella_ciao

ヴィットリオ氏の葬儀を映したビデオ(大勢の人々がベッラ・チャオの歌を口ずさんでいます):http://www.nena-news.com/?p=9281

こちらも葬儀についてリポートしたサイトですが、時間の関係で翻訳ができませんでした。写真が数枚掲載されているので、葬儀の様子が伝わると思います。http://www.infopal.it/leggi.php?id=18177

また報告ですが、来る5月15日に「Vik 2 Gaza」(ヴィック・トゥー・ガザ)というコンボイがガザへ向けて出発します。5月10日にエジプトのラファで集合して、それからガザ入りするそうです。参加者を募っていますので、あまり日数はありませんが、関心のある方はこちらのサイトをご覧下さい。(英語)http://www.vik2gaza.org/index.html

そしてガザで活動を続けているケン氏がサモウイ一家プロジェクトを進めています。(2009年1月に同一家のうち30名が虐殺されました。詳しくは次のサイトをご覧下さい。)
http://www.indiegogo.com/Samouni-Family-Convoy-to-Gaza

5月末にガザへ向けて準備中の自由船団についても、詳しい情報が入り次第、報告いたします。
http://www.freedomflotilla.it/2011/05/01/gaza-stiamo-arrivando-con-vittorio-nel-cuore/

5月14日にローマにて自由船団イタリアがガザ封鎖、そしてパレスチナ占領に対するデモンストレーションを行なう予定です。(石山奈緒)
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