[CML 008616] 【元祖「震災デマ」男】 「(大震災時の)三国人…大騒擾事件…自衛隊…治安維持遂行」の石原が、「依然として原発推進論者だ」と持論を展開

uchitomi makoto muchitomi at hotmail.com
2011年 3月 28日 (月) 07:22:01 JST


「元祖震災デマ男」(「(大震災時の)三国人…大騒擾事件…自衛隊…治安維持遂行」)が、わざわざ原発事故被災地の福島県を訪れて「依然として原発推進論者だ」と持論を展開したそうです。そこまで言うなら「福島の皆さん、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。今後は東京に原発をつくります」とはっきりと言えばいいのに。東北地方に危険極まりない施設を押し付けておいて、まだ「原発推進」を明言するのこの男の差別的な感性が信じられません。
 
 
国民全体の罪だ…石原知事「天罰」発言
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110326-OYT1T00223.htm

報道陣の質問に答える石原都知事
 
 東京都の石原慎太郎知事は25日、福島市の福島県自治会館に佐藤雄平知事を訪ね、「東京はできるだけのことをやるから、おっしゃってください」と最大限の支援を約束した。
 
 会談後、石原知事は「東京で使う電力はほとんど福島からもらっていた。東京の生活は福島のおかげだ」と福島県に敬意を表した。その上で、「水力、火力では限界もある。原発を欠いては日本経済は成り立たない」と強調し、「依然として原発推進論者だ」と持論を展開した。
 
 一方、農作物の風評被害については、「もうちょっと落ち着くべきだ。放射能の被害のない農産物(に関する情報)を政府は伝えろと要請するつもりだ」と述べ、パニックを避ける努力をすべきだとの認識を示した。
 
 また、東日本巨大地震に関連し、「天罰」と発言したことについては、「片言隻句をとらえて批判するのは報道として卑劣だ」としながらも、「福島県民に罪はない。国民全体の罪だ」と釈明した。
 
(2011年3月26日09時44分  読売新聞)

 
 
 
石原慎太郎東京都知事の差別発言に抗議する
http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/syucyou/sangokujin_hatugen.html
 
 石原慎太郎東京都知事は、4月9日におこなわれた陸上自衛隊第1師団の「創隊記念式典」に出席し、「東京では、不法入国した三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。大きな騒じょう事件すら想定される。警察の力には限りがあるので、自衛隊も、治安の維持も目的として遂行してもらいたい」とあいさつした。
 
 
石原知事全発言 
http://web.archive.org/web/20040222073421/www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/ishihara/hatsugen09-2.html
 
「先程、師団長の言葉にありましたが、この9月3日(9月1日が関東大震災の日)に陸海空の3軍を使ってのこの東京を防衛する、災害を防止する、災害を救急する大演習をやって頂きます。今日の東京をみますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京の犯罪の形は過去と違ってきた。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな大きな騒じょう事件すらですね想定される、そういう現状であります。こういうことに対処するためには我々警察の力をもっても限りがある。だからこそ、そういう時に皆さんに出動願って、災害の救急だけではなしに、やはり治安の維持も1つ皆さんの大きな目的として遂行して頂きたいということを期待しております。」 

 
 
「外国人窃盗団」「雨当たれば被曝」被災地、広がるデマ
http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY201103250527.html
 
避難所では「支援物資が外国人に略奪されている」
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/233929
 
「避難所となった三条中(仙台市青葉区)で中国人らが支援物資を略奪している」。震災数日後、ネットや口コミを通じ、こんなデマが流れた
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110322t73030.htm
 
東日本大震災の後、被災地で性犯罪や外国人4 件による略奪行為が多発している、といったデマ4 件が横行している
http://www.47news.jp/news/2011/03/post_20110322111012.html
 
 
 
関東大震災
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
 
デマの中には朝鮮人が「暴徒化[4]した」「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」というものもあった。このデマを流布した首謀者は、時の警視庁官房主事で後に読売新聞社主となる正力松太郎である(正力の項も参照)。震災で焼け出された各新聞の記者が、警視庁官房に食糧や飲料が集まっているという情報を聞きつけ、手に入れようと次々に正力のもとを訪れた。そこで、正力が「朝鮮人暴徒化の噂が流れている」とリークし、鵜呑みにした記者たちが記事にしたことによってデマが広がったのである(後に正力はこれを「虚報」と認めている)[5]。 各種の噂がデマであると最初に言い出した後藤新平内務大臣兼帝都復興院総裁が「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、彼らとてそのままは引き下がらないだろう。必ずその報復がくる。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあたら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは、自警団には気の毒だが、引いてもらう。ねぎらいはするつもりだがね。」と正力に語った言葉に感激し、正力はあえて風評の打消し役に徹したという説もある[6]。
 
このような状況のもと、大災害時に情報が遮断された中で“朝鮮人”の「強奪」「強姦」に怯える日本人は多かった。
時の警視総監・赤池濃は「警察のみならず国家の全力を挙て、治安を維持」するために、「衛戌総督に出兵を要求すると同時に、警保局長に切言して」内務大臣・水野錬太郎に「戒厳令の発布を建言」した。これを受けて内務省警保局(局長後藤文夫)が各地方長官に向けて以下の内容の警報を打電した。
 
「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加え、朝鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」
更に警視庁からも戒厳司令部宛に
「鮮人中不逞の挙について放火その他凶暴なる行為に出(いず)る者ありて、現に淀橋・大塚等に於て検挙したる向きあり。
 
この際これら鮮人に対する取締りを厳にして警戒上違算無きを期せられたし」
と“朝鮮人による火薬庫放火計画”なるものが伝えられた[7]。
 
実際、当時の混乱の中、大衆の多くが“暴徒と化した朝鮮人”を恐れ、自警団との衝突も発生した。そのため、朝鮮人や中国人なども含めた死者が出た。朝鮮語では語頭に濁音が来ないことから、道行く人に「十五円五十銭」や「ガギグゲゴ」などを言わせ、うまく言えないと朝鮮人として暴行、殺害した[8]。当時早稲田大学在学中であった後の大阪市長中馬馨は、叔母の家に見舞いに行く途中群集に取り囲まれ、下富坂警察署に連行され「死を覚悟」する程の暴行を受けたという[9]。また、福田村事件のように、方言を話す地方出身の日本内地人が殺害されたケースもある。聾唖者(聴覚障害者)も、多くが殺された[要出典]。 一方で横浜市の鶴見警察署長・大川常吉は、保護下にある朝鮮人等300人の奪取を防ぐために、1000人の群衆に対峙して「朝鮮人を諸君には絶対に渡さん。この大川を殺してから連れて行け。そのかわり諸君らと命の続く限り戦う」と群衆を追い返した。さらに「毒を入れたという井戸水を持ってこい。その井戸水を飲んでみせよう」と言って一升ビンの水を飲
み干したとされる[10]。また、軍も多くの朝鮮人を保護した。
 
殺害された人数は複数の記録、報告書などから研究者の間で議論が分かれており、当時の政府(司法省)の調査では233人、吉野作造の調査では2613人余[11]、最も犠牲者を多く見積もる立場からは6661人(上海の大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」社長の金承学の調査)[12]と幅が見られる[13]。内務省警保局調査(「大正12年9月1日以後ニ於ケル警戒措置一斑」)では、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった[13]。
 
また警察は、朝鮮人・中国人などを襲撃した日本人を逮捕している。殺人・殺人未遂・傷害致死・傷害の4つの罪名で起訴された日本人は362名に及んだ。しかし、そのほとんどが執行猶予となり、福田村事件では実刑となった者も皇太子(のちの昭和天皇。当時は摂政)結婚で恩赦になった[14]。“自警団”が本格的に取り締まられるようになるのは10月、解散が命じられるようになるのは11月のことである。
 
朝鮮人による殺人・放火・強姦などの新聞報道は一定期間差し止められ報道統制がなされた[15]。10月21日に差し止めが解除されると翌10月22日から震災時の事件の真相が報道されるようになった。
 
陸軍や憲兵隊の中には、社会主義や自由主義の指導者を殺害しようとする動きがあり、大杉栄・伊藤野枝・大杉の6歳の甥橘宗一らが殺された甘粕事件(大杉事件)、労働運動の指導者であった平澤計七など13人が亀戸警察署で軍に銃殺され平澤は首を切り落とされた亀戸事件、在日中国人指導者の王希天などの殺害事件が起きた。
  		 	   		  


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