[CML 008454] 福島第一原発事故の被曝と医療被曝の比較はナンセンス:林田力

Hayariki hedomura2 at hotmail.co.jp
2011年 3月 22日 (火) 21:26:44 JST


東日本震災による福島第1原発の事故について、原子力安全保安院は2010年3月18日、国際原子力機関(IAEA)の評価基準でレベル5に相当すると発表した。1979年のスリーマイル島原発事故と同レベルになった。一方、フランス原子力安全局は15日の時点でレベル6に相当すると発表した。

評価基準のレベル5は「施設外へのリスクを伴う事故」「放射性物質の限られた外部放出」、レベル6は「大事故」「放射性物質のかなりの外部放出」を意味する。環境や人体への影響を評価しなければ、最終的なレベル判断はできない。

既に東日本各地では通常よりも高い放射線量が観測され、多数の住民に多大な恐怖を与えた。18日には米国西海岸カリフォルニア州でも、通常より僅かに数値の高い放射線量が観測されたとCNNが報道した。これらの放射線量は「人体に影響がないレベル」と説明されている。そこではレントゲンやCTスキャンなどの医療被曝と対比して安全性を云々する傾向が見られるが、これはナンセンスである。以下に理由を述べる。

第一に医療被曝の放射線総量と、恒常的に浴び続ける時間当たりの放射線量を同列に並べることはできない。医療被曝では検査時に一回浴びるだけである。しかし、1時間当たり0.1マイクロシーベルトの環境に1日滞留したならば、2.4マイクロシーベルト被曝することになる。1時間当たりの放射線量が小さくても、長期的スパンで考えれば影響は無視できない。

放射線量の単位についても混同が見られる。人体への影響などでは主に「シーベルト/年」が使われる。これに対し、観測結果は「シーベルト/時間」である。「シーベルト/時間」を「シーベルト/年」に換算するならば24時間365日を乗じて8760倍にしなければならない。測定値が時間当たり1マイクロシーベルトならば、年間約8.8ミリシーベルト被曝する計算になる。

第二に放射線と放射性物質の相違である。医療被曝は放射線だけが問題である。これに対し、福島第一原発の事故では放射性物質が飛散している。既に神奈川県は16日に茅ケ崎市の県衛生研究所の分析で、大気中の粉塵から放射性物質のヨウ素とセシウムが検出されたと発表した。

関東地方の放射線量は15日に急上昇した後に低下したため、安心ムードが漂っているが、放射性物質は容易に消滅しない。他所に吹き飛ばされたのでなければ、土壌や河川を汚染していることになる。
http://www.pjnews.net/news/794/20110319_2
第三に内部被曝と外部被曝の相違である。医療被曝は外部被曝だけが問題である。これに対し、福島第一原発の事故では放射性物質の飛散によって、呼吸や食事で放射性物質の微粒子を体内に取り込む内部被曝の危険がある。放射性物質が体内に取り込まれれば遺伝子などに損傷を与え、ガンなどの様々な障害を引き起こすリスクを高める。

最後に比較の前提となっている医療被曝についても安全性を当然視できない。ようやく第一から第三の点まではメディアでも指摘されるようになったが、最後の点は軽視されている。僅かに3月14日の日本外国特派員協会主催の「第4回福島原発に関する原子力資料情報室記者会見」で後藤政志氏(東芝・元原子炉格納容器設計者)が触れている。

後藤氏は平等党報道部の田中昭氏の質問に対し、「被曝の専門家ではない」と留保しながらも、レントゲンとの比較は慎重にしなければならないと主張した。放射線を浴びることと、放射性物質が付着することは全く異なる。瞬間値ではなく、どれだけの時間浴びているかが問題である。レントゲンにはリスクがあり、やむを得ず行うものである。たとえ少ない量の放射線でも無意味に浴びることはガンなどのリスクを高めることになるとする。

医療被曝が決して安全でないことは書籍『増補新版 受ける? 受けない? エックス線 CT検査 医療被ばくのリスク』(高木学校医療被ばく問題研究グループ著、高木学校、2008年)で指摘済みである。本書の主張は明確である。医療被ばくにはリスクが伴う。たとえ一回一回は微量であっても、被ばくの障害は蓄積される。そして自覚症状のない健康な人にとって、エックス線検査を受けることで得られる利益がリスクを上回ることは証明されていないと主張する。

本書を読むと暗澹たる気持ちにさせられる。我々は健康になるために病院に行き、健康を維持するために検査を受ける。しかし、実はエックス線検査を受けることで健康を害している可能性がある。これほど馬鹿らしいことはない。

今日、エックス線を利用した検査は頻繁に行われている。それらに対しては一般に「微量だから人体に害はない」と説明される。それが科学的根拠に基づかないものであると本書は主張する。

「微量だから安全」という主張が成り立つためには、特定の値以上の放射線を浴びると有害であるが、それ以下ならば問題ないという閾値の存在が前提となる。しかし、本書では放射線の影響には閾値が存在しないことが国際的な常識であるとする(80頁)。たとえ微量であっても、全く浴びないことと比べれば、ガンになるリスクは高まる。従って検査の必要性とリスクを考量した上で、真に必要な場合にのみ限定すべきである。

私も子どもの頃にエックス線検査の安全性について質問したことがある。数ヶ月前に別の病院で検査を受けたばかりで、改めて受けることに懸念があったためである。それに対する医師の回答は「自然界に存在する放射線と同等だから問題ない」というものであった。問題ないと言いつつ、患者のみを残して扉を締め、隔離された状態で撮影することに不満があった。自然界にあるのと同等程度の線量ならば、そのように厳重に隔離して撮影することがおかしいのではないかと子ども心に思ったものである。

そもそも有害なものは少量でも、その分だけ有害と考える方が常識に適合する。一定量以上ならば有害であるが、一定量以下ならば無害という発想自体が本来は不自然である。不自然な主張が正当化されるためには、それなりの根拠が必要であるが、現実には閾値が一人歩きしている。

ここにはエックス線検査を推進したい側のニーズに適合させるための論理がある。本書が主張するとおり、「学問的な関心よりむしろ社会・経済的要素から」閾値は産み出されている(81頁)。現実に福島第一原発の事故対応のために、原発作業員の一年間に受ける放射線量の限度を現在の100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げる特例措置が採られた。

本書では医療従事者自体が医療被曝の危険性について十分な知識を有していないとの指摘もあり、問題の根は深い。医療被曝を主題とした本書であるが、それ以外にも考えさせられる内容である。本記事では二点ほど指摘する。

第一に自覚症状のない健康な人を検査することの意義である。被ばくの問題以前に、そもそも健康な人を早期発見のために何時間も検査に費やすことに意味があるのか、再検討する必要がある。本書では健康診断には軽微な変化を見つけて治療する結果を招きやすく、不必要な手術や過剰な服薬となる可能性が主張される(53頁)。

一般論としては病状が進行してからよりも、早期に治療した方が治癒の可能性が高い。それが医療費削減にも結びつくとされ、早期発見が推進されている。しかし、中には治療する必要のない問題もある。早期発見による早期治療に効果があるのか、科学的な考察を深める必要がある。

第二に行政の役割である。本書では主張の根拠に欧米諸国の行政が発表した文書を引用することが多い。国民の健康を守ることを使命とする保健衛生当局が放射能の害を研究し、警告を発することは当然である。しかし、寂しいことに日本の行政の文書は引用されていない。日本の行政は国民の健康を守る役割を果たしていないことになる。

日本の行政は消費者行政をはじめ、あらゆる分野で業者の側を向き、国民のための行政となっていないと批判されている。その行政批判が、ここでも当てはまる。医療被曝だけでも十分に重たい話題であるが、過剰な検診や行政のあり方など広く考えさせられる一冊である。

特に後者については現在進行形の問題である。日本政府は福島第1原発の半径20キロ圏内に避難、20〜30キロ圏内には屋内退避を指示した。これに対し、米国は3月16日に同原発から半径80キロ以内に住む米国人に避難勧告した。これに韓国や英国、オーストラリア、ニュージーランドも追随している。このため、「日本政府は国民の健康第一で動いていないのではないか」と疑問視する声が出ている。【了】
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『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者 林田力
http://book.geocities.jp/hedomura/
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