[CML 008010] 夫婦別姓と男女平等と個人の尊厳

Hayariki hedomura2 at hotmail.co.jp
2011年 3月 8日 (火) 10:57:57 JST


【PJニュース 2011年3月8日】夫婦同姓を定めた民法第750条が「個人の尊厳と両性の本質的平等」などを定めた憲法に違反すると主張する訴訟が起きている。夫婦同姓には制度自体に内在する問題と、日本人の意識が追い付いていないという問題がある。

事実婚を続けるフリーライターの加山恵美氏夫婦らは各々の姓で婚姻届を複数回提出したが、区役所に受理されなかったという。そこで婚姻届不受理処分の取り消しと損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した。東京地裁は2011年2月24日に一部判決を言い渡し、婚姻届不受理処分の取り消し請求を却下した。計600万円の慰謝料請求は審理を続ける。

民法第750条は以下のように夫婦同氏の原則を定めている。

「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」

一方で日本国憲法第24条は以下のように定める。

「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」

ここでは個人の尊厳と両性の本質的平等という二つの基準が挙げられている。従って、夫婦同姓が二つの基準に立脚したものか検討する。

まず両性の本質的平等に反しないか検討する。夫婦別姓推進論の多くは男女同権の見地から唱えられるが、制度としては女性差別ではない。条文上は「夫又は妻の氏」としており、女性が一方的に改姓しなければならないものではない。これは夫の姓に改正する妻が圧倒的に多いという現実の前には空理空論と批判されるかもしれない。

しかし、配偶者の氏に改正することは、配偶者の家に入ることではない。現行制度は結婚すると新しい家が作られる建前である。吉野さんと山田さんが結婚して山田さんが吉野に改姓したとしても、その吉野とは二人の姓であって、山田さんが吉野家に入ることではない。二人が離婚しても、結婚で改姓した吉野さんは吉野のままである。吉野という姓は夫婦の姓であり、誰に遠慮することなく吉野と名乗り続けることができる。

このように現行制度は両性の平等を貫いている。問題は入籍という表現が示すように、日本人の意識が戦前の家制度を引きずっていることである。このような意識がある限り、夫婦別姓で男女平等の実現という主張も正当化される。

次に個人の尊厳に反しないか検討する。現行制度では結婚すると、夫婦の一方が名字を変更しなければならない。氏名は当人を表すもので、個人の尊厳に関係する問題である。結婚という本質的には氏名と関係ない事情で、名字の変更を強制されることは個人の尊厳を損なう。このように夫婦別姓問題は法律論としては男女平等よりも個人の尊厳という点からアプローチした方が適切である。
http://www.pjnews.net/news/794/20110307_5
以上より、選択的夫婦別姓が採用されるべきである。夫婦別姓は家族を破壊するという反論があるが、根拠がない。日本の歴史を振り返れば、そもそも名字を持たない人々が圧倒的多数であった。しかし、彼らの家族が壊れていた訳ではない。名字を持つ層は北条政子や日野富子のように夫婦別姓であった。夫婦別姓が家を破壊するとしたら、戦前の家制度の残滓であり、それが徹底的に破壊されることは望ましいことである。

中国や韓国は夫婦別姓の先進国である。中国や韓国の夫婦別姓は、妻は夫の家に入れないという封建的思想に基づくものであった。しかし、由来は封建的でも制度的には男女平等につながる。現代社会では核家族化が進展しているが、核家族では夫の家に入れないという観念は無意味になる。この点で日本の方が後進的である。【了】
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『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者 林田力
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