[CML 010372] Re: 村上春樹は淫売である

hagitani ryo liangroo at yahoo.co.jp
2011年 6月 24日 (金) 08:30:30 JST


 東本さんの村上批判は基本的に私に共感できるものです。
 付け加えて、村上の発言には、ノーベル賞ほしさから来るご機嫌取りのいやら
しさがあると言っておきたい。たぶんそれは東本さんもお思いのことで しょう。

 ただ、村上のスピーチは途中から、いわゆる日本的無常観にふれており、ここ
で東本さんは日本の古典を引いて、村上は日本の古典にくらべて浅薄だ という
ことを言っているようですが、私はちがったことを感じます。
 日本の古典の説く無常観って、そんなに深遠なものなのかどうか、私はわから
ないのです。東本さんの文章からは、それはわかりませんでした。村上 の言葉
は教科書からの引用ていどのもの、とおっしゃるのと、対比されて引用されてい
る語句のほうが、言葉の質は上らしいということは、わかります が。

 言っていいだろうと思うのは、日本の情緒的無常観は、釈迦が説いた宇宙全体
の普遍的原理としての無常とは異質だということです。そこが日本の浅 薄さで
はないでしょうか。それなのに平気でこんなことを西洋 人に向かって語る村上
はようするに、絵はがき売りていどです。なみの西洋人にはinvitingなインバイ
かもしれないですが(^^)。

 文化が決まったパターンを我々の心に培っているのであれば、そのパターンに
安心や落ち着きを見いだすのは自然の成り行きですが、それでいいかど うかは
別物です。

 それからもうひとつ。東本さんは明瞭にふれていませんが、次のような村上の
おしゃべりを読むと、私は、おい待てこの野郎、と言いたくなる。
> 々は被害者である
> と同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核と
> いう圧倒的な力の前で
> は、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威に
> さらされているという
> 点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという
> 点においては、またそ
> の力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあり
> ます。」
>
 我々は誰しもだと? 我々とは誰のことだ?
 お前はそれを誰に向かって喋ってるんだ。
 原発いっぱいのフランス人かアメリカ人ならばともかく、世界中みんなに向
かってそんなことを言う資格が日本人のお前にあるとでも思っているの か。
 勝手に我々なんて言われたら、言われたほうが迷惑するぜ。
 我々は勝手に地球に生まれてきたと言っていますが、そういう自分がよっぽど
勝手になんでも普遍化してしまう。
 こういうところ、いかにも言葉が軽々しくすべっていますねえ。
 よくこんなに思い上がったばかばかしい一席をあのスペイン人が怒りもせずに
聞いたものです。やだやだ。
 私はこの点でも、東本さんに共感いただけるものと思います。


> この広島原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しません
> から」という言葉につ
 ほんとは「安らかにお眠りください。あやまちは繰り返しませぬから」です。
いったい、こういうふうに言い回しを変えたとき、村上は何を感じてい たので
しょう。
 彼も、この言葉を恥ずかしいと思っていた可能性がありやしませんか?(^^)
 あまりにも陳腐な手練手管の見え透いた語法だから、文学者のはしくれとして
は、耐え難かった、とかね・・もしそうなら、もっとそういう自己 に対して正
直であるべきではないかと思います。

 東本さんは、ここで正しくも寺島実郎を引用しています。
>
> 「広島の原爆慰霊碑に掲げられた『二度と過ちは繰り返しません』の言葉も、
> 熟慮するほど不可解
> である。思わず共感する言葉であるが、誰のいかなる責任での過ちなのかを明
> らかにすることなく、
> 『なんとなく反省』『一億総懺悔』で納得し、それ以上踏み込まないのであ
> る。/表層な言葉の世界
> への陶酔を超えて,いかにして実のある世界に踏み込むのか,これこそが戦後
> 日本という平和な
> 擬似空間を生きてきた我々の課題である。」(「小さな花」の強さ 2004年4
> 月)
> http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0018150/js/another01.html

 私も、1960年代に読んだ岡本太郎の「私の現代芸術」の中で、この原爆慰
霊碑のことばを「あまったれたいやらしい文句だ、だれが言って いるのか不明
だ。時空において象徴的におのれ が抜けている」と批判していたのをよく覚え
ています。
 寺島は正直に「思わず共感する」と書いています。ムードたっぷりの美文だと
いうことです。
 どんなムードか? ニッポン的ムードです。
 京都などのお寺の賽銭箱の前がよく似合いそうな。
 日本的無常などを持ち出したことですでに、村上がムードでしか物を言ってい
ないことは明らかだと思います。

 以上、東本論文の落ち穂拾いをもって、このトピックでの私の発言を今度こそ
終わりにします。お粗末。




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