[CML 010255] Re: 「虚妄の民衆思想(3)」

hagitani ryo liangroo at yahoo.co.jp
2011年 6月 17日 (金) 05:56:37 JST


前田さん

あなたは、こんな文章を読んで平気なのですね。
私なら、こんなことを書くやつは信用しないけど。
こういうのを哲学だとか思い込むのはもうやめましょうよ。
露骨な反動じゃありませんか。
こういう輩に「アジア」なんて言われるアジアのほうが迷惑します。
知性の介入をいたるところで狡猾に、かつは鈍感に拒否する神秘化ばかりが目立
ちます。
論理と分断された精神や思想とかいうものに対するフェティシズムのにおいがも
うもうと立ちこめて鼻持ちならない。
ドストエフスキーやなんかと同列のひどさです。
アジアといい、民衆といい、くさくてかなわん。
徹底的に言葉をなめた野郎だとしか思いません。

                     萩谷

> ま ず「著者の田中正造研究の集大成」において、「洋の東西を問わず、思想
> の優れた読み手は、思想書の論理構成の分析に終始することな く、その思想
> を成立させ る根拠にある深い精神性の領域へと入り込むことに長けているよ
> うに思われる。思想のもつ精神性をわたしたちが直面する現実に対する批 判
> へと転化し、これま でとは異なる形で世界を見つめ、これまでとは異なる行
> 為を起こす契機を開いていく。思想を読むという行為は、『批 判』『実践』
> 『解放』のトライアングルを螺旋的に反復する運動そのものである、と言えよ
> う」というスタンスが開示されています。その うえで、中野は、花崎 につい
> て「思想を読むことの根本的な意味を十分に理解し、思想と運動との間に良質
> な循環を起こす独自の哲学の構築を模索してきた人で ある」とし、「世界の
> ポスト開発思想と問題意識と展望を共有するだけでなく、日本とアジアの民衆
> 運動・思想の独自性と可能性に光を与える無二の貢献を行っ ている」と位置
> 付けつ つ、本書が花崎の田中正造研究の集大成であるとしています。
>
>
>
> 続 いて「実践の中で形成された民衆思想」と題して、中野は、「民衆思想」
> という言葉に「日本の社会像を構想することを含意する言葉」と いう側面を
> 確認しつ つ、「近現代の日本思想史を、一九六〇・七〇年代から正造の時代
> へ、そして正造の時代から再び現代へ、と反復する身振りが見られる」 と
> し、正造の思想形成 の独自性と花崎の思想形成の独自性、それぞれの独自性
> とともに、継承や交錯をもからめながら発展的に理解しています。「民衆の生
> 活経 験に寄り添いながら思 惟する過程の中で、既存の西欧近代民主主義思想
> や立憲政治制度の衣を脱ぎ去り、より普遍的で深遠な生存の問いへと向かった
> 一人の実践 家」としての「花崎/正造」像を描きます。
>
>
>
> 最 後に中野は「サブシステンスの領域に見出される霊性」と題して、キリス
> ト教の影響を受けた正造が、晩年には「民衆の土着の経験の深み において世
> 俗の権力や 近代の経済的価値観には還元されないより普遍的な価値――善、正
> 義、聖性――を見出す」、「人間の生存基盤(サブシステンス)という 最も基
> 礎的な物質的領 域に、もっとも深遠で神聖な霊性を見出している」としてい
> ます。最後に、中野は、本書あとがきにおける花崎の主張に賛同して、正造の
> 思想は「アジア地域の 周辺において未だ実践されているさまざまな民衆運動
> を再評価し、経済グローバル化に代わって生命の様式の多様性を重んずるアジ
> ア独自 の民衆世界を築く重要 な布石となるであろう」とまとめています。
>
>


(11/06/16 17:29), Maeda Akira wrote:
> 前田 朗です。
>
> 6月16日
>
> 「虚妄の民衆思想(3)」をブログにアップしました。お暇な方は下記へ。
>
> http://maeda-akira.blogspot.com/2011/06/blog-post_16.html
>
>



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