[CML 010218] 「大人が食べなければならない」という小出先生に抗議する

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2011年 6月 15日 (水) 22:48:46 JST


みなさまへ    (BCCにて)松元
小出先生の、放射能の汚染食品は「われわれ大人が食べなければならない」という発言は4月からたびたびなされています。

週刊金曜日に掲載された小出氏の「子どもを守るために大人は食べてください」にたいして、友人の佐藤正人さんが抗議の声をあげていますので紹介します。

小出先生は、すでに日本中が汚染されているという認識ですから、「せめて」子どもには食べさせたくない、というのが本意なのだと思います。大人が食べることを「規範にすべき」というのではなく、すでに「規範にせざるをえない」段階だ、という認識なのではないかと思います。

しかしこの疑義は、東電、政府にどこまで責任を取らせることができるかという問題であるとともに、全土放射能汚染という究極の状況の只中にいる私たち自身に突きつけられている問いでもあります。

=======以下転送========
佐藤正人
http://mdebugger.blog88.fc2.com/

小出裕章氏「子どもを守るために大人は食べてください」への抗議
2011-06-12 (Sun)

     安全な食べものなんてもうないから
     子どもを守るために大人は食べてください

 食べ物への汚染は永遠につづく――。
 小出裕章さんはこう言った。
     今、私たち大人に残された選択肢とは、“食べる”ことだ。

 これは『週刊金曜日』最新号(6月10日号)の特集「放射能と食」に掲載された小出裕章氏のインタビュー記事である。周知のように、小出氏は原子力工学の専門家として、約40年にわたって孤立無援に近い状況で反原発の立場を貫いてきた良心的な科学者であり、私も敬意を持っている。けれども、小出氏のこの主張――「どんなに放射能で汚染されていても、〔中略〕大人はあきらめて食べてください」――だけは、絶対に容認するべきでないと考えるので、以下、緊急に批判する(もっとも、小出氏の言説を丁寧に追っている読者であれば、小出氏がこうした主張を行っている事実は目新しいものではなかったのだろうが、怠慢な私はつい最近になって初めて知った次第である)。

 小出氏の主張がどのようなものであるかを理解するには、前述の『金曜日』記事をそのまま読んでいただくのがよいだろう(強調は引用者による。以下同様)。

  ……………………………………………………………
 被曝に関するかぎり、どんなに微量でも危険です。ただし、年齢によって感受性が全然違う。被曝をして、後々がんになるかどうかを一番気にしなければいけないんですけど、被曝でがんになるというのは、細胞の持っている遺伝情報が狂わされるということです。だから細胞分裂が活発なときに傷を受けてしまうと、それをどんどん複製してしまうので、成長が止まるまでの間はものすごく危険なんです。逆に、体ができちゃって、これ以上あまり細胞分裂なんかしないという年、五〇歳、六〇歳になったら、被曝してもほとんど影響は出ない。

 それをふまえて、ではどうしたらいいかというと、汚染度の高いものは年寄りが食べる。汚染度の低いものを子どもに与える。そのために映画の18禁のように、これからは六〇歳以上しか食べてはいけない60禁、五〇歳以上しか食べてはいけない50禁、30禁……。すべての食べものを測定して仕分けする。それは大人は放射線の感受性が低いという理由もあるし、私の世代を中心として、原子力をここまで許してきた世代の責任があるから。〔中略〕

 そして一般の消費者は、放射能で汚染されているからいやだ、食べたくないという素朴な感情だけによってしまうと、たとえば福島の農産物や、福島の近海の海産物は食べられない。でもそんなことをしたら、福島の農業も漁業も崩壊してしまう。〔中略〕どんなに放射能で汚染されていても、福島の農業と漁業を支えるために、大人が引き受ける。

 できるかぎり智恵を働かせて、子どもを守ってください。大人はあきらめて食べてください。(小出裕章、「安全な食べものなんてもうないから 子どもを守るために大人は食べてください」、『週刊金曜日』2011年6月10日号、p.24)
   ……………………………………………………………

 率直に言って、小出氏のこの主張に対しては、放射能汚染から「子どもを守る」ことと、「どんなに放射能で汚染されていても」「大人はあきらめて食べ」ることの間には、論理的にめぼしい因果関係はないだろう、と指摘せざるを得ない。だいたい「どんなに放射能で汚染されていても」「食べ」るというのはどういうことなのか?例えば、福島市郊外で1キロあたり15万ベクレルのほうれん草が採れれば、それは末期ガン患者や寝たきりの高齢者に「食べ」てもらうとでもいうのだろうか?そんなことが倫理的に許されるとでもいうのだろうか?実際、『週刊金曜日』の同特集に寄稿している他の著者の見解は、小出氏とは明確に一線を画したまともなものである(もちろん『週刊金曜日』自体はまともな雑誌ではないが)。

――「そもそも放射性物質はできる限り体内に取り込まないほうがいいのです。まったく摂らないことがベストです。「基準値以下だから食べても大丈夫」というのはウソです。基準値は単なる言い逃れのための値です。内部被曝では、放射性物質が長期間体内に留まって放射線を出し続け、まわりの細胞の遺伝子や染色体を損傷し続けます。ですから、外部被曝では低い線量とされていても体への影響は大きく、少量でも発がんに結びつく確率が高くなります。」

――「政府が汚染されていない食品を海外からも含めて調達し、消費者に届ける。そのようにしない限り、現状では食品の内部被曝を防ぐことはできません。このような状況でできること、すべきことは、政府に対してきちんとしたデータを出すように要求すること。汚染された作物はすべて買い上げ、汚染されていない食品を確保するよう要求すること。それ以外にありません。」(矢ヶ崎克馬、「「基準値以下だから大丈夫」はウソ!内部被曝をどう防ぐ?」、p.21)

――「「福島の野菜を食べましょう」と呼びかけている人々もいます。福島、茨城、千葉の中には汚染されていない野菜を作られている地域もありますが、汚染された食品を率先して食べる必要はありません。個人が食べることと、農家の方に対してしなければならないことは別です。汚染された野菜は東京電力と政府が責任をもって賠償すべきです。」

――「消費者に対して言えるのは、「なるべく事故を起こした原発から離れた場所で採れたものを食べる。特に子どもたちには避けた方がいい」ということですね。」(鈴木千津子、「放射能測定から見えるもの 今、消費者は何に気をつければいいか」、pp.28-29)


 これはいくら叩いてもらっても一向に構わないが、私は、WHO定義による「餓死を避けるために緊急時に食べざるを得ない値」を超える――(野菜の場合には)1キログラムあたりヨウ素が2000ベクレル、セシウムが500ベクレル、ウランが100ベクレル、プルトニウムが10ベクレルといった日本の「暫定基準値」を満たす「食品」を含む――放射性物質が添加された「食品」は、もはや「食べもの」ではなく純粋な放射性廃棄物であると考えている(残念ながら、私もすでに放射性廃棄物を相当程度取り込んでしまっているが)。仮に、どれだけ情報の公開性を高めて、「基準値」を超える「食品」を厳しく規制したとしても、こんなレベルの「食べもの」が市場に出回っていること自体が異常であり、犯罪的であると言わざるを得ない。


 まして現実には、こうした放射性廃棄物を「食べて応援しよう!」という政府(農林水産省・消費者庁)や一般企業(前記農林水産省サイトを参照)が活躍する一方で、産地偽装や東電・政府・自治体による情報操作・隠蔽(リンク多すぎて無理)が蔓延しているのだから、結局のところ、外国人を含む日本国内の貧困層が、最も放射能汚染を受けている土地の農家を買い支えることで、東電や政府の責任を肩代わりさせられることになる(なっている)のは、最初から目に見えている。要するに、農家と貧困層という、最も弱い立場にある人間から、放射能汚染で共倒れになっていく、というわけだ。


 仮に、小出氏の提案――60禁、50禁、30禁……――が完璧に実現したとしても、そうした「食品」を買い求めるのは、現在の事態に最も責任を負っている東電や政府、原子力安全委員会、原子力安全・保安院の上層部、原発推進議員などではなく、文字通り飢餓状態に置かれている在日難民を含む比較的若年の貧困層が中心になるだろう(一部リベラル・左派も含まれるかもしれないが)。販売形態としては、高齢の野宿者に買取仲介をさせて、「80禁」や「70禁」にリベートを上乗せして消費者に売りつける(それでも「20禁」や「30禁」よりは遥かに安い)、といったような貧困ビジネスが横行すると思う。老人ホームの経費削減のために入居者の年齢が改竄されるといった事件も相次ぐのではないか。いずれにしても、小出氏が前提とするような「大人のモラル」が社会一般に共有されるとは到底思えない(私も共有していないが)。


 小出氏の「どんなに放射能で汚染されていても」「大人はあきらめて食べてください」という主張は、小出氏の意図はどうあれ、畢竟、東電や政府の責任逃れを追認し、命の格差の固定化を容認する言説として利用されるだろうし、実際に利用されていると思う。これは、小出氏と面識すらない私のような部外者が書くべきことではないかもしれないが、小出氏は専門家として、また「原子力をここまで許してきた世代」として、「あきらめて食べ」ることが自らの贖罪であると考えて(思い込んで)おり、放射性物質を自ら望んで取り込むという選択にあえて積極的な意味を持たせようとしているように見える。けれども、そのような自己犠牲によって「福島の農業と漁業」や「子どもを守る」というのは、あえて言うが、非論理的な感傷(小出氏の言葉を借りれば「素朴な感情」)であり、他者に対して押しつけるべき規範にはなりえない。


当たり前のことだが、私たちには放射能に汚染されていない真っ当な食べものを求める権利があるからだ。自責の念に縛られている人間にとっては、自己犠牲を伴う行為の方が時には――少なくとも主観的には――選択が楽ではあろうが、矢ヶ崎氏や鈴木氏が論理的かつ明快に述べているように、私たちが今するべきことは、「政府に対してきちんとしたデータを出」し、「汚染された作物はすべて買い上げ、汚染されていない食品を確保するよう要求すること」であり、「汚染された野菜は東京電力と政府が責任をもって賠償」するように働きかけることだろう。


「子どもを守るために大人は食べてください」と主張する小出氏と記事を掲載した『週刊金曜日』に対して強く抗議する。


------------------------------------
パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭
〒004-0841  札幌市清田区清田1-3-3-19
TEL/FAX : 011−882−0705
E-Mail : y_matsu29 at ybb.ne.jp
振込み口座:郵便振替 02700-8-75538 
------------------------------------ 



CML メーリングリストの案内