[CML 009962] 「豊かさのいけにえ」―原発の根にある日本の姿

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2011年 6月 1日 (水) 07:27:29 JST


さきほど送りましたものは、字詰まり文字化けしておりました。恐縮ですが再送してみます。前のは削除してください。お騒がせして申し訳ありません。

みなさまへ   (BCCにて)松元
知人の諸留さんは、ヨーロッパ宗教史の本も書いているカトリック教徒です。若いころ湯川秀樹に傾倒し原発や放射能の危険性を追及してきた彼が、原発に反対し続けている仏教の住職長田浩昭さんに出会い、長田(おさだ)さんの文章を紹介してくれました。

自らの宗門(東本願寺浄土真宗大谷派)とも闘いながら民と共に仏法の真の教えを実践しようという宗教者の姿は、同じ課題をもっているキリスト教など他の既成宗教の方々にも大きな啓発のちからをもっています。

それだけではなく、沖縄の基地や原発誘致を札束で買い叩き篭絡し、他方カネを回さないで差別し続けてきたアイヌや在日朝鮮人への処遇に、明治以来(以前から)の同根の「日本」の姿をみせられます。

「原子力村」のみならず、「政党村」、省庁の「官僚村」、「企業村」、「学者村」、「○○村」など依然としてカネと利権に縛られながらこの「日本村」に自足している私たちに、長田さんの説法がひびきます。

原子力行政を問い直す宗教者の会事務局長でもある長田浩昭さんの実践と知見はこちらを。原発に向き合う宗教者の姿です。
●ナムナム臨時集会長田浩昭氏講演
http://www.youtube.com/watch?v=XuDL7PAe-6Q

========以下転送========
「豊かさのいけにえ」
[2011(H23)年6月1日(水)AM01:00]
《パレスチナに平和を京都の会》の諸留です(Bccにて送信) 


 私(諸留)の知人で、東本願寺浄土真宗大谷派法傳寺住職をなさっていらっしゃる長田浩昭(おさだ・ひろあき)氏の書かれた「豊かさのいけにえ」という文章がございます。大変考えさせられる重たい内容です。原子力発電は、単にその事故が恐ろしいだけでなく、安全な平常稼働していても、我が国の地域の人々の心をいかに蝕み、食い尽くし、荒廃させてゆくものであるかが、彼の訴えから鮮明に浮かび上がってきます。長田氏の了解を得て、一人でも多くの方に、原子力発電の非人間性を、知って欲しいと願って、このメールをお届けします。長文ですが、最後までお読み下さい。
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「豊かさのいけにえ」
〜原発を認めてきた時代と私たち〜
長田浩昭(おさだひろあき)真宗大谷派法傳寺住職


〜他化自在天という現代社会〜

 仏教は、人間の迷いの生の現実を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道(▼[註]1)という概念で表現した。「天」も迷いの生の現実である。その「天」のひとつに「他化自在天」という「天」が明らかにされている。「他化自在天」とは「他の所化を奪って自らの物になす」と表現されているように、他の者が作り育てた物を奪い自らのものとなし、奪われた側に眼も向けず、自らが得たことだけを喜び、さらに「有頂天」に浸る。まさに、物質的な「豊かさ」にあふれた、私たちの生きる現代社会を言い当てた言葉ではなかろうか。「天」は「豊かさ」を獲得した側には心地よい世界であるが、問題はその「豊かさ」を獲得するために奪ったものが何であるのかということと、奪われた側の姿が見えないということであろう。そのことを見つめることなしに、「天」を迷いと知ることもないのだと、仏教は教えているように思う。

 原子力発電所は電力を得るためのシステムであることは誰もが知っている。そして、その電力を得ることによって、私たちの便利で豊かな生活が成り立っていることは、否定しようがない。だからこそ、「事故さえ起こさなければ」という考えが推進の論理になり、一方「一度事故が起これば、大変なことになる」という考えが一般的に反対の論理となってきた。確かに、100万キロワット級の原発が一年間運転されれば、原子炉内に広島原爆一千発分の死の灰が生まれ、放射能が垂れ流されている現実を知れば知るほど、「一度事故が起きれば…」という不安は立地地区住民にとって非常に大きい問題である。しかしながら、原発による電力を消費する側にいる多くの人々が、「事故さえ起こさなければ」問題はない、というところにこそ、原発というものの本質がある。

 賛成反対を越えて、「事故さえ起こさなければ…」「一度事故が起きれば…」ということで守ろうとしてきた、原発の電力によって得られた私たちの豊かな生活が、何を奪うことによって成り立ってきたのか、そのことをまず知るところからしか六道を一歩踏み出すという仏道の歩みは生まれてはこないだろう。

(▼[註]1)キリスト教では「天にまします我らの神よ!」という「主の祈り」に代表されるように「天」、もしくは「天国」は神のいます世界として理想郷のように考えられているが、仏教では人間の迷いと欲望の諸段階を、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天と、六種に分け、これを六道輪廻と表現する。したがって「天」も、救済の世界ではなく、人間の迷いと欲望の姿を示す世界として捉えられている。この六道輪廻の苦海からの解脱を願って「六地蔵信仰」も生まれた。


〜原発のある「風景」〜

 福井県若狭にある小さな民宿。目の前の静かな海には、北陸から遠く離れた都会の人々が日常生活を離れ、避暑を楽しむための高級なヨットが浮かんでいる。その民宿の仏壇の上には、二十代で亡くなった息子さんの遺影がかざられてあった。その若者がその港の先端にある原子力発電所の中で、放射線を浴びながら労働をし、被曝によって亡くなったという現実を、その海で避暑を楽しむ都会の人々は知ろうはずもない。

 その若者の死の現実を私に教えてくれたのは、その民宿の近くにある寺の住職であつた。「私は住職をして十数年来、癌と白血病以外の葬式をしたことがありません」という言葉が、初めて会った時の彼の自己紹介であった。原発の中で被曝し続けた村の人々を見つめ、原発の問題を「いのちの問題だ」と現地の人々の声を代弁し続けた彼もまた、末期癌におかされ、一九九四年にこの世を去った。そしてその棺の前で、夜中まで泣き崩れていたのは、若者を亡くしたその民宿のお父さんであった。そんな「風景」が、原発を抱える地域に横たわっていた。

 その住職が亡くなって数カ月後の夏、この国は初めて原発労働者の死を労働災害として認めた。その若者の名は嶋橋伸之さん、二十九歳であった。彼は静岡県にある浜岡原発の中で、八年間にわたって働き続けた。病名は「慢性骨髄性白血病」、被曝し続けた結果であった。彼の母である嶋橋美智子さんは、「一生懸命仕事をした者が、何の落ち度もないのに、死ななければならない仕事などというものが、あっていいのでしょうか」と言う。この言葉は、被曝することそのことが労働であるという、被曝労働の本質をまさに言い当てている。つまり原発は、ある一定の人数の労働者がいのちを削り、死んでいくことを前提にして成り立っているのである。

 原子力政策を国策とした私たちの国には、五十二基(▼[註]2)もの原子力発電所が建設され、そして事故や定期検査の時などはもちろんのこと、通常運転の際にも、被曝を余儀なくされる大量の労働者が必要とされ続けている。あの広島・長崎によって被爆者手帳を交付されている人々は現在二十九万人であるが、この国に原発が稼動し始めて三十五年、原発の中で被曝した労働者の数は、もうすでに三十五万人を数える。世界で唯一の被爆国日本の中で増え続ける、おびただしい数の被曝者たち。彼らの死は、その氷山のほんの一角である。そんな事実をひた隠しにしながら、「核の平和利用」という国策の原子力政策は推進されてきた。

(▼[註]2)この原稿が書かれた2002年当時の全国の原発数。2011年現在は五十四基:諸留註)

 そして一九九九年九月三十日、東海村のウラン燃料加工施設JCOで臨界事故が発生した。日本の原子力政策における最大の事故であり、その被曝は住民にまで拡散した。旧科学技術庁の発表では、亡くなった大内さん、篠原さんをはじめとしたJCO職員、東海村住民の六百六十七人の被曝者を出したとされている。

 東海村住民でその恐怖を体験した藤井学昭氏(真宗大谷派願船寺副住職)は、事故の本質を「中性子爆弾を住民に浴びせた"無差別殺人"だ」と表現し、次のようなメッセージを全国に発信した。 原子力産業に従事する作業員をはじめ近隣の住民に、どれだけ被曝者を作り続けたら済むのでしょうか。私たちが守るべきものは何でしょうか。この前の戦争末期、国体護持の名目でどれだけの人々が殺されていったのか。日本のエネルギー政策(原子力)を守るためにどれだけのいのちが殺されなければならないのでしょうか。私たちが守るべき生活とは何でしょうか。(中略)東海村住民にとって原子力とは、国家による無差別殺人であるとはっきりと見えてまいりました。 中性子爆弾とは、街の建物を破壊することなく、生命だけを破壊するという最新鋭の核兵器である。東海村のど真ん中に突如として現れた中性子爆弾は、この「核の平和利用」という国の原子力政策の産物である。JCOの事故は、はからずも国の原子力政策が「核の平和利用」という言葉でカムフラージュしてみても、原爆と原子力開発は同じであったことを、住民の被曝というかたちで鹸野させてしまったと言える。 「いのち」を奪うことによってしか成り立たない「豊かさ」、そんなものを私は選んだこともなければ、望んだこともない。しかし、これが原発によって支えられた「豊かな」社会に生きる私たちの現実である。 〜共にあることを失っていく姿〜 能登半島の最先端に関西電力・中部電力が原発の新規立地を進める、人口二万人の珠洲市がある。一九八九年四月、原発誘致を争点として推進派一人、反対派二人が立侯補した市長選挙は、現職の推進派が勝ったものの、反原発を支持した票が過半数を獲得した。誰もが「これで原発の推進はない」と思っていたその一カ月後、関西電力が立地予定地・高屋町での立地可能性調査を強行する。それ以降、住民による高屋町での阻止行動、市役所での座り込みが四十日間にわたって続けられることになる。 その渦中にあって、市役所に座り込みを続ける反対派住民の一人が、「日本の原発は安全です」と繰り返すばかりの市の助役に質問をした。「あなたは、原発労働者の実態を知っているのか?」という問いに対して、その助役は「そんな危険な仕事は、珠洲市民以外の者にやってもらうので、どうぞご心配なく」と発言した。その時、「それでも人間か!」と叫んだ珠洲市の多くの人々が騒然となる中で、何が問われているのかわからないという困惑した助役の姿があった。 彼がどれほど被曝労働の具体的現実を知っていたかは定かではない。しかし、市民から被曝労働者の実態を厳しく問いかけられた時、「危険な仕事」と十分察知し得たであろうし、だからこそ「市民以外の人に」ということで納得してもらえる応答だと判断したに違いない。人間としての責任が問われたひとつの出来事ではあるが、原発を推進する人々に共通して表れる姿であるように思う。 同じ頃、立地予定地の高屋町における阻止行動では、調査のためにやって来た関西電力の作業員と住民が対時している中で、「どうして関西の電力会社が、能登半島のこんな先端まで来て、発電所を作らなければならないのか?」と尋ねた老婆に、その作業員は悪意のないソフトな笑顔で真剣に対応した。それは、「おばあちゃん、人の多い大阪に原発を作って、もしものことがあったら大変なことになるのがわかるやろ」というものであった。「珠洲に住んでいる人間をモノのように扱って、それでも人問か!」と烈火のごとく怒った老婆の前で、やはり何に怒っているのか見当もつかず、ただキョトンとしている関西からやって来た企業の若い作業員の姿があった。 さらには、珠洲市の原発誘致の実態を伝えたNHKの特集番組「原発立地はこうして進む」(一九九〇年五月二士二日放映)の中で、予定地の買収を進める関西電力の立地部員は、自分たちの仕事の内容を「私らは物を買ったり、土地を買ったりするんじゃない。私らは〃人の心"を買うんだ」とテレビカメラの前で堂々と語った。人間に対するこれほどの侮辱があろうか。人間を人間として見ない驕り、自らの人間性を失っていくという「いのちの道理」に気づかないことにこそ「天」の内実があり、そこに原発というものの本質が現れたのだと思う。 原発立地には三つの条件が必要と地元では説明されている。それは、強固な地盤、広大な敷地、住民合意である。しかし、それらは何度繰り返しPRされても、その背景に開発という問題が当然のこととして済ませてきた、過疎地(辺境)の切り棄てとそこに生きる人間への蔑視が横たわっている。 『雑宝蔵経』という経典には、共命鳥という鳥の物語がある。共命鳥とは、体が一つで頭と心が二つある鳥である。その一方の頭がエサを独占しながら言い争い、その原因を「お前が従わないからだ」と、もう一方の頭をなじるのであった。そして、なじられた頭が「お前なんか殺してやる」と興奮し、体が一つしかないことを忘れ、毒草を食べ、結局両方が死んでいくという物語である。先の原発を推進する人々の姿はまさに、死んでいった共命鳥の物語であり、その共命鳥が極楽浄土に生きていると説く『阿弥陀経』は、共にあることを失い原発を認めていくような生き方のその先には、極楽浄土はないと示唆しているように思う。 〜開発という虚構〜 原発は過疎脱却、開発、発展ということを表向きの看板にして過疎地に押し寄せる。しかし、そもそも「開発」とは何なのだろうか。「開発」というのは、本来ならば地域の発展になるというイメージを持つが、「開発」は逆に地域とそこに住む人々を開発貧乏にし、開発難民にするということを予見した人として、六ケ所村元村長寺下力三郎氏の姿を紹介したい。 青森県六ケ所村は、国策であるプルトニウムサイクルの中核として全国の原発から核廃棄物が集積され、再処理を行うと予定されている土地であるが、その始まりは一九六九年、「むつ小川原開発」という国家プロジェクトとしての巨大開発であった。その国家プロジェクトである巨大開発に、現職の村長として彼は「否」を言った。 一九七三年七月十二日、衆議院建設委員会公聴会で彼は反対意見として巨大開発の本質を次のように述べている。 地震とか津波のように村を襲った巨大開発は、村ぐるみ人ぐるみ飲み込もうとしている。私どもは開発難民にならぬため必死の努力をしている。それは生きるための努力であり、生きる権利の主張である。村長として住民の暮らしと命を守ることは行政、政治の原点であるが、これを無視して、ゴリ押し的に進められているのが、巨大開発である。六ケ所村で生きる農漁民にとって、土地と水は生活の基盤だが、工業開発も土地と水を最大限に収奪しなければ成立しない。企業の利潤追求の原則は、土地と水を最大限に収奪しなければ貫徹しない。そういう工業開発の本質が歴然としている。かつての大陸侵略と手口が似ている。(取意) 彼は戦時中、朝鮮半島に渡り、朝鮮窒素(水俣病を引き起こした新日本窒素の前身)に採用されている。その朝鮮半島で現地の人々を難民にし、その人々の犠牲のうえに日本の発展繁栄を構築する国策の実態を経験していた。そして「こんなところにいると大変なことになる」と思い、一年で帰国し群馬県の山間部で養蚕教師として働くことになる。そこで知ったのが、足尾鉱毒事件と田中正造の闘いであったという。彼はそれらの経験によって巨大プロジェクトが来ると、なぜ自分たちが貧乏になるのかという仕組み(構造)を熟知していたのである。 この国の開発は、常にその主体が大企業と政府官僚、そして二部の地方有力者に主体があり、決して地方自治体にはなかった。その結果、地方の開発を目的にしながら、実際は辺境をさらに辺境化し、中央に資本を蓄積し、中央を温存させてきた。戦前「大陸侵略」という方向をとった日本の近代化は敗戦によって終わらず、戦後は国内に「収奪可能」の地を求めて、戦前と同じ構造で、「開発という侵略」「地方の植民地化」を国家的に敢行したものが巨大開発であったと言える。 そういう開発の虚構を、彼は現職の村長として見抜き、「否」と言った希有の政治家であり、その背景に戦前の国策・侵略戦争に対する加害者としての痛みと、人間としての責任性を持っていた。巨大開発、核燃サイクルに反対の姿勢を貫いた彼は、一九九五年四月二十六日、フランスから高レベル放射性廃棄物が六ケ所村に搬入された時、凍りつくような雨に打たれながら、「終生つきまとう人間の業を村が引き受けてしまった…」と寂しそうにポツリともらしたという。〜未来を失ったもの---阿闍世(あじゃせ)なるもの〜 その六ケ所村に集積されようとする核廃棄物とは、原発から生み出され、人間には処理することのできない「死の灰」である。その中のプルトニウムを考えれば、その寿命が終わるまで、二十万年(▼[註]3)を越える管理をしなければならない。そんな責任を誰が負えるというのか。私たちは、それを六ヶ所村と未来の子孫に押し付けたのである。(▼[註]3)放射能は半減期(エネルギーが半分になるための時間)の十倍の時間で一千分の一になる。仮にそれを放射能の寿命と考えれば、プルトニウムの半減期は二万四千年であるから、寿命は二十四万年となる。 浄土とは、いのちの帰すべき平等の世界を表現したものであって、それは、「ある」「ない」という問題の概念ではない。帰すべきところを明らかにすることによって、現在の生を問い続ける原理を獲得し、未来を方向づけたのである。さらに浄土は、去来現(過去---未来---現在)という時間概念の中で、仏と仏が念じあう世界として表されている。つまり、現在は過去と未来によって限定されていると説かれているのである。 過去を受けとめ、願うべき未来が明らかであるからこそ、現在の選択が可能となる。それが、生きるということの道理であるというのであろう。ところが現代は、いのちの帰すべきところを失うことによって、現在の生を問い続ける原理を見失い、現在の選択は生きる者たちの都合に委ねられ、未来を失ってしまった。 親鸞聖人は『教行信証』信の巻に、阿闇世(あじゃせ)の姿を「一闡(いっせん)」(▼[註]4)の問題として課題にしている。その『涅槃経』の中で阿闍世は、「現在の楽を見て、未来の不善の苦果を見ず」と表されている。まさに未来を失ったものとして阿闍世の問題(▼[註]5)があることを教えられる。原発とその処分地を過疎地に押しつけたまま「風景」として眺め、自らの「豊かな」生活を守り続けようとしてきたこの国のあり方と、そしてそこに生きる私たちこそが、まさに「未来を失った」阿闍世なるものだと示されているのだろう。そして未来の「いのち」に対する加害者性に苦悩することがない限り、どれだけ教義を並べようが救いの現実などありはしない。(▼[註]4)「一闡(いっせん)」は、梵語の「イッチャンティカ」の音写語で「欲求しつつある者」という意味。(▼[註]5)阿闍世の物語は、王妃韋提希(いだいけ・ヴァイデーヒー)夫人が「3年後仙人が死んでから夫人がみごもり王子となる」との占師の言葉を待ちきれず仙人を殺して王子を産む。生まれたその王子の阿闍世は、自らの呪われた運命を知り、父母を幽閉し父王を死に至らしめ、母の韋提希を殺すことは思いとどまる。その罪悪感から釈尊の教えに帰依し懺悔し救いを得るという中国浄土教の善導大師の『観無量寿経疏』を通じ親鸞聖人はこの阿闍世の物語に深い関心を払っている。 〜原発を許してきた教団の責任〜 珠洲市の阻止行動の中で、多くの僧侶が反原発に関わっている姿をマスコミから知らされた若い女性が、「なぜ、坊さんたちが反対運動に関わるのか?」と座り込みを続ける一人の老婆に尋ねた。 坊さんたちはなあ、ながあ〜い間、寺の中の厚い座布団の上に座ったままで、なんも(何も)仕事をしてこんかった。その長い間のツケを、今ここで払いはじめたんや。 と答えた後、この老婆は親鸞聖人が国家権力によって流罪にされたことを語っていった。背筋に寒い思いをしながら耳をそばだてて聞きたくない言葉であったが、同時にこういう一人の門徒がおられたことを、能登で生きてきた僧侶として今でも誇りに思っている。しかし、私たちが問題にしなければならないことは、その老婆の言う「長い間のツケ」とは何かということを明らかにすることである。 私たちの教団は一向一揆敗北以降、江戸時代の中で寺檀(じだん)制度を受け入れ、身分制度を維持する基幹として体制化してきた。教団が果たしてきた役割は、幕藩体制に無批判的に従属していく人間を生み出すことであったと言わねばならない。そのため、もっとも有効に機能したのは、「極楽浄土」という現世を批判する浄土教の基本概念を、死後の世界へと追いやったことであろう。そして、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」という言葉が象徴するように、身分制の矛盾に眼をつむり、個人的な心の平安や死後の平安を求めさせてしまった。結果として寺院は、「宗門人別帳」によって民衆の生殺与奪権を握った大きな権威として、身分差別を温存しながら自らは民衆の上に君臨した。明治時代には、「富国強兵」を標榜する政府の下、親鸞聖人の意志に反する「真俗二諦論」という教義を展開する。その「真俗二諦論」によって、宗教的問題(真諦)と現実の生活(俗諦)を別々な問題として位置づけたのである。宗教的領域と現実の生活の領域を明確に分けることによって、新しく登場した天皇制国家を問う視点など生まれようはずはない。明治期から敗戦まで、真宗教団はこの真俗二諦論を「ご消息(しょうそく)」として、徹底的に末端まで行き渡らせた。 だからこそ珠洲市の中で、一軒一軒の家を衣姿で原発の問題を訴えていった私たちに浴びせられな言葉は、「娑婆の問題は仏法ではないと言ったのは、お前たち真宗の坊主ではないか!」「お前ら、真宗の教えは真俗二諦の教えだということを知らんのか。この偽坊主!」というものだった。 さらに問題なのは、宗教と現実を切り離したそのうえで、「俗諦」という現実生活の教えの中味は教育勅語であり、「皇恩」「皇国」の徹底であり、「お上」に対する服従であり、それが真宗門徒の生活規範とされたことである。「お上」に対する服従や侵略の正当化の教育は、真宗王国といわれる北陸の中では、学校以上に日常的に開かれる寺の行事やお講の中でされていった。 珠洲市の人々が、たびたび口にする「国がやっていることに間違いはないだろう」「国がやる以上、原発に反対してみても仕方がないことだ」という「お上」というものに対する意識は、戦後五十年以上経過しても何ら変わらず息づいている。その「お上」意識こそが、国策としての原発を受け入れていく最も根深い背景であり、教団が戦争責任の間題を明確にしてこなかったことと深くつながっている。 「おかげさまで、生かされて生きております」という言葉と、「お上(国)のやっとることやから、間違いないやろう」という言葉が、何の矛盾もなく意識の底に流れるような人々の姿は、原発という問題やそれを国策として進める国というものを信仰課題として受けとめず、無関心を装うことによって原発推進の側に組み込まれていくものであったと言わねばならない。そこには、国というものを課題にできなかったが故に、関係存在としての私の事実を見つめることを失い、現代社会の課題と乖離する私たちの教団の現実がある。 時代を問い、国家の姿を問い、未来に対して責任を持ち続けるという、人間としての眼を獲得してこなかった真宗門徒の責任は限りなく重い。 〜浄土を願う人々〜 珠洲市で起こった反原発運動の中で、可能性調査の作業車の前に飛び出し、車の前で大の字になった一人の老婆の姿があった。「ひくならひいてみろ。おら(わたし)の命ひとっで原発が止まるんなら、これで子どもたちや孫たちに顔向けができるんや。さあ、ひけ!」という、いのちを紡ごうとする人々の姿があった。また、作業員に合掌しながら、「ありがとう。本当にありがとう。あんたらに本当に感謝しとる。あんたらが原発の問題を持ってさたおかげで、わしはここに大事な宝があることを忘れとったことに気がついた。自分を育ててくれたこの海と山や。この宝をそのまま子や孫たちに渡すことがわしの仕事やった。もう十分やから、どうぞお帰りください」という老人たちの姿があった。これらの言葉は、高度経済成長以降、「一歩でもいいから金沢に近い所に嫁に行け」と言い続けてきた人々の中から発せられない言葉である。その人々の姿は、原発を過疎地という弱者に押しつける者たちに対する怒りであると同時に、それを受け入れてきた自らの価値観・生き方、そして歴史を問い直す作業を意味していた。そしてそれは、人間が人間であるために何をいちばん大事なこととしていくのかを確認していく作業でもあったのである。 さまざまな運動に関わる中で、自分の価値観や生きる方向が課題になり、根源的な問いを持って生きる人々がいる。親鷲が出会った人々とは、そんな人々ではなかったのか。そして、その姿こそ浄土を願う人々と親鷲が見いだした人間の姿ではなかったのだろうか。長田浩昭(おさだひろあき)真宗大谷派法傳寺住職------------------------------------《パレスチナに平和を京都の会》"Peace for Palestine" in Kyoto Movement(PPKM)代表:諸留(モロトメ)能興(ヨシオキ)〒611-0002 京都府宇治市木幡赤塚63-19[TEL=FAX]:0774-32-1660E-Mail:yoshioki-afym at kkd.biglobe.ne.jp------------------------------------------------------------------------パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭〒004-0841札幌市清田区清田1-3-3-19TEL/FAX : 011−882−0705E-Mail : y_matsu29 at ybb.ne.jp振込み口座:郵便振替 02700-8-75538 ------------------------------------------------------------------------パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭〒004-0841  札幌市清田区清田1-3-3-19TEL/FAX : 011−882−0705E-Mail : y_matsu29 at ybb.ne.jp振込み口座:郵便振替 02700-8-75538 ------------------------------------


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