[CML 011042] 児玉教授の衆院厚労委員会での意見陳述の反響

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2011年 7月 30日 (土) 11:45:21 JST


児玉教授の衆院厚労委員会での意見陳述について一部に無条件の賛美が溢れる一方で、あるメーリング
リストでかつて(およそ20年ほど前)児玉氏はスカベンジャー受容体という動脈硬化の原因の発見で一躍
世界に名を馳せたことがあることを知る人から要旨次のようなフォローをする投稿がありました。

「頭にあることを全て表現するのに口が追いついていかないような彼の性急な陳述は、一般の人にわかり
やすいものとは言い難い。でも、全てが一級の学識に裏打ちされていることは、察してあげて下さい。」

たしかに児玉氏の陳述は一般の人には必ずしもわかりやすいとは言いがたいところがあります。難しい用
語のある陳述を「性急」にしゃべりすぎているからです。以下は、そのフォロー者への私の応答です。ご参
考までに転載させていただきます。

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(前略)

児玉教授の陳述について、「頭にあることをを全て表現するのに口が追いついていかないような彼の性急
な陳述」というのは正確なご指摘だろうと思います。必ずしも「一般の人にわかりやすいものとは言い難」
かっただろうと私も思います。

しかし、3日前の児玉教授の衆院厚労委員会での意見陳述には私もそのひとりですが多くの人が感動し
ました(そういう感動の声を私はたくさん読みました)。

私を含むそうした人びとの感動の背景のひとつには、もちろん彼の発言の「全てが一級の学識に裏打ち
されていること」へのある程度人生を経験した(からこその)市民の直感的な理解があったことがあげら
れるように思います。私の観察によれば、市民(ここでは「苦労人」と自注しておきます)にはそういうこと
を直感的に「察する」力があるのです。

もうひとつ。「怒り」の表現についての市民のこれも直感的な洞察があげられるように思います。かつて
山口泉という作家は「怒り」について次のように語ったことがあります。

「人間のあらゆる感情のなかで、最も清潔なものは何だろう? それは怒りであると、私は思う。/的確
な論理と厳密な倫理とに裏打ちされた、ほんとうの怒りとは、何と清潔な感情であることだろう」(『世界』
1996年6月号)

「『怒り』こそ真正の意味で論理的な表現というべきではないか」(『松下竜一 その仕事』第15巻「砦に拠
る」解説)

あの意見陳述における児玉教授の「怒り」の中にあった「清潔な感情」を市民は直感的に理解したので
す。だからこそ多くの人びとが感動した。児玉教授の「怒り」の陳述が多くの市民に感動を与えたもうひ
とつの理由はおそらくそういうところにもあっただろう、というのが私の理解です。

「怒り」とは別の言い方をすれば「語り口」の問題ともいえるかもしれません。(略)児玉教授の「怒り」の
陳述を文章に起こしたものを読んでも、人びとはおそらく彼の「怒り」の内実をよく理解しえないのでは
ないでしょうか? 彼の真正な「怒り」は文章ではないところ、すなわち「語り口」によって表現されてい
たように思われるからです。改めて「語り口」の持つ意味、その大切さを思います。
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東本高志@大分
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