[CML 010815] ICRP批判を市民の常識に!―ECRR(欧州放射線リスク委員会)2010年勧告より

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2011年 7月 19日 (火) 05:44:28 JST


みなさまへ    (BCCにて)松元@パレスチナ連帯・札幌

原子力を推進している各国の放射線リスクを提示している各放射線委員会は、そのリスク基準をICRP(国際放射線防護委員会)に依拠しています。しかし日本政府も依拠しているこのICRPが、低線量被曝の過小評価、内部被曝の無視ないし軽視をしていることがすでに争点になっており、今後多くの被曝訴訟で重要な論点になることは明らかです。

1997年に設立された自発的な市民組織ECRR(欧州放射線リスク委員会)は、その2003年勧告および2010年勧告で、ICRPのリスク基準および組織の性格を科学的体系的に批判し低線量被曝、内部被曝にかんする新たな提言を世界中に呼びかけてきました。欧州各国をはじめこの勧告に添ってこれまでの放射線評価、被曝対策、原子力(核)政策が見直されてきているのが現状です。

今回、このECRR勧告の中心的な働きをしてきたクリス・バズビー博士が来日しています。
●福島県会津若松にてクリス・バスビー博士講演会(19日夜) 


http://fukusima-sokai.blogspot.com/

フクシマの惨状をみたバズビー博士がどんな発言をされるか、あるいは日本政府へのECRRの新たな「勧告」も期待され、注目されるところです。

しかしながら強固な原発推進勢力の後押しをしている中心的な国際機関IAEAやICRP、その共犯関係にあるUNSCEAR(国連原子放射線の影響に関する科学委員会)やWHO(世界保健機構)、さらには米欧主要各国政府という巨大な伏魔殿が見えてきます。

フクシマの子どもたちの命と健康を守る闘いは、低レベル放射能の危険性理解の闘いでもあり、圧倒的多数の市民の理解なしには勝ち取れないものです。私たちはICRP批判を専門家だけにまかせるのではなく、私たち市民の常識にまで広げることが必須だと思います。

すでに美浜の会からウェブ上で公開されているECRR2010年勧告の中から、ICRPの成り立ちから組織の性格を根本的に批判している「第5.2節外部および内部被ばくのICRP放射線被ばくモデルの歴史的由来」を紹介させていただきます。(03年および10年の勧告は、低線量被曝を科学的に立証することが目的となっているが、ことの必然から、全編ICRP批判となっている。とくにこの章は、ICRPの「歴史的由来」に焦点が当てられている。)

本勧告の最終章、第15.2節の原理と勧告12項目の最後に、
「12、本委員会は世界中の全ての政府に対して現行のICRPに基づくリスクモデルを緊急の課題として破棄し、ECRR2010リスクモデルに置き換えることを呼びかける。」とあります。


注:ここに紹介したものは、下記ウェブから「第5.2節」だけをワードに起こしたものです。読みやすいように改行を施していますのでご了承ください。できるだけ全編、ウェブでお読みなることをお勧めします。(また万一、送信に不手際があるときはウェブ上でお読みください。)

●「欧州放射線リスク委員会2010年勧告、低線量電離放射線被曝の健康影響、規制当局者のために」編集:クリス・バスビー、アレクセイ・ヤーブロコフ他。翻訳:ECRR2010翻訳委員会。発行:美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会。(全訳)
http://www.jca.apc.org/mihama/ecrr/ecrr2010_dl.htm

●ECRR欧州放射線リスク委員会2003年勧告(一部訳) 


放射線防護のための低線量電離放射線被曝の健康影響
:実行すべき結論(Executive Summary)http://www.jca.apc.org/mihama/pamphlet/pamph_ecrr2_smry.htm

======以下全文転載=======

第5.2 節 外部および内部被ばくのICRP放射線被ばくモデルの歴史的由来
http://www.jca.apc.org/mihama/ecrr/ecrr2010_dl.htm


ICRPは、その始まりが1928年の国際X線ラジウム防護委員会(International 

 X-Ray and Radium Protection Committee)にあると主張している。

本当のところは、合衆国における核爆弾の開発と実験がもたらす新しい放射線被ばくに関心を払い、それらについて勧告し再保証することのできる放射線リスク評価のための主体を設立する必要性によって、その種は1945年にまかれたと見ることができる。

すなわち、ICRPに直接先行する団体は、合衆国国家放射線防護審議会(NCRP:National Council on Radiation Protection)であ
る。原子爆弾の実験を行い、それを日本に投下していた合衆国政府は、核科学が持っているどうしても軍事機密が絡んでくるその特質を1946年には明確に認識していた。それは核物質の私的保有を非合法化し、その分野を管理するために原子力委員会(AEC:Atomic Energy Commission)を設 
立した。

それと時を同じくして、NCRPは合衆国X線ラジウム防護諮問委員会(US Advisory Committee on X-Ray and Radium 
 Protection)を改組してつくられた。


これは被ばくを起こしていた大部分の分野が、医療用X線というよりも、核爆弾開発であったような時期のことである。こうして軍と政府、そして研究契約を結んだ私的企業を巻き込んだ新しい放射線リスク源が誕生したのである。

そして、放射線リスクについての最高権威であると主張できるような十分な信頼を担う主体を早急に設立することがはっきりと必要になっていた。当時の最新の発見によって電離放射線がショウジョウバエに遺伝的突然変異を起こすことが示されていたので(ヒトに対しても同様のリスクを示唆する)、既存のX線被ばくに対する限度を見直し、兵器開発研究や核爆弾実験の被ばくの結果としての外部ガンマー線による新しいリスクにその被ばく限度を拡大させる必要に駆られていた。

さらにそこには新しく発見され、生産され、労働者の手によって扱われ、そして環境中に放出されるようになっていた、新しい(novel)放射性同位体の宿主による内部放射線についての被ばく限度を設ける必要性も現れていた。

今日では、核兵器の研究や開発を妨害しないような被ばく限度になるように、NCRPがAECから圧力を受けていたことを示す十分な証拠が存在している。


NCRPには核リスクの様々な側面を調査する8つの分科委員会がおかれていた。そのなかでも最も重要なものは、ジー・フェイラ(G.Failla)が議長で外部放射線被ばく限度に関与していた第一委員会と、ズィー・モーガン(Z.Morgan)、オークリッジ主席保健物理学者、が議長で内部放射線被ばくリスクに関与していた第二委員会の2つであった。

AECとの間には交渉があり、今日ではそれにとって受け入れ可能なものとして決められたことも明らかになっているが、NCRPはそれ自身の外部被ばく限度を1947年に決定している。

それは週間0.3レム(3mSv)であったが、既存の週間0.7レム(7mSv)を引き下げたものであった。後世になって我々は、この値が今日労働者に対して許容されているものの20倍であり、公衆の構成員に許容されているものの1000倍以上であることに気づくのである(すなわち、欧州原子力共同体基本的安全基準指針と比べて)。


フェイラの第一委員会(外部放射線)が到達した結論であるこの値については1947年に同意されたのであるが、NCRPから最終報告書が出されたのは1953年になってからであった。この遅延の原因は、モーガンの第二委員会が、体内の臓器や細胞への内部被ばく源となる、実に多種にわたる様々な放射性同位体がもたらす被ばく線量やリスクとを決めるために容易に適用できる方法を見出し、そして、導かれた値が正しいと簡単に同意するのは極めて難しいことを見いだしていたからである。

このような難しさの一部には、様々な組織や臓器、そしてそれらの構成要素である細胞における放射性同位体の濃度やそれらの親和性に関しての知識が不足していた当時の状況下でものごとを進めなければならなかったことがある。またその難しさの一部には、線量の単位自体に含まれている平均化する考え方を、非均一な構造中におけるエネルギー密度分布に対して適用する問題が当然にしてあった。

結局、1951年にNCRPはこれらの問題が解決されるのを待つことにしびれを切らし、その執行委員会は第二委員会の審議を即刻うち切ってしまった。そして、おそらくはリスクに関してある誘導操作が必要であったがために未解決のままで内部放射体について報告書を準備するよう主張した。それにもかかわらず、最終報告書は1953年になるまで公表されなかった。


これこそが放射線リスクのブラックボックスが封印されたまさにその瞬間であった。

その内側での作業は、被ばく線量を決定するためのなにか都合の良い方法を急いで開発せよという圧力の下でなされてきていた。ガイガーカウンターやガスフィル電離箱のような電離現象を測定する装置の使用によって、最初に測定されていたのはエネルギーではなくて電離であった(レントゲン)。

そうであれば、単位体積当たりのエネルギーとして線量が定量化されるのがおそらく自然であっただろうが、そうはならなかった。そのエネルギー単位はラドやレムであって、今ではグレイやシーベルトに変更された。

これらの単位、そして、単位体積当たりのエネルギーというアプローチが、その当時にあっても、その体系が本当に一様に被ばくしているのでないならば適用できないのは明らかになっていた。そのモデルは小さな体積の線量や非均一な線量を扱うことが不可能である。そして、この理由のために、内部被ばくに応用するのは危険である。この点については他の場所で詳しく述べる。

しかしながら、今日の問題は、これがICRPによって採用されているモデルを表す放射線リスクのブラックボックスになっているということである。NCRPの議長であるローリストン・テイラー(Lauriston Taylor)は、NCRPの国際版を設立するのを援助 
したが、おそらくそれはNCRPが合衆国における核関連技術開発に関わっているという明白な証拠から注意をそらすためであったのだろう。

そして、放射線のリスク係数に関してのある独立した国際的な合意があることを誇示するためでもあっただろう。その新しい主体は、国際放射線防護委員会(ICRP)と名付けられた。


テイラーはICRPの委員会メンバーであり、同時にNCRPの議長でもあった。NCRPの第一および第二委員会はICRPと同じ議長を重複していた、フェイラとモーガンである。これらの2つの機関の間における個人の相互浸透は、今日におけるリスク評価機関の間における同様な個人の異動の先例になっている。


その構成員に研究者が在籍し基礎的な研究を実施したり委任したりしているECRRとは異なり、ICRPは常に机の上で仕事をする機関(desk organization)でありつづけ 
てきている。これまでいつも机だけの組織であった。ICRPにはひとりの常勤職員が雇用されており、1980年代終わりから最近までジャック・バランタイン(Jack Valentin)と 
いう科学幹事がいた。それは机上の機関(desktop 
organization)であって研究はしない。

ICRPが利用する情報はUNSCEARから提供される科学的報告書に頼ってきていると述べている。ところがUNSCEARも研究をやっていない:UNSCEARの出す報告書は、その編集者が注意深く選択する他の研究を引用するように選択している。これらの編集者は最近のICRP2007年報告に見られるやり方で彼らの参考文献を選択する傾向がある。


これらの放射線リスク機関には共通している個人がいる。例えば、ICRPとUNSCEARとの間、また合衆国のBEIR VIIと国際原子力機関IAEAの間に重複があ 
る。ECRR2003には、当時ICRPの議長だったロジャー・クラーク(Roger Clarke)が、英国国立放射線防護局(NRPB)の局長 
であったことが報告されていた。

クラークはまたリスク係数の決定に責任を負う2007年ICRPタスクグループの一員でもあった(そして、リスク係数が間違っていることを示しているデータを無視した)。このタスクグループの議長だったロジャー・コックス博士(Dr Roger Cox)は、NRPB(現在の 
HPA)の議長であり、ICRP第1委員会の議長(2001-2005)であったが、現在はICRPの副議長であり、UNSCEAR2000報告書を書いた著者でもあった。

コックスは、ICRPモデルが間違っている証拠を多数派の最終報告書から排除したCERRIE委員会にも参加していたし、2005年の報告書を出した合衆国のBEIRVII委員会にも参加していた。これらのグループが独立した支援のために、お互いに引用する際には、何ら労力は要しない。

IAEAのアベル・ゴンザレス博士(Dr Abel Gonzalez)は、ICRP委員会の正会員であり、ICRP2007年報告の草案にも名前を連ねている。スウェーデンのラルク・エリック・ホルム博士は(Dr 
Lars Eric Holm)ごく最近までICRPの現役議長を務め、またスウェーデン放射線防護当局SSIの議長であったし、また2001年にはUNSCEARの議長であり、UNSCEAR2006報告書の代表であった。

ホルムはチェルノブイリ事故での全死者は重篤な被ばくをうけた除去作業に従事した30人の労働者に限られていると述べたのが記録されて有名になったが、同様の発言はIAEAのアベル・ゴンザレスによっても公衆の前でまた会議席においても繰り返されている。

ここで重要なポイントは、各国政府が科学的合意の議論について依存している全ての機関が完全に内部でつながっており、ひとつのリスクモデル:ICRPのリスクモデルに頼り切っていることである。

ICRPはそこからの証拠に依存しているそれらの機関から独立しておらず、それらの機関はICRPから独立していない。その体系は内部無撞着であり危険な科学の回勅文書に支えられる要塞都市である。

放射線被ばくと健康について関わると合理的には期待される他の国連機関、世界保健機関(WHO)はどうか?WHOは1959年にIAEAとの間で放射線の健康影響に関する研究をIAEAに任せるというIAEAとの合意を強要された。この合意は今でも有効であり、WHOだけでなくFAO(国連食糧農業機関)にも及んでいる。

2001年にキエフで開催されたチェルノブイリ事故の健康影響に関する会議で、WHO議長のエイチ・ナカジマ教授(Prof H Nakajima)は公のインタビューの
なかで次のように述べた;「放射線影響の研究ではWHOはIAEAに追随する、健康は原子力に従属する」。

IAEA の権限は原子力の平和利用の展開である、しかし現在では、むしろアメリカ合衆国と他の核保有国以外に核兵器が広がることを制限することを目的とした国際的な警察官である。チェルノブイリ原発事故の健康影響についての研究の欠如は、IAEAの関与とWHOの去勢に原因があるとされてきている(Fernex 
2001)。その関係する同意は次のように述べている:


・・・WHOによって認識されているところによれば、世界における原子エネルギーの平和利用の奨励とその研究の助成及びコーディネート、また、開発そして実際的な応用については、IAEAが第一義的責任を持っている。他の機関が実際に関係する、または、しえるような課題に関するプログラムや活動を、いずれかの機関が開始するのを提案する時にはいつでも、甲は相互協定にしたがって問題を調整することを目指して乙に相談する。(第一条、§§2-3, ResWHA 12 - 40, 1959年5 月28)。


NRPBが英国の規制当局である環境省に対して、その環境省が受理する公式文書に、UNSCEARとICRPとは「完全に分離して設立されている」と述べることは誰からも妨げられてきていない。したがってリスクに関する声明の信頼性は、それら機関が他の機関を引用することによって、見せかけのうえに獲得されていることになる。

しかしながらそれは、彼らの全てがNCRP/ICRP戦後プロセスという、同一の発展と同一のモデルに彼らの起源があるという事実がもたらしたものだとして理解することもできる。

このブラックボックスは、これまで適切に公表され検討されることは一度もなかった。放射線リスク基準の展開の全体的な歴史は、コーフィールド(Caufield)に見ることができる。テイラー自身もそれらの展開をいくらか詳しく書いている(Tayor, 1971)。そして、戦後期の放射線 
リスクの展開に関するインタビューのなかで、NCRPとICRPの双方を離れたカール・モーガン(Karl Morgan)は、これらの機関とそれらの取り 
巻きについて次のように語っている。「私は自分の子供を恥じ入る父親であるように思える」(Caufield, 1989)と。


本報告においてECRRは、ICRPの批判に主要な関心を向けているのではない。歴史的な脈絡の中で、現代的な低レベル放射線に対するリスクモデルを提出するだけである。本委員会はここで行った歴史の再検討は、理論と観察結果との間に、どうしてそのような大きな食い違いが存在することになってしまったのかを理解することを助けると考えている。


(以上、第5.2節の全文紹介終わり)



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