[CML 010792] 菅首相の「脱原発宣言」(7.13記者会見)の評価について 私として思うこと

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2011年 7月 18日 (月) 00:13:01 JST


菅首相の「脱原発宣言」の評価について、当面最小限のこと、かつ、私として本質的と思われることに
ついて私の見方と意見を述べておきたいと思います。

菅首相の「脱原発宣言」」(7.13記者会見)の評価について、次のような意見がある種説得力のある
メッセージとして少なくない人々の共感を得ているようです。

「首相自身が政府見解ではなく個人の考えだと後退しているものの、この7.13記者会見「脱原発発
言」は基本的には原子力村の住民に対する市民的な良識のひとつの勝利の現れだと思う。これは政
治的にひとつのチャンスだと捉えるべきでしょう。これを確保し、橋頭堡としていきながら、情勢を発展
させて『政府見解』へと成長させなければなりません。そのためには首相としての菅直人が公然たる
記者会見の場で明言した『原発に依存しない社会を目指す』という『個人の考え』を政府内にも首相自
身にも再確認をせまることが重要だと思う。」

上記の発言は、菅首相の3・11以後の一連の「何とも煮え切らない中途半端」な原発政策、また行政
指揮、また発言は必ずしも支持しないし、支持できるものでもないが、まかりなりにもこの国の政治の
最高責任者である一国の宰相が「脱原発宣言」を「公然たる記者会見の場で明言した」のである。これ
は政治的なきわめて大きなチャンスである。菅首相の政治的資質がたとえ「煮え切らない中途半端」な
ものであろうとなかろうとこの大きなチャンスをものにしないという手はない。この一国の宰相の言質を
われわれはそれこそ質にとって「原発に依存しない社会」を真に実現させる橋頭堡にするべきだ、とい
う趣旨で、一見たしかに説得力のあるメッセージであるように見えます。

しかし、急いでいるので結論部分しか述べませんが(「当面」というゆえんです)、私は、こうした菅評価、
あるいは菅発言利用論ともいうべき上述の主張は、「何とも煮え切らない中途半端」な原発政策(浜岡
原発のすべての原子炉の運転停止を要請しながら、一方で2、3年後には同原発を再稼働させること
を中部電力に確約するがごとき)、したがって「脱原発宣言」を口では唱えながら結局のところ原発推
進政策に帰着するであろうことが目に見えている菅首相、菅政権の延命に結果として手を貸すことにし
かならないだろうと思っています。すなわち、「『原発に依存しない社会』を真に実現させる」ことには決
してならないだろう、と。

下記の記事をお読みください。本日付けの産経新聞の記事です。

■首相、9月国連総会出席に意欲 演説草案作りを指示 外交ドミノで退陣封じ!?(産経新聞 2011
年7月17日)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110717/plc11071702000001-n1.htm

「菅直人首相が9月下旬に米ニューヨークで開かれる国連総会への出席に強い意欲を示していること
が16日、分かった。複数の政府筋が明らかにした。(略)外交日程を早めに固めることで8月退陣論
を封じる狙いもある。退陣表明しながら続投に固執する首相に与野党は不信感を募らせており、8月
の壮絶な『菅降ろし』攻防は避けられそうにない。/複数の政府筋によると、首相は9月21日から始
まる国連総会一般討論演説に出席し、自ら演説する意向を示し、外務省に演説の草案作りを指示し
た。(略)/首相は昨年の国連総会にも出席しており、2年連続となれば平成16、17両年の小泉純
一郎首相(当時)以来。ある政府関係者は『首相は小泉元首相を強く意識している。連続出席で長期
政権の基盤を固めるつもりではないか』と語った。」

「菅降ろし」にいささかバイアスがかかった感のある記事ではありますが、指摘されている事実はその
とおりでしょう。菅首相の「脱原発宣言」は多くのメディアも指摘しているとおり、与野党を問わない「菅
降ろし」の合唱の窮地に陥った菅首相の自己保身のための窮余の一策だと見るのが妥当なところ、
というのが上記の記事からもうかがえることのように思います。「9月下旬に米ニューヨークで開かれ
る国連総会への出席に強い意欲を示」すなどそれこそ「公然たる民主党代議士会」で辞任表明をした
人が倫理的に為せることではないでしょう。

菅首相の「脱原発宣言」支持の訴えは菅首相の自己保身のための延命戦略に逆に利用されるだけ
だろう、というのがこの件に関する私の判断です。

いま、市民の間では菅政権評価が二分しています。同じように小沢政権待望論も市民の間で評価が
二分しています。しかし、人々はなぜ菅か小沢かにこだわるのでしょうか? 菅か小沢かでなぜ思考
停止してしまうのでしょうか? どっちに転んでも私に言わせればどちらも民主党の枠内での政治、
あるいは自民党を含む2大保守政党制の枠内でのコップの中の嵐での人事にすぎません。そして、
民主党政権も自民党勢力も原発推進を唱える政党です。であるならば、そこでの人事がどのようなも
のであったとしても基本的に「脱原発」への政策転換は望みがたいものがある、といわなければなら
ないのではないでしょうか。

いま私は一昨年の「政権交代」選挙で民主党への支持が膨れ上がった弊害について思っています。
あのとき「政権交代」という一点の大事さを思うあまりかつては社会党、社民党支持であった人たち、
また共産党支持であった人たちの多く(あるいは少なくない人たち)が民主党支持に回ってしまいまし
た。その民主党支持が一回限りの現象ではなくずるずるといまも続き、その弊害が菅か小沢かとい
う民主党サイド、あるいは2大政党制の枠組みの視点からでしかものを見ることができない元「革新」
の人(自身は自分のことを「革新」の人だと思っているところがこの新民主党支持者の特徴です)を
あまりにもたくさん輩出させてしまった。この弊害・・・

この点についての詳細はまた述べようと思っています。


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/



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