[CML 007378] 羽澤ガーデンで現場検証記念フォーラム=東京・港(中)林田力
Hayariki
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2011年 1月 28日 (金) 21:22:33 JST
【PJニュース 2011年1月28日】フォーラムは三部構成である。第一部「シンポジウム〜 辻井喬氏を囲んで 〜」では最初に詩人の辻井喬氏が講演した。辻井氏は日本には「文学は政治から距離を置くべき」という発想があると指摘した。それが日本の文学を貧しくしている面がある。その空白を埋めて大勢の人に分かりやすい作品を書いた作家が司馬遼太郎である。その司馬が「軍国主義を鼓吹しているように誤解される」ために映像化を拒否した作品が『坂の上の雲』である。この『坂の上の雲』を最近になって映像化することは理解できないと述べた。
辻井氏は『坂の上の雲』によって「日露戦争の頃は前途に希望があった。坂の上に雲が輝いていた」というイメージが流布されることを疑問視する。それは「日露戦争の時は良かった。今の若者は何をやっているのか。あの時のようにならなければならない」ということに行き着きかねない。羽澤ガーデンの保存は懐かしさだけでなく、近現代史を再発見する手がかりにしていかならないと結んだ。
辻井氏の講演を受け、3人のパネリストが意見を述べた。
第一に歴史家の半藤一利氏である。半藤氏は『坂の上の雲』で明治時代を良い時代とする誤解が広がることへの懸念を表明した。日本は日露戦争に勝利していない。当時の日本には戦争を継続する能力はなく、アメリカに仲介を依頼して、何とか戦争を終わらせたことが実態である。
http://news.livedoor.com/article/detail/5301381/
http://www.pjnews.net/news/794/20110126_3
しかし、日露戦争に勝ったことにしたために、日本人はうぬぼれてしまい、アジアの人々をさげすむようになった。この日本の実態を正しく認識しなければ破滅的な戦争に進んだことが理解できない。漱石の「満韓ところどころ」にも朝鮮人や中国人への差別意識はあるが、当時の一般の日本人の差別意識から見れば相当抑えられていたと指摘した。
第二に元最高裁判事の園部逸夫氏である。園部氏は羽澤の地名の由来を説明した。さらに自らの軍隊体験から非人間的な旧軍組織の実情を語った。
第三に作家の黒井千次氏である。黒井氏は「満韓ところどころ」は読みやすく面白いとする。漱石の言葉遣いは独特である。漢字を読めない政治家と異なり、知り過ぎているために漢字の使い方が奔放である。続けて黒井氏は中国や韓国の作家の動向を説明した上で、現実と文学の関わりについて「文学の方に課題が多いのではないか」と問題提起した。
第二部「トークオムニバス 私の是公と漱石」では是公の孫の有馬冨美子氏と漱石の孫の半
藤末利子氏が祖父の貴重な逸話を語った。
有馬氏は「祖母(是公の妻)は几帳面で、是公の身なりをきちんとさせていた」と語る。漱石が「いつも身なりがきちんとしていいね」と言ったところ、是公は「よくないよ、汚すと怒られる」と答えたという。
半藤氏は「厳格で潔癖な漱石も是公には心を許し、是公からお金を借りたままでいることもあった」とする。是公は漱石の死後も漱石の家族を気にかけ、山鳥を毎年送ってくれたという。【つづく】--
『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者 林田力
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