[CML 007211] 相続裁判の当事者尋問では終末医療も問われるか(下)林田力
Hayariki
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2011年 1月 13日 (木) 08:00:03 JST
【PJニュース 2011年1月14日】2時間以上経過していることをもって「点滴と嘔吐は一切関係ない」と断定する科学的根拠は皆無である。そもそも医学的には投与後24時間以内に起こる嘔吐を急性嘔吐、24時間以降に起こる嘔吐を遅発性嘔吐と定義する。2時間以上経過した程度では立派な急性嘔吐であるとする(原告訴えの変更申立書(2)7頁)。
母親は倒れてから一度も自宅も帰ることもなく、僅か3か月弱の入院で亡くなった。現代日本の医療水準では半身不随になりながらも何年も生きる人が多いことを踏まえれば、これは非常に短い。実際、不治の病に侵された病人でも想像以上に長生きできるものである。以下の指摘がなされている。
「心臓、肺、肝臓の重篤な病気で余命六ヵ月診断した患者のうち、最も厳しい基準、最も確実に死ぬであろうという基準の下に選んでも、その選ばれた患者の過半数は六ヵ月後にも存命していた。」(池上直己「亡くなり方を考える」『慶応義塾創立150周年ブックレット 学問のすゝめ21』慶応義塾、2008年、30頁以下)
http://news.livedoor.com/article/detail/5265400/
http://www.pjnews.net/news/794/20110109_12
一頃は理想の死に方としてピンピンコロリ(PPK)がもてはやされた。ピンピン元気に生きて、コロリと死のうという意味である。しかし、最近ではピンピンコロリの危険性が指摘されている。ピンピンしていない老人はコロリと逝った方がいいというファシズム思想につながるからである。ピンピンコロリは高齢者当人の気持ちを無視した、周りの人や医療費削減を狙う厚生労働省の願望にも聞こえる。
実際、ニュースキャスターの阿川佐和子氏は最近、何人かの方から以下のような死に方を望むと言われたと紹介している。
「僕はがんのような病気になって、あと余命何年とか、何ヶ月とか言われることによって、自分が死ぬことに対していろいろな準備をし、部屋をきれいにしたり、財産を整理したり、子どもたちと交流したりして、家族もゆっくり覚悟をしたうえで、これで双方すっきりしたと言って死ぬほうがいい」(「パネルディスカッション 終末期のケアを考える」『慶応義塾創立150周年ブックレット 学問のすゝめ21』慶応義塾、2008年、73頁)
どこまで終末医療を家族の一部が左右できるのかという難しい問題が当事者尋問では浮かび上がることになる。【了】
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