[CML 007809] 黒木実氏が市民団体集会で区長選立候補意思表明=東京・世田谷
Hayariki
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2011年 2月 24日 (木) 22:19:33 JST
【PJニュース 2011年2月24日】「新しいせたがやをめざす会」が2011年2月20日に「2011年世田谷区長選候補者候補のお話を聞く会」を東京都世田谷区上馬の東京土建世田谷会館で開催した。世田谷区砧在住の建築家の黒木実氏が立候補を表明した。
「お話を聞く会」では最初に共同代表の志村徹麿氏(二子玉川の環境を守る会)があいさつした。本日は人口約85万人という大変大きな世田谷区に市民の力で新しい区政を作りたいという会の候補者候補を決める大変重要な集会であり、率直で忌たんのない質疑と意見交換を活発にやっていただきたい。得心行くまで議論して欲しいと述べた。
次に事務局の根本善之氏から経過報告がなされた。候補者として文化人や各界の著名人らが多数推薦されたが、最終的には二人に絞られた。ところが、そのうちの一人が辞退を連絡したために、本日は一人の候補者候補の話を聞くことになったと説明した。
続いて事務局の池上東湖氏が会の政策案について説明した。最初に政策案は市民の提案により発展していくものと説明した。本日までも14人から意見が寄せられており、別紙にまとめられている。政策案は4人前に作った「市民政策・せたがや」で作った政策案の良いところを引き継ぎながら発展させている。
1月29日の結成集会などで多くの市民から提言を受け、区政の問題を共有できた。例えば多くの住民が反対している外環道(東京外郭環状道路)について熊本哲之区長が賛成を表明していた事実は、あまり知られていない。二子玉川東地区再開発(二子玉川ライズ)も当時の区長と東急グループの密約で始まっているが、住民が知らないところで住民の意思に反する政策が進められている。
また、東京土建一般労働組合の方々の調査によると、世田谷区が公共工事などを発注しても、僅か3.9%しか世田谷区民に還元されない。例えば100億円の事業をしても約4億円しか世田谷の働いている人には戻ってこない。これを問題視する意見も出された。このような内容を共通認識にしながら基本政策や個別政策を作成していったと述べた。
候補者選考方法の説明の後、黒木氏のプレゼンに入った。黒木氏は冒頭で推薦者に礼を述べた。私が区長になった際には区民参加を強く訴えたい。この選挙を通じて区民が連帯し、その連帯意識を選挙後の区民参加に活かしていただきたい。それが私の気持ちであり、「新しいせたがやをめざす会」が発展するために必要と述べた。
黒木氏は「区民の区民による区民のための区政」とリンカーンの言葉をもじり、民主主義は区民一人一人が考え、区政に意見を表明し、それを実現することと述べた。行政は区民の活動をサポートするマネジャーである。それ故に区民の方々が連帯し、自分たちの住んでいる地域なり、自分の置かれているさまざまな問題を行政の中で取り上げてもらえるかということを意識してもらいたい。
黒木実氏の話は続く。1960年代の日本は、ある意味では開発途上国であった。インフラが整備されていなかった。その後、インフラ投資が進み、1975年頃にはかなりのインフラが整備された。その間に東京オリンピック(1964年)があった。大阪万博(1970年)もあった。1980年くらいに先進国の仲間入りをした。
本来ならば、そこで大きく日本がどういう方向に行くのか、先進国に追いついた時にどういう国になっていかなければならないかということを、きちんと国の政治の場で論議されなければならなかった。それが議論されないまま、今日に至っている。1960年代のドンドン道路を造り、高層ビルを建設する発想が2011年まで連続している。これでは資金がもたない。
少子高齢化社会がヒタヒタと押し寄せてくる。そのような時代に1960年代の手法を続けていいのか。根本的な行政の大転換をしなければならない。熊本区政の8年間は1960年代の手法であった。大規模なプロジェクトや道路建設を進めた。それでは区の財政は、いつまでもつか。それをしっかりと考えてほしい。
http://www.pjnews.net/news/794/20110223_1
世田谷区は1980年代に街づくり条例を制定した。当時、街づくり条例を制定していた基礎自治体は神戸市と世田谷区くらいで、非常に先進的な自治体と言われていた。それから10数年くらいは住民参加の街づくりが行われてきた。しかし、どこかから、それが変わってしまった。
かつては区民から上がってきた言葉を街づくりデザイン室が取り入れて、参加型の街づくりをしていた。それが、どちらかと言えば上位下達的な街づくりに変わってしまった。これは区民にとって悲しいことである。
それを変えたいと思い、私は立候補を決意した。全くの政治の世界の素人である。建築家という職能で培った職能を活かしたい。建築家は白紙のものから設計図を書いて、予算を決めて、どういう形にしたら経済的で使い易いものができるかということを訓練している。この手法を用いながら、話したようなことを実現していきたい。
私のような素人が行政に入っていくことで、色々な軋轢があるかもしれない。行政パーソンとも闘わなければならない。それを助けてくれるのは、あなた方区民である。区民が「こうしたい」「私の地域をこういう風にしたい」という意識をドンドン上げて欲しい。それによって「区民が要望しているのだから、実現策を考えて下さい。いいアイデアを出してください」と言える。それができないならば「区民と一緒に考えて下さい」と言える。
行政パーソンとパートナーシップを組めるような形で区政を大いに良くしていきたい。かつて西の神戸、東の世田谷と言われたように世田谷から新しい街づくりができたと発信していきたいと語った。【了】
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『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者 林田力
http://book.geocities.jp/hedomura/
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