[CML 009258] チェルノブイリ・ベイビーから「福島の子どもたち」へ(前後編)
Yasuaki Matsumoto
y_matsu29 at ybb.ne.jp
2011年 4月 27日 (水) 06:14:11 JST
みなさまへ (BCCにて)松元@パレスチナ連帯・札幌
チェルノブイリ25周年に、まさにこれからの「福島の子どもたち」への祈りと大人たちへの警告と提言です。TUP速報906号の前後編を全文ご紹介させていただきます。長いですが、ぜひ最後まで読んでください。
(万一、字詰まり、文字化けなどありましたら下記サイトでご覧ください。)
http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=938
=========以下全文転送=======
[TUP-Bulletin:0048] 速報906号(前後編)
チェルノブイリ・ベイビーから「福島の子どもたち」へ
<チェルノブイリ原子力発電所事故25周年>
見えない恐怖を可視化する
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英国時間の2011年3月11日朝、日本の東北太平洋岸を襲った大地震の
第一報をBBCのモーニングショーで知った。学校に出かける息子に「今
日は携帯電話をオンにしておきなさい」と言いつける一方で、東京の家
族に電話をかけ続けたがいっこうにつながらず、すっかり地震のニュー
スだけになったテレビ画面では津波が村や町を飲み込んでいく様がNHK
経由で実況されていた。
福島第一原発が津波にやられて炉心冷却装置が働いていないらしいとの
メールを受け取ったのは、地震発生後3時間ほどしたころだ。電話がつな
がらないので家族にメールを書き始めていたが、その情報を得て以降、
文面は単に安否を気遣うものから、可能なら西へ逃げてというものに変
わった。電話が通じるようになってからは呼びかけの範囲を友人にも広
げ、根拠もなく煽るなと時々叱られたりもしたが、なんでもなければ笑
い話になるから、できるなら逃げてと答えた。
チェルノブイリ並みの大爆発を危惧してのことだったが、幸いなことに
そこまで大きな爆発はなかった。しかし、ふたつの水素爆発から6週間
が過ぎたいま、環境に放出された放射能の量で言えば、事態は確実にチェ
ルノブイリの方向に近づいている。にもかかわらず、その危機感が日本
の多くの人に共有されていないのはなぜだろう。わけても政府の中枢に。
放射能は目に見えないから危険さの実感には想像力が必要だ。一般的に
「おんな子ども」は恐がりなので、見えないものの恐怖については「お
とこ」より敏感なんじゃないかと思う。そして、おそらく放射能は、そ
のような態度で怖がるべき対象だ。なぜなら、その恐怖が見えるものに
なったときでは何をするにも遅過ぎるし、その見えない放射能によって
数年後につけを払わされるのは、しばしば「おんな」と「子ども」だか
らだ。
しかし、困ったことに世の中を動かしているのは、多くの場合、その鈍
感な「おとこ」たちなので、見えない恐怖に説得されない「おとこ」の
ために、チェルノブイリから飛びだした放射能に支払いを要求された
「おんな」と「子ども」を可視化してみようと思う。登場するのはふた
りの若い男女とその親だ。かれらはチェルノブイリの公式の被害者には
記録されていない。
前書き・本文:藤澤みどり (TUP)
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[TUPエッセイ]
チェルノブイリ・ベイビーから「福島の子どもたち」へ
2003年11月のはじめごろのことだ。ブッシュ大統領のロンドン訪問にあ
わせた大規模反戦デモを翌日に控えて、ロンドンの議会前広場で抗議行動
をしている最中に、顔見知りの反戦活動家がひとりの青年を紹介してくれ
た。
「反核活動家のイアンだ」
イアンと呼ばれた背の高い青年は人なつこい笑顔で握手を求めながら、
「日本人だって?」と話しかけてきた。ジャーナリストの森住卓さんが撮
影したイラクの子どもたちの写真展示を通して、イラク戦争と劣化ウラン
兵器に反対する活動を行っているとわたしが自己紹介すると、イアンは、
劣化ウラン弾によって発生した放射性物質でイラクの人々、とりわけ子ど
もたちがひどく苦しめられていることを知っていると言った。
そして、日本の人はヒロシマの経験があるから放射能の悪影響に敏感だ
ねと続け、「放射能がどんなにひどいことをするか、ぼくもよく知ってる
よ」と言いながら、かぶっていたキャップをとった。
イアンの頭は、火傷を負ったばかりように広い範囲にあちこち赤剥けてい
て、実際には乾いていたのかもしれないが、濡れたようにてらてらしてい
た。そして、そのただれた赤い皮膚のあいだに、金色か薄い茶色の髪の束
が少しずつ、ここが頭であることの申しわけのように生え残っていた。赤
剥けた皮膚は頭から首筋のほうへ、その下へとずっと続いているようだっ
た。
「どうしたの?」と尋ねると、「チェルノブイリの灰をかぶったんだ」と
答え、外したときと同じぐらい素早く帽子をかぶってしまった。
チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発した翌日、まだその爆発が隠
蔽されていた4月27日日曜日の昼間、イアンは自宅の近所の海岸にいた。
「ビーチで遊んでいたんだ」。ひとりではなく、友達か家族といっしょで、
他にも大勢の人がいたらしい。「なにしろいい天気だったそうだから、そ
の日は」
放射性物質の付着したホコリや灰が北西の風にのって千キロ以上離れたイ
ギリスの東海岸まで到達し、雨粒とともに地上に降り注いだ結果、放牧さ
れていた羊が放射能に汚染された牧草を食べて被ばくし、食用に適さなく
なったといった話は聞いていた。しかし、チェルノブイリの灰で被ばくし
た人に遭うのはイアンが初めてだった。放射性物質を直にかぶっただけで
なく、海で泳いでもいたので口から体内にも取り入れた可能性があり、そ
の影響か、ひどく体が弱いという。
スウェーデンの原子力発電所にある放射線管理区域外の敷地で、そこにあ
るはずのない放射性物質が検出されて放射能漏れが疑われたのは、イアン
が海岸で遊んでいた翌日だ。世界をかけめぐった最初の報道では、放射能
漏れをおこしたのは放射性物質の見つかった当の原子力発電所だとされて
いたが、やがて、どうやら出所はソ連圏だということになり、同じ日の夜
(欧州時間)になって、ソ連の通信社がチェルノブイリ原子力発電所(現
ウクライナ共和国)での2日前の大爆発を報じた。
その大爆発を知っていたら、どんなに天気が良くても子どもを海岸になど
やらなかったろうに、外でなど遊ばせなかったろうにと、イアンの母親は
悔やんでも悔やみきれず、きっと何度も泣いたろう。
* * *
福島第一原子力発電所のふたつの原子炉建屋で水素爆発が発生してからま
もなくの3月17日に、ロイターのウェブサイトに「チェルノブイリ・ベイ
ビー」の証言が掲載された。「フォールアウト・ゾーン(放射性物資が降っ
た土地)での暮らし、人生」について、その地で生まれ育ったロイターの
新米特派員が自ら語る記事だった。
ナスターシャ・アストラシェウスカヤという名のその特派員はイアンより
さらに若い世代に属していて、イアンが長男とすれば、少し年の離れた妹
あたりの年齢だ。ナスターシャはチェルノブイリで爆発が起きたときは、
まだ生まれていなかった。それどころか胎児でさえなく、まだ母親の体の
中の卵子のひとつに過ぎなかった。
ナスターシャは語る。
*
チェルノブイリが爆発したとき、私はまだ生まれてもいませんでした。に
もかかわらず、私の子ども時代は命にかかわる負の遺産につきまとわれて
いました。
同じ学校の女の子の一人は片手の指が6本ありました。 私の甲状腺はいつ
も肥大していますし、私も家族もずっとガンを恐れていくことになるでしょ
う。
津波に襲われた福島原子炉の暗い影の中で生活し、この先の影響を心配さ
れている日本の方々が、そんな運命にならないようにと願っています。
私は1989年8月31日、チェルノブイリから500キロ離れたベラルーシのモ
ギリョフで生まれました。モギリョフは、1986年4月に起きたウクライナ
のチェルノブイリ原発の火事の後、ベラルーシに向かって飛ばされた放射
性の雲の中心にありました。
私はその時、起きたことを直接経験していませんが、両親がその話をする
のを何度も聞きました。
そのスモッグが何日も漂っていたとき、何が起きていたか、両親は知りま
せんでした。公の説明は何もありませんでした。テレビでもラジオでも、
役人の口からも一言もありませんでした。
本当のことを知っていた人たちは、自分の子どもに家の中にいるように指
示しました。でも一般人のあいだにパニックを起こしたくなかったんです。
一般人は自分の吸っている空気がどんなものかすら気づかずに、汚染され
た通りを歩いていました。
チェルノブイリの爆発が隠しおおせるものではないとソ連政府が悟るまで
に数日かかりました。大量の放射性物質が放出されたと外の世界では知って
いたのに。
危険に気づくと、両親はすぐ決断しなくてはなりませんでした。母と兄は
モスクワへ行くことにしました。モギリョフより放射能の影響が少なかった
のです。父はモギリョフに残って仕事を続けることにしました。息をするの
も危険でしたが、家族にはお金が要りました。
「あなたのお兄ちゃんはそのとき五歳だった」と母は話してくれました。
「連れ出さなくてはならなかったの」
荷物の支度をしてモスクワに向かい、母方の伯父の家に滞在しました。「五
カ月いたの」と母は言いました。「でもすぐには何も変わらないとわかって、
お父さんのところに戻ったの」。移住するのは無理だったんです。
私はその3年後に生まれました。
出生率は急激に下がり始めていました。事故のあとに生まれた赤ちゃんに
いろいろな異常があって、みんな子どもを持とうとしなくなったんです。
私と一緒に学校に行っていた女の子は腕に異常がありました。
こわかったけれど、慣れました。
事故のあと、ベラルーシで暮らしていたほとんどの人がそうでしたが、私
の甲状腺はふつうよりずっと肥大していました。いつも甲状腺ガンになる
のを恐れて暮らしていました。
ベラルーシはチェルノブイリから出た放射性降下物でもっとも汚染された
国で、汚染が完全に取り除かれた地域はまだほとんどありません。
水のせいで歯が悪くなりました。放射能レベルが他より低い場所があって、
きのこやベリーを摘むことができました。広大な森の地域が鉄条網で立ち
入り禁止にされていて、 「放射能危険」という黄色の標識があちこちに
あったのを覚えています。
私の世代の、特にウクライナとの国境に近い地域に住む人は、「チェルノブ
イリの子どもたち」として知られるようになりました。気の毒に思った外
国の人たちが団体を創設して、汚染地域の子どもの健康状態が改善するよ
うに手助けしてくれました。毎夏何週間か、歯の治療を受けたり、健康に
いい食べ物を食べたり、新鮮な空気で肺をきれいにしたりできるよう、ベ
ラルーシから欧米に連れて行ってもらいました。
今日、爆発から25年経って生まれる子どもも、やはり脅かされています。
その子どもも孫もです。放射能はそんなにすぐには消えないからです。子
どものころに放射能にさらされたので、その影響はずっと体に残るし、子
どもがどこで生まれても、たぶんその子にも伝わるとわかっています。
でも今できることは何もありません。立ち入り禁止の森や野原に入らない
ようにするだけです。[翻訳協力:荒井雅子(TUP)]
http://www.huffingtonpost.com/2011/03/17/chernobyl-japan-nuclear-crisis_n_837213.html
本編は、<チェルノブイリ・ベイビーから「福島の子どもたち」へ(後編)>に続きます。
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TUP公式ウェブサイト: http://www.tup-bulletin.org/
本編は、<チェルノブイリ・ベイビーから「福島の子どもたち」へ(前編)>からの続きです。
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もう一度、イアンの話をしよう。
イアンは反核活動家として、核兵器に反対する行動だけでなく、核再処理
施設や原子力発電所での抗議行動にも参加してきたそうだ。イアンがそう
であるように、世界の反核活動家はしばしば原子力発電(核発電)にも反
対の立場にたつ。チェルノブイリ原子力発電所の爆発以降、その傾向は顕著
で、「NO NUKES」と言えば、それは核兵器と核発電の両方に反対する意
見表明にもなる。
イアンは言う。
施設の前で抗議行動をしていると警備員が出てくるだろう。そうすると帽
子を取って頭を見せてやるんだ。これが放射能のやったことだって。
イアンには核に反対するだれにも負けない動機がある。
*
かれの話を聞いて考えた。
日本人はしばしば「日本は唯一の被ばく国だ」と言う。実際には、核実験
場をはじめ世界の至るところに被ばく地はあるが、とりあえずその点はお
いておくとする。「唯一の被ばく国である日本は核兵器の使用にも所持に
も反対である」と言うが、そこで問題にされる「世界で唯一の日本の被ば
く」とは、どうやら「爆発」を伴う兵器による直接的な被ばく、わけても
「体外被曝」にほぼ限られるようにみえる。
原爆の破壊力は確かに凄まじい。中規模の二つの地方都市が一瞬にして死
体と瓦礫の山に変わった。爆発を生き延びたうちの少なくない人々が、爆
発によって放出された放射線によって急性放射線障害を負い、数日から数ヵ
月を苦しみ抜いて亡くなった。これらの被害は原爆の空間的な破壊力と定
義することができるだろう。
核兵器の必要性を説く人たちが問題にするのも、核兵器のこの空間的破壊
力だ。一瞬で大量の破壊をもたらすことによって敵に脅威を与え、それ以
上の戦争の継続を断念させる効果がある、と。そして、この恐怖感を互い
に煽ることで、冷戦は不思議に均衡していた。
*
しかし、原爆の恐ろしさの本質は、実は空間的なものより時間的な破壊力に
ある。
原爆投下の翌日、数日後、1週間後、けが人の救助や家族を捜して広島や
長崎の市内に入った人々(入市被ばく者)が、急性放射線障害と同じ症状
でばたばたと亡くなった。これはいまでは内部被ばくが原因とされている。
また、原爆を生き延びた人や残留放射能によって被ばくした人々は、数年
後、数十年後に、複合的なガンに冒されることがしばしばある。ガンにな
らないまでも、疲れやすくて集中力が続かないなどの重度の倦怠感が原因
で仕事に就けなかったり、一見怠けているようにしか見えないことから
「ブラブラ病」などと揶揄され、苦しい生涯を送った人も多いと聞く。
仮に被ばくした本人は比較的健康に人生を全うすることができたとしても、
次の世代、また次の世代に身体的な異状が現れることもある。そして、こ
の情報が歪められて広がった結果、心ない差別に苦しめられてさえいる。
そればかりか、ガンを患った子どもや孫が、自分より先に死ぬ不幸にもし
ばしば立ち会う。
こうした原爆の時間的な破壊力に注目すると、爆発を伴うかどうかよりも、
放射能の拡散こそが問題だと気づく。
放射性物質がいったん環境に放出されてしまえば、その物質が放射能を出
し切って別の無害な物資に変わるまで、時には何万年も何十万年も放射線
を出し続ける。そして、そのあいだずっと危険は去らない。放射能は閉じ
込めておくべきものという視点に立てば、放射能を閉じ込める器が核兵器
の形をしているかどうかは、二次的な意味しかもたなくなる。
核兵器と原子炉が同じものでないように、核兵器の使用と原子力発電所の
事故は同じものではないとの主張は、大量の放射能の環境への放出という
点からみれば、あまり有効ではない。
「日本は唯一の被ばく国である」という前提が、「核爆発による被ばく者」
とそれ以外の被ばく者のあいだにヒエラルキーを作っているのではないか。
放射線の被害者であるという点において、爆心地の被ばく者と入市被ばく
者のあいだに差がないように、原発の事故によって被ばくを余儀なくされ
ている人々とのあいだにも差はないはずだ。
「日本は唯一の被ばく国である」というこの決まり文句がフクシマ以降も
有効かどうか、わたしたちは夏までに答えを出さなければならない。
*
数十年前に爆発してしまった核爆弾の被害をいまから防ぐことはできない
が、いま日本の核施設から拡散される放射性物質によって被ばくする被害
者の数を、出来る限り低く抑えることは可能だ。
広島や長崎の上空で爆発した爆弾が、いま、福島第一原発の3つの原子炉
と炉心冷却プールで、ゆっくり時間をかけて爆発していると置き換えてみ
よう。一瞬の爆発に逃げ場はないが、ゆっくりした爆発からは逃げ出すこ
とができる。数十年後にはできないことが、いまならできる。
*
福島の子どもたちに対して文部科学省が出した「児童の放射線許容量を年
間20ミリシーベルトとする安全基準」を、いますぐ変更前の基準に戻すべ
きだ。そして、そのような高レベルの基準にしなければ外遊びもままなら
ないような地域の子どもたちは、学校まるごと疎開させたらいい。
少子化によって教室の余っている学校が全国にあるはずだから、それらの
教室に担任ごと子どもたちを疎開させたらどうだろう。空き教室が3つあ
るなら福島の3学級が、ひとつしかないなら1学級が、同じ市町村のいく
つかの学校に分散してクラスごと疎開すれば、子どもたちもそれほど寂し
さを感じなくてすむのではないか。
いまの緊急事態が収束し、放射性物質の除去が行われるまでの1〜2年の
措置であるし、子どもたちは同じ学校に通う子どものある家にホームステ
イさせてもらったらどうだろう。何か支援したいけれどどうしたらいいか
わからない、子どもの世話ならできるしやってみたい、力になりたいと申
し出る人は多いと思う。
教室の整備や子どもの移動にかかる費用は税金をあててもらっていいの
ではないか。また、ホームステイ先にも食費などの補填があるともっとい
いと思う。
子どもたちが安全なところで暮らしているとわかっていれば、被災地に残
る親たちも安心して生活の建て直しに集中できるだろう。被災した子ども
たちが教室にいれば、わたしたちも福島の被害を身近に感じ続けていられ
るはずだ。
*
福島第一原発の事故がチェルノブイリと同じレベル7に引き上げられた日、
BBC24のニューススタジオでキャスターがふたりの専門家に話を聞いてい
た。
ひとりの専門家が「これは日本が隠し事をやめるという意思表示でしょう。
共産圏じゃないんですから、もっと情報をオープンにして解決策を広く求
めるようになるのでは」といった楽観的な展望を述べると、もう一方の専
門家は別の立場から意見を述べた。「レベル7になったということで、避難
地域が拡大されるはずですが、全体主義の国じゃないので避難圏の住民を
強制移住させるわけにもいかず、いっそう混乱するかもしれません」と。
政府が子どもの疎開を決断すれば、福島の人たちは不満を述べながらもほっ
とするのではないだろうか。たいへんなのはわかっているが、いま限られ
た時間を心配するほうが、将来にわたって心配し続けるよりずっといいは
ずだ。
政府の決断など待たずに、市町村ごと、地区ごと、学校ごと、子どもを受
け入れると名乗りをあげてもいいと思う。あなたの周りの人と話してみて
欲しい。
決断を遅らせるべきではない。危険の度合いは放射能に曝される時間が長
くなるほど高くなる。
「フクシマの子どもたち」と呼ばれる世代を作り出してはならないと、
「チェルノブイリの子どもたち」が身をもって教えてくれている。
本速報は、TUPウェブサイト上の以下のURIに掲載されています。
http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=938
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配信責任者:坂野正明
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