[CML 009061] Re: 石原慎太郎都知事再選の絶望と希望

saburou japanesewolf at gmail.com
2011年 4月 17日 (日) 06:40:55 JST


石垣さんへ
みなさんへ

林田さんへの質問と提案でありますが、高円寺デモについては関わった者の一人としてお答え致します。

共産党系の労組、市民運動などの人々に組織的な動員はお願いしてはおりませんでした。
410の高円寺デモは党派動員やナショナルセンター動員のお願いを一切しておりません。
党派動員をあてにせず、ネットと口コミを媒介としてデモが呼びかけられ、当日の参加者はそのような媒体を通して自発的に続々と参集してきました。
旧来の党派動員型とは違う方法でのデモ呼びかけはここ数年、別に珍しいことではありません。

素人の乱が呼びかけて取り組まれた様々なデモ、フリーター労組が毎年呼びかけて構成される独立系メーデー実行委員会によるサウンドデモ、新宿どまんなかデモやないかくだとうデモ等々。
これらのデモは政党や党派、ナショナルセンターからは、「相手にされない」「無視された」「独立を重要視して統制を好まない」などの特色があげられるのではないでしょうか。410高円寺デモは大組織からみれば「統制が取れていない」「自由すぎる」などの理由で眉をひそめられていたデモの延長上にあるのかもしれません。

かと言って「反原発」という大目的で一致するならどのような人々でも受け入れ、排除や動員成果を競い合わせることはしていません。
政党や党派、労働組合の人々の参加、確かにありました。共産党の人々も、党が反原発・脱原発を確たる綱領としていないにも関わらず、原発イヤだよ、と考えている党員や組織員は個人的な資格でたくさん参加しておりました。一水会など反原発の立場を取る民族派の右翼党派や個人も参加しました。社民党や新社会党の人々、革共同の中央派や、元の革共同から分かれた人々もさんかしておりました。対立や反発している政党や党派の人々同士の参加もありハラハラしましたが、「『排除』の排除」を原則であることを説明し、デモや会場内での公然たる非難合戦や排除合戦はありませんでした。

素晴らしいことに、デモ参加者の大半が「デモ初体験」だったということを申し上げます。組織的な動員とは違う「自分自身の実存の危機」を自覚した民衆が能動的、自発的に集まってきたのです。

統一メーデーについて、その政治的な枠組について、無理に糾合する欲望について関知しておりません。あまり関心が無い、というのが本音です。
軋轢が大きすぎて破綻したり、組織同士の意地の張り合いによって「どの組織にも属していない、属せない、排除された」多数の人々が参加するには敷居が高すぎるからです。たとえば原発推進の主張を改めないの電力総連を「労働組合」として認知したくない多数の民衆がそのような政治的な流れに乗らない、乗れないだろうな、と言うのが私感です。独立系のデモを主催している「貧乏人」「非正規雇用者」「フリーター」「野宿者」の立場から口濁さずに言えば、正社員、正規雇用者、正職員の労働組合や組合員さえ「敵階級」となりかねない憤怒の感情があります。圧倒的な貧困で生存ギリギリで生きている層が多数となったこのクニで、「同じ労働者」として共感できる可能性はほとんどゼロでしょう。非正規雇用の貧困問題を根本的に解決してくれようともしないナショナルセンター。これらナショナルセンターの「大物」同士が雁首揃えて「統一メーデーしましょう」といってもこれらナショナルセンター系の労組に加盟されない排除された非正規雇用者はメーデーに参加することなどできません。組合員じゃないので参加資格などないからです。

政治的、社会的な枠組みから排除されている人々が中心となって呼びかけられ、ただ「実存の危機を街頭で発話する」ことを目的として410高円寺反原発デモが取り組まれ、無組織としてこのクニの民衆運動史では久しぶりの多数の参加者が(しかも生まれて初めて街頭で声を挙げて示威行動をする8割以上の参加者が)いた、ということは是非お知りおきください。

さぶろう


On 2011/04/16, at 07:40, motoei wrote:

> Hayariki さん
> お世話さま
> 脱原発の集会デモ
> 先日の芝公園と高円寺で行われましたが、
> 共産党系の労組、市民団体は参加して
> していたのでしょうか。
> 共産党系は独自に集会デモをやっていたのでしょうか。
> 余り見ないので、もし分かったらお知らせください。
> 今こそ脱原発で統一メーデーを行い、
> 日本のエネルギー政策を変えるときでしょう。 (石垣)



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