[CML 005786] 「劉暁波のために、劉暁波に代わって」 中国建国61周年の明日を前にして

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2010年 9月 30日 (木) 21:12:26 JST


来月10月に発表される予定のノーベル平和賞に中国の民主化運動の象徴とされる作家の劉暁波氏の
受賞の可能性が取りざたされおり、また一方で、ノルウェーのノーベル研究所のルンデスタッド所長が劉
氏の同賞受賞の可能性に関わって中国政府高官から「(劉氏が)受賞すれば両国の関係に悪い影響を
与えかねない」という圧力とも受け取れる警告を受けていたことも取りざたされています。NHKがAP通信
電として伝えるところによると「ルンデスタッド所長がことし6月、ノルウェーを訪れた中国の傳瑩外務次官
と面会した際、中国の民主活動家で作家の劉暁波氏が来月発表されるノーベル平和賞を受賞する可能
性が取りざたされていることについて、傳外務次官から『受賞することになれば、両国の関係に否定的な
影響を与えかねない』と警告を受けた」ということです(NHKニュース 9月29日 10時34分)。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100929/k10014263681000.html

また一方で、ヘラルド・トリビューン紙が伝えるところによると、チェコスロバキアの「77憲章」の起草者の
ひとりで詩人のバーツラフ・ハベル現チェコ大統領らは「中国は脱共産化したように見えて自由も民主も
奪われたままである。劉は罪もないのに獄中にある。かれこそノーベル平和賞がふさわしい」(ヘラルドト
リビューン、2010年9月21日付)という訴えを発表し、同呼びかけは欧米にひろく波紋を呼んでいる、との
報道もあります。
http://ikiiki.livedoor.biz/archives/52071586.html

しかし、私は、そうしたノーベル平和賞受賞に関わる時事問題をここで述べたいのではありません。ここ
で私がしたいのは、9月30日という今日という日に、すなわち「二〇年前のあの朝の犠牲者たちの墳墓
からの叫びを民主化の文字にして書き続けてきた劉暁波を拘束し、幽閉し、沈黙せしめることで、中国
の共産党政府は六〇周年の祝典を行おうとしている」(子安宣邦 私のコラム37)前日の昨年の9月30
日に自身のホームページに『劉暁波のために、劉暁波に代わって』という怒りの書を記した日本思想史
家の子安宣邦さんの文章を紹介することです。

■私のコラム 37 劉暁波のために、劉暁波に代わって(子安宣邦 2009年9月30日)
http://homepage1.nifty.com/koyasu/colum.html

その文は次のような書き出しで始まります。

「一九八九年六月四日という日を歴史の上から削除するようにして二〇〇九年一〇月一日が来ようと
している。まさしくそうだ、二〇年前のあの朝の犠牲者たちの墳墓からの叫びを民主化の文字にして
書き続けてきた劉暁波を拘束し、幽閉し、沈黙せしめることで、中国の共産党政府は六〇周年の祝典
を行おうとしているのだから。己れ以外のだれのための祝典なのか。そこでなされた圧殺のあらゆる
痕跡を消し去ってしまったその広場において、巨大な軍事パレードが厳重な警備の中で行われようと
している。」

そして、その文は次のような一節で終わります。

「私がここで死者との共闘をいうのは、中国のためにだけいうのではない。日本人である私が六四事
件をいい、『〇八憲章』をいう言葉は、其処と此処との共闘の言葉である。私は劉暁波についていい
ながら、この日本での死者たちを背負った私の戦いのあり方を考えている。いま日本の新しい首相に
よって東アジア共同体が公然と提唱されている。それははたして東アジアのわれわれに希望を告げる
共同体であるのか。繁栄の現在をただ長引かせるためのあの傲慢な、死者を忘れた生者たちの連
帯の模索でしかないのではないか。アジアの其処と此処における死者たちを背負ったものの戦いだけ
が、アジアのわれわれの間に希望の共同体を築いていくだろう。
                        一〇月一日を前にした九月三〇日にこれを書く」

私は一昨日のメール「Re: 尖閣沖漁船衝突事件について」で河内謙策さんの論に対する異論を述べ
ました。しかし、河内さんの中国の自由と民主主義の問題をおのれ(日本人)の問題として考えようと
する熱意と姿勢、そしてその憂いには強く打たれるところがあります。その河内さんの強い思いに私
は敬意を表したいと思います。

ただ、当然、中国人ではない日本人としてこの問題を考えようとするとき、「日本での死者たちを背負
った『私の戦い』のあり方」、言葉を代えて言えば「日本の新しい首相によって東アジア共同体が公然
と提唱されている」という日本の政治状況に私たちとしてどのようにコミットしていくのか。その課題が
やはり私たち日本人として最大の課題になるだろう。いや、課題というべきだろう。そう思うところは変
わらないのです。


東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi




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