[CML 005530] (NO2)「世に倦む日々」ブログ・9月6日より。この選挙の結果で国の行方が大きく変わると直感し、固唾をのんで選挙戦を見守っている。
中田妙佳
gukoh_nt at yahoo.co.jp
2010年 9月 6日 (月) 18:09:48 JST
中田です。
「世に倦む日々」
(続き)NO2
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小沢一郎は、政策も姿勢も昔とは大きく変わった。だが、昔からの支持者を失わないようにという配慮があり、昔の小沢神話の信者に向けて、「僕は一切変わっていません」と言い、過去と現在が切断していないようにレトリックで説明をつける。だが、それはレトリックだ。小沢一郎はレトリックが上手になった。そこも大きな変化だ。朴訥で口下手な小沢一郎が、レトリックを駆使しているようには誰も思わない。昔の小沢一郎は、政策の説明が苦手で、質疑応答で矛盾を衝かれると逆上し、相手を強引に黙らせる態度が目立った。今はその当時の面影が消えていて、相手を見ながら、場面によって協調と対立を使い分け、必要な説明と表現を繰り出している。最も説得的なメッセージを発信するべく、議論の場を組み立てていて、それを成功させている。
昔は今と逆で、どれほど小沢一郎が滅茶苦茶な暴言を吐き、傲岸不遜に永田町界隈で暴れても、マスコミがそれを庇い、「政治改革の騎手」として持て囃し、小沢一郎を礼讃する提灯記事で紙面を埋めていた。その筆頭が朝日新聞だった。早野透がそうだ。マスコミが小沢一郎を言い表すときの「剛腕」という言葉は、日本語の「傲慢」と「強引」の二つのニュアンスが裏側に溶け込んでいる。語音が近いので、言葉の響きでニュアンスが混じり込む。90年代の小沢一郎は傲慢で強引な政治家だったが、権力の中枢にいて政治を動かしていたから、新聞記者たちはペコペコ媚び諂い、小沢一郎が新聞記者たちに「お前らは勉強が足りない」と言うと、「そのとおりです」と恐縮して謙っていた。
◆小沢一郎の演説を聞いて、初めて「上手い」と思ったのは、4年前の菅直人と一騎打ちとなった代表選の最後の演説のときである。まさか、演説の迫力で小沢一郎が菅直人を圧倒するとは思わなかった。私には意外だった。逆になると思ったからである。そのとき、小沢一郎は「変わらなきゃ」と言い、「自分を変える」という話がテーマだった。今、思い返すと、実に意義深く感じられる。あの決意の演説の後、小沢一郎は確かに変わった。他に適当な表現が見つからないので、敢えて言うが、政策は右から左に寄った。新自由主義から反新自由主義になった。政治家としての姿勢や手法も変わった。昔の面影を残しつつ、しかし確実に変わった。自分を変えるということは、なかなかできないことだ。
小沢一郎が変わったのか、私の見方が変わった所為なのか、よくわからないが、気になることがある。それは、小沢一郎のプライベートの映像で、夜は常に庄やで飲んでいる生活実態である。焼き鳥や厚揚げを好んで食っている。黒のワゴン車から庄やに入り、庄やから赤い顔で仲間と出てくる。庄やはサラリーマンが職場の同僚と行く安い居酒屋で、サラリーマンの身分でもデートには使わない。まして接待や商談に使う店ではない。庄やみたいな安い店で飲むから、中で杯を上げる映像を簡単に外から盗撮され、テレビ報道で流されたりしてしまう。写真週刊誌のネタになる。しかし、どうやら小沢一郎は、それをパフォーマンスでやってはいない。庶民派を強調する政治目的の演出で見せてはいない。この点に感心させられる。
一方、庶民派のはずの菅直人は、ニューオータニの中の高級寿司屋や日本料理屋で毎晩のように飯を食い、それを新聞記者に「首相動静」で書かせている。飲み代と個室代とサービス代を含めて、1人1食2万円は下らないと思うが、それを知事のドラ息子の若僧と一緒に貪り食っている。まるで、麻生太郎の放蕩趣味を真似するかのように、格差社会の中で生活に苦しむ国民に、愚劣な見せびらかしの狂態を続けている。サラリーマン出身だからこそ、殿上人の酒池肉林に憧れ、ひけらかしをやりたかったということだろうか。二人の政治家の差が出ている。このプライベートの差は、政策や政見の差と無関係ではない。政治家というものは、途中から変わるものだ。
この種の小沢一郎と菅直人の差で加えて言うと、小沢一郎が夫人や家族を前に出さない点も好感が持てる。榊原英資が褒めていたが、死んだ宮沢喜一がそうだった。誰も宮沢喜一の夫人の顔を知らず、別荘にかけた電話で声を聞いただけだった。
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<貼り付けおわり>
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