[CML 006033] 尖閣沖漁船衝突事件について(その四)

Ken Kawauchi kenkawauchi at nifty.com
2010年 10月 18日 (月) 12:28:47 JST


  河内謙策と申します。(この情報を重複して受け取られた方は、失礼をお許しください。転送、転載は自由です。)

 私が様々なMLに投稿した「尖閣沖漁船衝突事件について」「尖閣沖漁船衝突事件について(続)」「尖閣沖漁船衝突事件について(続続)」に対し多くの方からコメントが寄せられました。私は、便宜上、今回の事件を、〆2鵑了件の真相について、中国がなぜ大騒ぎして、日本に対し「力の外交」を展開しているのか、菅内閣の態度をどうみるか、て本の平和活動家のとるべき態度について、の4つの論点に即して論じてきましたが、ゴ萃イ貽本!全国行動委員会の組織しているデモをどう評価するか、の論点を追加したほうが良いようです。今日は、十分な時間がとれないので、以下、,鉢イ力静世砲弔い道笋慮解の補充と反論をさせていただきたいと思います。
 なお、この論争は長引きそうなので、今回以降、「尖閣沖漁船衝突事件について(その四)」「尖閣沖漁船衝突事件について(その五)」………という形で継続させていただきます。

 まず、今回の事件の真相について。
 私は、尖閣諸島が日本領であるかどうかについては国際法的見地から論じるべきであり、既に国際法として定着している「先占」論という国際法の法理に照らせば、尖閣諸島が日本領であることは明白である、と主張してきました。その「先占」論について、分かりやすく明快に論じている文献が見つかったので紹介させていただきます。国際法学会編集の『国際関係法辞典』(第2版、544頁、三省堂)の「先占」の項目にこう書かれています。少し長いですが、我慢して下さい。
「[先占とは]国際法上認められた領域取得の権原の一つで、どの国の領有にも属していない地域をある国が領有の意思をもって実効的に占有することにより、これを自国の領域とすることである。この先占の法規は、ローマ法上の無主物先占の規則を類推してもち出され、近世初頭における地理上の大発見以来、欧州の列強がそれ以外の地域を植民地として獲得し、互いに分割するために主として働いた。
 国際法上の先占の主体は国家でなければならないが、国が私人に権限を事前に委任するか、事後に追認することにより、その行為を国家の行為とすることができる。次に、先占の客体は国際法上の無主地で、その意味は、未だどの国の領域ともなっていない土地ということであり、その上に人が住んでいるかどうかは問わない。ただし最近では、部族または社会的・政治的組織をもつ人民の居住する地域は従前でも無主地とはみなされなかった、とする理解が一般的になっている。
 先占が有効となるためには、まず国家が領有の意思を示さなければならない。
この領有意思は、当該地域を国の版図に編入する旨の宣言、立法上または行政上の措置、他国への通告などによって表示される。通告を先占の必須要件とする説もあるが、通説はこれを否定し、それ以外の手段で領有意思が表明されておれば足りる、としている。
 先占の中核的な要件は、実効的な占有を行うことである。無人島を発見し、その上に国旗を掲揚するなどの象徴的な領土編入行為を行っただけでは、有効な先占とならない。通説は、発見に未成熟の権原を認めるが、実効的占有がその後に続かなければ、領土取得は成立しない。ところで、実効的占有の意味については、土地の現実の使用または定住といった物理的占有に解する説と当該地域にたいする支配権の確立という社会的占有に解する説とがある。今世紀における国際裁判判例は、すべて後の説を支持している。したがって、定住人口があっても国の支配が及んでいなければ先占は有効とならず、また逆に無人島でも、軍艦や政府船舶による定期的巡視などの方法で国家機能を及ぼすことにより、これを先占することができる。このように、先占の完成に必要な実効的占有の程度は、土地の地理的状況や居住人口の密度によって濃淡その度合を異にするのであって、絶対的なものではない。」
 以上に特に私が付加すべきものはありません。1895年時点で尖閣諸島が無主の地であったこと、1895年に内閣の決議により領有の意思が示されたこと、古賀辰四郎らの開拓の努力もあって1895年以降日本の実効的占有がなされてきたこと、により、上記の「先占」の要件が満たされているから、国際法的には尖閣諸島が日本の領土であることは明白であると私は考えているのです。なお、この間ネット上で展開されてきた井上清の所説をめぐる論争も、気をつけないと、どちらが先に見つけたか、という国際法理を無視した論争になる危険を感じます。同様な危険が台湾でも論じられていることについては、
黄文雄「尖閣問題なんて存在しない!」『WiLL』2010年11月緊急増刊号、をご参照ください。

 今回の論争の中で、尖閣諸島の領有問題につき、話題になっている井上清の本以外の新しい文献の紹介がされました。うれしい話です。坂井貴司さんから紹介されたのが、
 ▽緑間栄『尖閣列島』おきなわ文庫14 、ひるぎ社、1986年
 前田朗さんから紹介されたのが、
 ▽浦野起央『尖閣諸島・琉球・中国──日中国際関係史分析・資料・文献』(増補版)   三和書籍、2005年
▽村田忠禧『尖閣列島・釣魚島問題をどう見るか――試される二十一世紀に生きるわれわれの英知』日本僑報社、2004年
▽浦野起央、劉苏朝、植栄辺吉『釣魚台群島(尖閣諸島)問題―研究資料汇編』
刀水書房、2001年
▽『尖閣研究―高良学術調査団資料集』上・下、尖閣諸島文献資料編纂会、2008年
▽『尖閣研究――尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告』尖閣諸島文献資料編纂会
 先に引用した黄文雄氏に紹介されたのが、
▽原田寓雄『尖閣諸島・冊封琉球使録を読む』溶樹書林
です。皆様の参考にしてください。

 頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモをどう評価するか。
 http://www.ganbare-nippon.net/
 
 頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモにつき、「私は国民の右傾化を心配するよりも、日本を思う人たちとの連帯を考えるべきだと思うのです」と私が書いたところ、多くの批判的コメントをいただきました。
 私は、以下のように考えているのです。

〇笋蓮△泙鎖佑魃ν磴左翼かで簡単に分類すべきでないにもかかわらず、そのように分類してきたのが日本の「左翼」であり、それは深刻に反省すべきであると考えています。また、その考えの根底には「左翼は右翼に優位している」という暗黙の前提があり、そのように分類するのが自分であるという左翼のエリート主義にも問題があったと思います。これは、まだその影響を完全に脱しきれていない私が言うのですから、信じていただきたいのです。まして、デモなどという様々な思想の人たちが結集する行動体を簡単に右翼のデモと決め付ける愚はさけなければならないと思います。さらに、ある団体やデモを指導者の思想で割り切るのは非常に危険な思想であると考えます。わたしは東大教養学部の自治会委員長をしていましたが、わたしが様々な人や団体に要請に行って「これは教養学部自治会の決議です」と説明しても、「だけど貴方は民青だろう」といわれて、どれだけ泣いたか分かりません。ある団体やデモを指導者の思想で割り切るのは、団体やデモの参加者を愚民視する考え方につながります。

◆崟躋娉漁船衝突事件について(続続)」にも書いたことですが、私は、民族とか、国家というものに慎重なアプローチをとるべきだと考えています。しかし、私の見た多くの「左翼」と平和主義者は、これを論理の問題だと考えて、その危険性をプロパガンダすればよい、と考えています。これはあまりにも単純な思考である、と言いたいのです。わたしは、そのような人々に過去の共産主義者の誤りを学んでいただきたいのです(この面での共産主義運動の教訓は、平和運動にも有効です)。ドイツの共産主義者は、ベルサイユ条約がフランス民族のドイツ民族に対する復讐であるという面を軽視し、民族感情というものがどれだけ人を動員しうるものかについて軽く考えるという過ちを犯しました。その共産主義者の弱点をヒトラーがついたのです(『ディミトロフ選集』第2巻、103頁、大月書店、参照)。また、それを見ていたフランス共産党の指導者モリス・トレーズは、1926年以来、「共産主義者こそ真の愛国者であり、最もよいフランス人である」というキャンペーンを張ったのです(モリス・トレーズ著、北原道彦訳『人民の子』45頁以降、大月書店)。
  今回の尖閣諸島沖事件について、本当に日本国民は怒っているのです。(自分の家族を見ていてそれを感じませんか。)それは明らかに民族的怒りです。そして、尖閣諸島が日本領だという前提に立つ限り、それは正当な怒りです。したがって、日本国民の右傾化を心配するという安易な単純な態度はとれないのです。

少し原理的な話をします。沖縄の米軍基地を全面的に撤去せよ、というデモに、「右翼」がやってきて自分もデモに参加したい、といってきたら、貴方はどうしますか。私は、デモのスローガンに賛成し、デモの秩序を守るならばOKですよ、といいます。
「右翼」がそれに応じて参加すれば、平和主義者、平和主義者とはいえないがそのスローガンに共鳴して参加した人々、「右翼」の三者の連帯や共闘が成立することになるのではないでしょうか。そして貴方が「右翼」との共闘になるから駄目だ、と言えば、それは思想差別ではないでしょうか。それは「右翼」の有名人がやってきても、同じはずです。(そもそも「右翼」とは何か、という大問題は省略します。)

ぁ^幣紊鯀按鵑法∈2鵑10月2日のデモをどう評価するか、述べてみます。
  私を批判する人の多くは「右翼」のデモと評価しているようですが、私は反対です。私は参加者の気持ちから考えても、スローガンからかんがえても、日本を思う人たちのデモだ、と考えるのです。デモの名称は「10.2尖閣諸島侵略糾弾!全国国民統一行動」ですし、「尖閣諸島は日本領だ」「日本の主権を守れ」などのスローガンもそれを反映しています。デモに初めて参加したという女性の「チャイナがこんなに大袈裟に反応しているのに、じっとしていることなど出来ません。それで今日は、参加しなければならないと思ったのです」という言葉は、端的にそれを示していると思います。新しい人が多数参加していることも注目に値します。(小林よしのり氏が、今回の事件にみられる日本民衆の動きを「健全なナショナリズム」といっているのと同旨です。小林よしのり「『日中戦争』はもう始まっている」『WiLL』2010年11月号緊急増刊55頁以降参照)
 注意していただきたいのは、デモの参加者は「自衛隊を尖閣諸島に配備せよ」とはまだ叫んでいないということです。また「シナの○○○○○をやっつけろ」などという排外主義的スローガンを叫んでいない、ということです。(排外主義的言辞の見本は、中国のネット上に現れている罵詈雑言です。
  宇都宮慧「中国ネットの悪口雑言罵詈讒謗集」『WiLL』2010年11月号105頁参照)
  今度の問題は、日本の領土の上の事件です。日本が中国に攻め入っている事件ではないのです。この差異は重要です。したがって今回のデモをナショナリズムの現われとみるのであれば、私は防衛的ナショナリズムの現われといいたいのです。(ナショナリズムを即右翼的見解、即反動的見解と考える見方は、過去の考えです。大澤真幸・姜尚中『ナショナリズム論・入門』有斐閣を参照してください。)

 では、10.2デモの参加者に連帯するとは、どういうことか。
 連帯の形はいろいろあるでしょうが、私の最も追求したい連帯の形は、まず、日本の「左翼」や「平和主義者」自らがデモを組織し、中国大使館と首相官邸に押しかけるべきだと思います(私を批判する人は、なぜ中国大使館や首相官邸へのデモを呼びかけないのでしょうか。不思議です。)そのときのスローガンは、中国の横暴を許すな、日本の尖閣諸島・日本の主権を守れ、菅内閣の弱腰糾弾、自衛隊の尖閣諸島への配備反対、であるべきだと思います。そして、そのようなデモが組織されるのであれば、10.2デモの参加者やそれと同じ気持ちを持っている多くの人に「日本を中国の横暴から守らなければならないという気持ちは、貴方たちと一緒です。ただ私たちは、尖閣問題の軍事的解決には反対です。ぜひ私たちのデモにも御参加ください」と言いたいのです。しかし、残念ながら、日本の「左翼」や「平和主義者」は、現時点では、憲法9条の高邁な理想を自らの汗によって具体化しようとしてはいません。情けない限りです。
 このままでは、日本の民衆の民族的心情は「右翼」によって組織され、日本の平和運動は日本人の一部の「特殊な」運動として国民から見離されてしまうでしょう。

 私の考えの基本は、以上のとおりです。多くの方の批判にまだ十分リプライしていない点が残っていますが、それは他日を期します。申し訳ありません。

 今日のメールの最後に二つのことを強調させていただきたいと思います。
 一つは、尖閣問題は終わっていない、ということです。尖閣問題は解決していませんし、中国の「漁船」が大量にやって来る事態は必ず到来するでしょう。そのときに、自衛隊で対処することに賛成しますか、という厳しい問いが、日本の「左翼」と平和主義者・平和運動につきつけられるでしょう。日本の平和運動が真二つになる事態を私は恐れています。
 もう一つは、論争の参加者は、論争のマナーを守ってほしいということです。あまりにも問題のある発言が目立ちます。私の考えるルールとは、]請茲般鬼愀犬力請荵臆端圓凌由覆鯡簑蠅砲垢襪茲Δ僻言は原則としてしない、◆岷ν磧廚諒幻イ魄用するのは「右翼」だというような粗雑で乱暴な議論は慎む、O請茲料蠎衒の言っていないことを問題にしたり、勝手に相手の意図を推測してそれを批判することは原則としてしない、は請茲砲論深造卜廚漾∀静世砲弔い討麓分の積極的見解と相手の見解を対置するように努力する、ということです。
                      (2010年10月18日記)





 

 
 


 


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