[CML 005990] 井上論文(1)から(6)まで

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2010年 10月 15日 (金) 23:37:32 JST


 坂井貴司です。
 
 東本さんへ[CML:005977]は書きました。
 
 「坂井さん。いまあなたに求められているのは、前便で私が要約した故井上清
教授の第1の(1)から(6)までの論について正しいと思うか、間違っている
と思うかの坂井さんなりの回答です。」
 
 回答します。

(1)と(2)については、中国側が記した文書です。

(1)の『使琉球録』(1534年)を著した陳侃は今の久米島が古くから琉球に属
する島と書いています。陳侃は11回目の冊封使
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81%E4%BD%BF

です。

その『使琉球録』から28年後に著された(2)『重編使琉球録』(1562年)で、
郭汝霖が、

「赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ」

と記しています。

 (3)で井上は、現在の久米島は琉球に属する島とし、赤嶼について「界琉球
地方山也」と書いていることは、とくに重要であると指摘しています。
 
 久米島は琉球に属する島だと当時の明国人は認識していた上で、赤尾嶼は「琉
球地方を界する山」だと言うことです。
 
 (4)で井上は
 
 「なるほど陳侃使録では、久米島に至るまでの赤尾、黄尾、釣魚などの島が琉
球領でないことだけは明らかだが、それがどこの国のものかは、この数行の文面
のみからは何ともいえないとしても」
 
書いた上で、

「郭は中国領の福州から出航し、花瓶嶼、彭佳山など中国領であることは自明の
島々を通り、さらにその先に連なる、中国人が以前からよく知っており、中国名
もつけてある島々を航して、その列島の最後の島=赤嶼に至った。郭はここで、
順風でもう一日の航海をすれば、琉球領の久米島を見ることができることを思い、
来し方をふりかえり、この赤嶼こそ「琉球地方ヲ界スル」島だと感慨にふけった。

その『界』するのは、琉球と、彼がそこから出発し、かつその領土である島々を
次々に通過してきた国、すなわち中国とを界するものでなくてはならない。
これを、琉球と無主地とを界するものだなどとこじつけるのは、あまりにも中国
文の読み方を無視しすぎる。」

  
 (1)の『使琉球録』で井上は「久米島に至るまでの赤尾、黄尾、釣魚などの
島が琉球領でないことだけは明らかだが、それがどこの国のものかは、この数行
の文面のみからは何ともいえない」としてます。
 
 (2)の『重編使琉球録』で、郭汝霖が「赤嶼は琉球との境である」と記述し
ていることから、赤嶼すなわち尖閣諸島は中国の領土であると、当時の中国人は
認識していた。
 
 だから(5)で
 
「これが中国領であることは、彼およびすべての中国人には、いまさら強調する
までもない自明のことであるから、それをとくに書きあらわすことなどは、彼に
は思いもよらなかった」

というのです。

 これに対して、私はふと思いました。
 
 「今から400年前以上の中国人は、久米島は琉球、すなわち沖縄に属し、尖閣諸
島は中国の領土であることを自明のこととしていた。では、久米島が中国領であ
ると認識していたら、今の久米島は中国領になるのか?」
 

 私は井上の論の立て方に次の疑問を持っています。

「久米島までに至る赤尾、黄尾、釣魚などの島」が、「どこの国のものかは、こ
の数行の文面のみからは何ともいえない」と言っておきながら、「赤嶼は琉球と
の境である」という記述から「久米島までに至る赤尾、黄尾、釣魚などの島」が
中国の領土と当時の中国人は認識していたことから、尖閣諸島は中国固有の領土
である、という結論です。

 では、「尖閣諸島に関心が無かった琉球人」とは対照的に、尖閣諸島は中国固
有の領土だと認識していた中国人が、この『使琉球録』と『重編使琉球録』が著
されてか300年以上がたった日清戦争中の1895年1月に日本政府が、「窃かに釣魚
諸島を盗」んだ(「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明
 http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html
 第12章
 
ことを、なぜ下関条約会議で指摘し、抗議しなかったのか。なぜ日中戦争、太平
洋戦争に至るまでの間、日中間の紛争の議題として中国は取り上げなかったのか、
なぜ、「福岡県出身の古賀辰四郎という冒険的な小資本家」が尖閣諸島の鰹節工
場を建設し、かなりの数の日本人(沖縄人)が定住したことを、中国側が抗議し
なかったのか、などの疑問がわいてきます。

 日本の植民地にされ、竹島(独島)の日本領有に抗議するすべを全く持てなか
った朝鮮とは違い、清朝崩壊や日本、欧米列強による内政干渉、国民党と共産党
との対立と内戦があったにせよ、主権を持った独立国家であった中国は、日本に
対して抗議することができました。

 そして、大日本帝国が崩壊した1945年から海底ガス田の存在が明らかになる
1971年まで、中華人民共和国も中華民国(台湾)も「釣魚諸島は中国固有の領土」
と発言したこともなく、国際会議などで、日本(当時はアメリカ)の実行支配は
問題だと言ったことはありませんでした。
 
 そして(6)で井上は、
 
 「たしかに、陳・郭二使は、赤嶼以西は中国領だと積極的な形で明記し「得た
はずである」。だが、「書きえたはず」であっても、とくにその必要がなければ
書かないのがふつうである。「書きえたはず」であるのに書いてないから、中国
領だとの認識が彼らにはなかった、それは無主地だったと断ずるのは、論理の飛
躍もはなはだしい。しかも、郭汝霖の「界」の字の意味は、前述した以外に解釈
のしかたはないではないか。」
 
と日本政府や日本共産党、朝日新聞などの、釣魚諸島は無主地であったとの論を
批判しています。 

 二つの資料ができたのは400年前以上のことです。尖閣諸島は明国(中国)の領
土だと琉球に対して主張する必要はありませんでした。中国側にとって航路の目
印以外価値が無かったからです。それは明が滅び、清が成立し、琉球が薩摩侵攻
で薩摩の植民地になってからも変わりありませんでした。
 
 井上が言うとおり、尖閣諸島が中国の領土であることは自明であると当時の中
国人は思っていたかもしれません。しかし、いくら心で思っていても、それを何
らかの形で表明しなければ意味がありません。中国側はそれをしませんでした。
そして、大日本帝国が尖閣諸島を「強奪」してからも、抗議しませんでした。
1971年に海底ガス田の存在が明らかになってから初めて言い始めたのです。

 以上が、(1)から(6)に対する私の答えです。尖閣諸島は中国の領土であ
るとする井上の説は正しくないと思います。
 
 井上の「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明」は、「史的解明」のサブタイト
ルが付くとおり、歴史学の立場から、尖閣諸島こと釣魚諸島は中国固有の領土の
領土であることを立証しようとした論文です。しかし、歴史学で領土問題を論じ
るのは無理があると思います。「遙か昔から、この土地は我々のものだ」と、限
りなく過去の出来事にさかのぼる方向にいくため、現実の問題としての領土問題
を解決するのに不適切だからです。領土問題は、国際法で論じるのが適切だと思
います。
 
 なお、井上自身が論文の冒頭で、
 
 「もともと中国の歴史はあまり勉強していなく、まして中国の歴史地理を研究
したことは一度もない私が、沖縄の友人や京都大学人文科学研究所の友人諸君の
援助を受けて、一カ月余りで書き上げたこの論文には、欠陥の多いことはわかっ
ている。私などには見当もつかぬ史料で、専門家にはすぐ思い当るような文献も、
たくさんあるだろう。」
 
と問題があることを書いています。

 よって、この井上論文だけで、尖閣諸島問題を論じるのは危険だと思います。
 
 前田朗さん[CML:005959]が指摘された通り、この問題を取り上げた論文が多数
あります。これらを読む必要があると思います。 
 
 ところで、私は東本さんと一度お会いしたことがあります。私がCMLに送る
テレビ番組の情報はすばらしい、役に立つので感謝している、とお褒めの言葉を
いただきました。心からうれしく思いました。そしてAMLなきあと、CMLを
立ち上げ、私に発言できる場を作っていただいたことには感謝しています。
 
 とりあえずこれで。
 
坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
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