[CML 005894] 尖閣諸島も竹島も日本領と胸を晴れるのか(上)

Hayariki hedomura2 at hotmail.co.jp
2010年 10月 9日 (土) 11:30:17 JST


【PJニュース 2010年10月9日】海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件によって、尖閣諸島(釣魚島)の領有権問題がクローズアップされた。日本ではマスメディアも政治家も左右を問わず尖閣諸島が日本領であることを当然視する論調一色の感がある。しかし、その論拠を検討すると竹島(独島)問題と類似する欺瞞性を確認できる。胸を張って尖閣諸島や竹島を日本領と主張することには抵抗がある。

最初に用語について断っておく。以下では尖閣、竹島と日本で使われている用語を使用する。これは単純に本記事が日本で発表され、日本人を主要読者とするためである。それ以上の意味はない。日本政府の呼称する用語を使用し、中国政府や韓国政府の呼称する用語を使用しないことをもって、日本政府の主張を支持するものと解釈してはならない。

日本にとって尖閣諸島が自国領であることは自明なことではなかった。明治政府は尖閣諸国が何れの国にも属していないと断定した上で、1895年1月14日の閣議決定で沖縄県に編入した。これは国際法上の無主地先占に基づいた行為である。

この経緯は韓国が実効支配する竹島でも同じであった。竹島についても明治政府は何れの国にも属していないと断定した上で、1905年1月28日の閣議決定で島根県に編入した。
http://news.livedoor.com/article/detail/5062538/
http://www.pjnews.net/news/794/20101008_2
ただし、外務省ウェブサイトの「竹島問題」では無主地先占を前面に出していない。そこでは竹島を「我が国固有の領土」と主張し、竹島領有の起源を江戸時代に求める。以下の歴史的経緯を述べている。

「1618年、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛は、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けました。」

その後、竹島は両家の漁業拠点として利用された。そして日本人の海外への渡航を禁止した鎖国令以降も竹島への渡航が禁止されなかったことを、幕府が竹島を自国領と認識していた根拠とする。

しかし、上記主張は疑問である。そもそも自国領との認識があるならば幕府に渡海免許を求める必要はない。渡海免許とは基本的に外国に渡航するための許可状である。

鎖国後も竹島への渡航が禁止されなかったことも自国領認識に直結しない。鎖国を海外との交流を絶つ政策とする見方は前時代のものである。実態は幕府による高度な外交・通商の管理政策であった。そもそも「鎖国」という用語自体が後世のもので、幕府の政策担当者に鎖国という認識はなかった。幕府が特定人物に特定地域への渡航を許可することは「鎖国」政策と矛盾しない。

だからこそ、1905年1月28日の閣議決定で竹島を編入する必要があった。実際、閣議決定では以下のように無主地先占を前提とした表現となっている。

「他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムベキ形跡ナク」
「国際法上占領ノ事実アルモノト認メ之ヲ本邦所属トシ」

これら無主地先占による領有の経緯について以下2点の観点から批判できる。

第一に無主地先占論の植民地主義的性格である。無主地先占論は、どこの国のものでもない土地は先に支配した国のものになるという理論である。これは大航海時代以降活発化したヨーロッパ諸国による植民地獲得競争を合理化するための過去の遺物である。現実に南極大陸や月面など現在では無主地先占に反する取り決めがなされており、その考え方が支持されている。
無主地先占を根拠に自国領と主張することは、「我が国は帝国主義的な膨張国家です」と主張することに等しい。

これは「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」日本国憲法の精神に反する。無主地先占を唱えることは平和国家として恥ずかしいことである。だからこそ外務省は竹島では江戸時代の経緯を持ち出して糊塗(こと)したと見ることもできる。【つづく】



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