[CML 006455] Re: 尖閣(釣魚)諸島の領有権と国際法

maeda akira maeda at zokei.ac.jp
2010年 11月 14日 (日) 11:46:25 JST


前田 朗です。
11月14日

半月城さん

いつもご教示ありがとうございます。


> 
> 私の書き込みに一部誤りがありました。
>「翌1968年、日本が尖閣(釣魚)諸島に標杭を建てた年に沖縄返還が決まり」の中
>の、1968年を1969年に訂正します。
>
> また、閣議決定された標杭の建設は、なんと1969年、すなわち国連が石油資源の埋
>蔵可能性を指摘し(1968)、尖閣(釣魚)諸島が国際的に注目を浴びた後になされま
>した。結局、台湾割譲以前に日本政府による主権の発現はありませんでした。
>  
>

>PS この[CML]には前田さんを始めとして法律の専門家がひしめいているので、
>そうした専門家および皆さんのご批判をいただきたいと存じます。
>  
>

領土問題については、私は半月城さんに学んできた立場ですので、特に述べるこ
ともありませんが、上記の表現については、若干疑問を有しています。

1969年に尖閣諸島に建立された標識を「閣議決定された標杭の建設」と見る
のは、正確だろうかという疑問です。日本政府や、尖閣諸島日本領土説の論者
は、そのように主張しているようです。

しかし、この標識は石垣市が設置したものです。アメリカ施政権下の石垣市によ
る市標の設置を、1895年の閣議決定による国標の設置と評価できるかどうか
です。

私は現物を見たことがありませんが、浦野起央『尖閣諸島・琉球・中国』(三和
書籍、2005年)153ページに写真が掲載されています。 「八重山尖閣群
島 魚釣島」「石垣市建立」と書かれています。石垣市の領有であるから、当
然、日本の領土という国際法上の主張をしていたものと見なせるかどうか。

論点は
1)アメリカ施政権下の石垣市の行為をただちに日本国の行為と見なせるか。
2)1895年の閣議決定と、1969年の石垣市の標識設置の関係をどう見るか。

−−1895年の閣議決定自体、対外的に通告されていないので、国際法上の評
価は分かれます。まして、「その後、70年以上の間、実際に国標設置が行なわ
れなかった事実」こそ重要という見解も成立します。






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