[CML 006441] 尖閣(釣魚)諸島の領有権と国際法

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2010年 11月 12日 (金) 22:07:33 JST


 半月城です。
 尖閣(釣魚)諸島沖の巡視船衝突事件は落ち着くどころか、新たに衝突映像の流出
事件をめぐって連日マスコミをにぎわしているようです。こういう時こそ、問題の根
本的な理解が必要ではないかと思います。
 そこで今回は、尖閣(釣魚)諸島の領有権を国際法から考えることにします。ま
た、最近になってロシア大統領のクナシリ訪問を機に北方領土問題も騒がしくなって
きたので、それもからめて「都合の悪い話」なども織りまぜて書きたいと思います。

1.領土取得の経緯
 前回書いた日本による領土取得の経緯を要約すると、下記のとおりです。
1)1885年、日本が尖閣(釣魚)諸島に国標を建てると清国からクレームがくる可能
性が強く、清国との協議が必要である、すなわち無主地でないかも知れない、こうし
た判断から日本政府は国標建設を見送った。

2)その十年後、日清戦争で清国の降伏が確実になるや「当時と今日とは事情も相
異」したので、日本は同島を沖縄に組み込んで標杭を建てることを閣議決定し、沖縄
県へ伝えた。その際、清国との協議は眼中になかった。その間、同島が日本領である
ことの証拠を探したが見つからなかった。またそれらしき伝説も見つからなかった。

3)閣議決定は何も実行されない(行政措置がとられない)うちに日清戦争の講和が
結ばれ、台湾は日本の植民地になった。そのため、尖閣(釣魚)諸島は日本の先占い
かんにかかわらず、明確に日本領になった。同島が国内法で沖縄県に組み込まれたの
は、それ以後である。

2.国際法上の無主地先占
 尖閣(釣魚)諸島は、無主地先占による領土取得といえるのかどうか見ることにし
ます。無主地先占が国際法で認められるのは次の三条件です。
(1)対象地が無主地
(2)国家が領有の意思を示す
(3)継続的かつ平和的な主権の発現

 この中で、(1)尖閣(釣魚)が無主地であったかどうか、これは非常な難問で
す。同島は日本領の認識がなかったことだけは確かですが、さりとて中国領とするに
足る国際法上の充分な証拠はないようです。それゆえに日中間で領土論争が継続して
いるわけですが、今後、研究次第ではその認識が大きく変わる可能性があります。

 余談ですが、北方領土問題の場合、かつての北方領土担当であった佐藤優によれ
ば、日ソ両国の外務省は歴史的、国際法的議論を徹底的に行った結果、皮肉なことに
日露両国の外交官は「自国の立場が正しい」という確信を一層深めることになったの
でした(注1)。
 特にエトロフに関していえば、同島は18世紀までは日本よりもロシアの影響力が強
かったとのことでした。アイヌモシリの問題を別にしても「固有領土」の根拠はあや
しいもんです。
 また、日本はクナシリ・エトロフをサンフランシスコ平和条約で放棄したことな
ど、都合の悪い話は「見て見ぬふり」をしているとのことでした。しかし、これはう
わべだけではないでしょうか。外務省は平和条約を充分検討したからこそ、この問題
では国際司法裁判所への提訴をおくびにも出さないものと思われます。ただ、それを
国民に説明しないだけではないでしょうか。
 そうした外務省の情報操作を知ってか知らずか、多くの日本国民は国際法には無頓
着に、ロシアがクナシリ・エトロフを不法占拠していると信じているようです。しか
し、戦時中の武力占拠は万国公法で合法とされることはいうまでもありません。蛇足
ですが、国際法上の終戦は日本の降伏調印日(9月2日)か、学者によっては講和条約
の調印日とされます。

 一方、竹島=独島論争では1950年代に日本政府は圧倒的に有利でしたが、これは日
韓の情報格差および外務省による情報操作のためでした。ところが、1980年代から明
治政府の竹島=独島放棄が論証されたり、松島(竹島=独島)渡海免許が存在しな
かった資料などが次々に明らかになり、日本政府は不利になるばかりでした。
 市民団体「日韓会談文書・全面公開を求める会」によると、「竹島問題に関する文
献資料」は交渉上不利になるとして、一切不開示にされた」ままですが、今後も資料
の発掘が進めば進むほど日本政府はさらに不利になるかも知れません。
 このように領土問題に関するかぎり、外務省は不利な情報を伏せているので、研究
次第では尖閣(釣魚)諸島問題でも竹島=独島と同じような事態が起きかねません。

 さて(2)に戻りますが、国家が無主地領有の意思を示す方法には、関係国への通
告、官報などによる告示、法令の公布、行政措置や宣言などがあります。
 なお、公表されない閣議決定を単に沖縄県へ伝えただけでは国際法にいう領有意思
の表明と見るのは困難です。一般に閣議決定の内容は後日になって変更されたり、
まったく実行されなかったり、とかく流動的なので、確実な行政措置がともなわなけ
れば明確な領有の意思表示とはいえません。
 尖閣(釣魚)諸島の場合、特異なことに上記のいずれの領有表明措置も取られない
うちに日清講和条約が成立して台湾が日本領になり、尖閣(釣魚)諸島は先占いかん
にかかわらず確実に日本領となりました。したがって、尖閣(釣魚)諸島については
領有意思の表明はなかったといえます。

 最後の(3)平和的な主権の発現ですが、日本政府が民間人である古賀に対して
「官有地拝借御願」を許可したことなどがこれに相当します。しかし、この許可など
の行政措置はすべて台湾割譲後のことでした。
 また、閣議決定された標杭の建設は、なんと1969年、すなわち国連が石油資源の埋
蔵可能性を指摘し(1968)、尖閣(釣魚)諸島が国際的に注目を浴びた後になされま
した。結局、台湾割譲以前に日本政府による主権の発現はありませんでした。

 このように、日本による無主地先占は必須要件の三項目すべてに問題があります。
そのためか、前回紹介したように芹田健太郎は、日本の実効支配は無主地先占をした
島嶼に対するものなのか、割譲された地域に含まれる島嶼に対するものなのか明確で
ないので、日本の実効的占有は敗戦時まで凍結されるかも知れないと主張しました。
 無主地先占による戦前の実効的占有が凍結される場合、日本の実効的占有は沖縄返
還時(1972)から始まることになりますが、これも後述のように問題があります。

3.尖閣(釣魚)諸島は台湾付属か
 以上の論考からすれば、日本の尖閣(釣魚)諸島占有は無主地先占ではなく、台湾
割譲にともなうものであるという中国や台湾の主張は説得力を増します。ただし、尖
閣(釣魚)諸島が台湾に付属するのかどうかについては検討が必要です。それを簡単
に見ることにします。
 当時、尖閣(釣魚)諸島が台湾に属するとした明確な文献資料はないようです。一
方、台湾の範囲に関する交渉が日清講和条約の批准直後にありました。両国は条約に
したがって「台湾受渡に関する公文」を取り交わしましたが、その時に日清の担当者
間で台湾の範囲が話題になりました。
 清国は、あるいは日本が台湾の範囲を拡大解釈して「福建省付近に散在する所の島
嶼を指して、台湾付属島嶼なりというが如き紛議の生ぜんことを懸念」したのです
が、これに対して日本は当時の地図や海図にて台湾付属の島嶼は明らかであると回答
しました。
 芹田はこれを取りあげて、「海図及び地図等で公認しある台湾所属島嶼」に尖閣
(釣魚)諸島が含まれないことは、日清双方の一致して認めるところであったと記す
のでした(注2)。
 しかし、清国が問題にしているのは福建省付近の島嶼であり、日本付近の島嶼は眼
中になかったので、地図に尖閣(釣魚)諸島が台湾に含まれるかどうかは検討対象外
でした。したがって、含まれないということを清国も認めたという芹田の主張は我田
引水の感があります。当然、台湾が日本領になったのなら、それより日本に近い尖閣
(釣魚)諸島も日本領になったと考えられます。
 また、芹田は言及しないものの、地図は誤りや不明瞭な点が多いために国際法上の
価値は低く、地図が条約と一体あるいは付属するか、条約に引用された地図以外はほ
とんど見向きもされません(注3)。ましてや会話に登場した程度の不特定の地図な
どは国際法上の議論においてほとんど価値がありません。

 ついでに地図に関していえば、中国や井上清らは江戸時代に林子平が作成した「三
国通覧図説」を根拠の一つとして自国の領有権を主張しています。たしかに、この地
図は色刷りであり、尖閣諸島は中国本土と同色で刷られています。
 しかし、この地図は私人の立場で作成されたものであり、日本の国家意思を表明す
るものではないし、公的に認定されたものでもありません。したがって、この地図が
日本を拘束することはないし、国際法上はほとんど無意味です。
 ただし、国際法が適用される以前の前近代において地図や絵図がまったく無意味か
というとそうでもありません。江戸時代のころは、ある国が公的な絵図や地誌、その
他の方法で島嶼などを自国領と認め、他国がそれを争わなければ領土として確立する
とされます。そのため、尖閣(釣魚)の場合は明や清が同島を自国領とする認識が
あったかどうかがカギになります。

4.戦後の尖閣(釣魚)諸島
 尖閣(釣魚)諸島は日本が無主地先占によって獲得した領土であるという主張には
無理が多く、同島は台湾割譲にともなって獲得された領土とみるのが妥当なように思
えます。
 そうなると、日本の敗戦にともなって尖閣(釣魚)諸島は台湾と共に中国領になる
べきでしたが、戦後沖縄を統治した米国民政府は尖閣(釣魚)諸島が沖縄県に所属し
た実状をそのまま引継いで自己の統治下におきました。
 これに対して中国や台湾は、戦後の国共内戦や、建国時の混乱などでとても尖閣
(釣魚)諸島を気遣う余裕がなかったのですが、その後も沖縄の返還が決まるまで同
島が自国領であるとの主張をしなかったようです。ここに中国や台湾の弱点があるよ
うです。
 ただ、琉球列島の戦後処理には異論を唱えていましたが、その中で尖閣(釣魚)諸
島を考慮した形跡はないようです。はたして、中国や台湾はアメリカの軍政府や琉球
列島米国民政府(USCAR)統治時代に尖閣(釣魚)諸島に明確な領有意識を持ってい
たのかどうか疑問です。
 その疑問の一例として、台湾省で編修された文献をあげることができます。それら
によると、台湾の範囲を台湾本島からやや北の彭佳嶼をもって台湾省最北端として尖
閣(釣魚)諸島をはずしているようです。
 しかし、より重要なのは同島が資料上で台湾に含まれないということよりも、同島
を日本領と認めた公的な資料があるかどうかです。その一例として、1970年の台湾の
中学地理教科書『國民中學地理』をあげることができます。そこでは釣魚台列嶼が日
本領とされたようですが、翌年それは改定されて台湾領とされました。
 このように地図は誤りが多く、国際法上はほとんど考慮されないので、こうした一
時的な地図の誤りは週刊誌のネタにはなっても、国際法上はさして問題にならないよ
うです。

 なお、地図の誤りについては日本もひけをとりません。1952年10月、すなわち平和
条約発効後、国土地理院の前身である地理調査所から出版された「日本全図 二百万
分一」には尖閣(釣魚)諸島はおろか、沖縄やエトロフ島さえ記述されず、クナシリ
島は描かれても外国同様に着色されました。
 クナシリ・エトロフは佐藤優がいうように日本も当時は日本領外と認めたので当然
かも知れませんが(注4)、沖縄は単に施政権をアメリカに与えたことをもって、国
土管轄当局が日本の領土からはずしたのは領土放棄と受け取られかねません。しか
し、この地図も国際法上はほとんど問題にならないようです。
 なお、その地図で竹島=独島はどうかというと、島が小さいのでやや不明ですが、
やはり日本領とはされなかったようです。それら問題の島々は、李承晩ラインと竹島
=独島が問題化した後の1955年発行の地図にすべて日本領として明確に描かれまし
た。
 領土が問題化してから公的資料中の自国領を見直すのは中国、台湾のみならず日本
も似たりよったりです。

 尖閣(釣魚)諸島が国際的に注目を浴びたのは1960年代末でした。1968年に日・
韓・台の科学者を中心に東シナ海一帯にわたって行われた地球物理学的調査によっ
て、台湾のほぼ北東の海底区域に石油資源か豊富に埋蔵されている可能性が指摘され
たのでした。
 翌1968年、日本が尖閣(釣魚)諸島に標杭を建てた年に沖縄返還が決まり、「核抜
き、本土なみ、72年返還」をうたった日米共同宣言が発表され、世界中から注目の的
になりました。やがて、その返還区域に尖閣(釣魚)諸島が含まれることが判明し、
中国や台湾がクレームをつけました。
 1971年2月、台湾は「釣魚台に対する台湾の領土主権は、歴史、地理、使用、およ
び法理からみて明白である」との声明を発表しました。同じく12月、中国も「釣魚島
などの島嶼は昔から中国の領土である」との声明を出しました。
 こうした領土論争にアメリカは「板ばさみにならないように」賢くふるまいまし
た。ニクソン政権は、沖縄と一緒に尖閣列島の施政権は日本に返還するが、主権問題
に関しては立場を表明しない方針をとりました。領土争いに巻き込まれるのを避けた
のでした。

 1972年、尖閣(釣魚)諸島を含んだ沖縄は予定どおり日本へ返還され、芹田のいう
凍結されたと思われる日本の尖閣(釣魚)諸島に対する実効的占有が始まりました。
しかし、これは国際法上で有効とは認められないようです。すでに中国や台湾が領有
権を主張しており、その時が国際法上の決定的期日とされる可能性が強く、その日以
後の行為は証拠として採用されないからです。
 結局、日本の実効的占有は凍結される可能性があったり、決定的期日以後であった
りするので、かならずしも有効ではないようです。

 かつて日本は竹島=独島の領有権に関しては韓国政府と論争をおこない、北方領土
に関してはロシア政府と論争をおこないましたが、尖閣(釣魚)諸島問題では中国・
台湾政府と本格的な歴史的・国際法的論争は望むべくもありません。日本が尖閣(釣
魚)諸島問題は存在しないとしているからです。
 当分の間、両国民は限られた、時には操作された情報をもとにショービニスティッ
クな非難合戦を繰りひろげるのでしょうか。さらには、日本が領土問題を棚上げする
という了解に反してパンドラの箱を開けてしまっただけに、今回のような物理的衝突
が続出するのかも知れません。

(注1)佐藤優「中国帝国主義に対抗するには」『中央公論』2010.11
(注2)芹田健太郎『日本の領土』中央公論新社、2002
(注3)荒木教夫「領土・国境紛争における地図の機能」『早稲田法学』74巻3号、
1999
(注4)一例であるが、吉田茂首相はサンフランシスコ平和条約受諾演説の際、ハボ
マイ・シコタンとは別にクナシリ・エトロフが千島南部であると認め「日本開国の当
時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも
何ら異議を挿さまなかつたのであります・・・日本の本土たる北海道の一部を構成す
る色丹島・・・」と述べた。これは世界に向けて公表された日本政府の見解である。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19510907.S1J.htm
l

PS この[CML]には前田さんを始めとして法律の専門家がひしめいているので、
そうした専門家および皆さんのご批判をいただきたいと存じます。

  (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/



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