[CML 006329] Re2: 東本さん批判?

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2010年 11月 4日 (木) 18:28:32 JST


萩谷さん

私は花崎皋平さんについて前便で次のように書いています。

「花崎さんはいうまでもなく「本を書いて自分の思想を述べることに主眼を置」いている作家、思想家
です。(略)花崎さんはただ自身の生き方として「この社会から疎外され、差別されている辺境民、下
層民、少数民族、在日朝鮮人、障害者など『弱者』とされる人びととの連帯や共生を第一義に追及
する生き方」(『開放の哲学をめざして』1986年、p88)、「『地域』に根ざす生活者=住民の立場を根
拠として、普遍的な主体たることをめざす」(『生きる場の風景』1984年、p153)生き方を選び取ろうと
しているだけです。花崎さんの本を素直に読めばそのように読解するのは当然のことのように思え
ます。」
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/7127493.html

上記を別の言葉で言えば、花崎さんは自身を民衆思想家と位置づけてはいないが、民衆思想家に
連なる生き方をしたいと強く志しているそういう思想家である、と。民衆思想家に連なる生き方を志し
ている思想家を広い意味で民衆思想家と私たち(読者)が評価しても一向に構わないだろう、と私は
思っています。そういう意味で、私は、萩谷さんのいうように「花崎さんを民衆思想家として評価して」
います。しかし、それは「矛盾」でもなんでもない、と自分では思っています。

花崎さん自身も民衆思想家を「定義」して次のように言っています。

「民衆思想とは、民衆の一員であることに徹し、地域に根ざした実践と経験に基づいて練り上げられ
た自前の思想を指す。それは必ずしも文字で書かれたり、著書となってひろめられたりするものでは
ない」(『田中正造と民衆思想の継承』「第13章 田中正造の思想的可能性」p236)

「必ずしも」とは「文字で書かれたり、著書となってひろめられたりする」思想を非民衆思想として否定
するものではもちろんないでしょう。事実、花崎さんのいう民衆思想家の中には著作家の石牟礼道子
や森崎和江、田中美津も含まれています。

私たちにとって大切なことは「文字で書かれ」ているかどうかということではなく、そこで語られた、いま
現に語られている思想をどのように受けとめるか、ということだろうと思います。その自身の受容によ
ってある人を民衆思想家とみなすかどうかはその思想を受容した「私」の評価の問題です。その「私」
の評価をあれこれと批評してもつまらぬことです。「私」の評価を「私」の評価として尊重する姿勢こそ
大切なのだろうと私は思います。

先の便で釈迦の托鉢を例にしたのはもちろん宗教を論じるためではありません。近代的な用語でい
えば、いわゆる「知識人」という非生産者と労働者・農民という生産者との関わり合いの問題として釈
迦を例にしたにすぎません。たとえば教師という仕事は生産労働に関わる仕事ではありません。しか
し、その教師という仕事は地域にとって不必要か。説明しなくとも多くの人はノーと答えるでしょう。そ
れと同じことの比喩として釈迦の例をとりあげたのです。また、教師は労働の対価をともなう仕事をし
ているが、田中正造の教え・学びの旅の放浪は対価をともなわないから単なる寄宿の族のような存
在でしかない、という解釈が仮にあったとしてつまらぬ解釈です。たとえばボランティアの仕事は対価
をともなわない仕事が多いですが、その仕事を寄宿の族の仕事といえるか、などなどあれこれ思い
巡らしてみれば田中正造を単なる高等遊民とする論の浅はかさはわかるのではないでしょうか?

付記:
前にも述べましたがこの2週間ほどは多忙につきご返信はしません。ご了承ください。


東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi



----- Original Message ----- 
From: "hagitani ryo" <liangroo at yahoo.co.jp>
To: "市民のML" <cml at list.jca.apc.org>
Sent: Thursday, November 04, 2010 12:10 PM
Subject: [CML 006326] Re: 東本さん批判?


> 萩谷です。横合いから失礼します。
> 
>  前田さんの書かれた第1回の文章で気になったことがあります。
> 
> 1.前田さんに
> 
>  「思想の誤植について」に対する東本さんの批判的感想の骨子は次のようなも
> のだと思います。
> 
> 「民衆思想家とは、本を書くことを生業としないことを一要件とする者である。
>  花崎さんは本を書くことをなりわいにしている。
>  ゆえに花崎さんは民衆思想家ではない。
>  したがって、民衆思想家として花崎さんを批判するのは当たっていない」
> 
>  前田さんは、この論理自体を「定義がない」として批判しておられるようです
> が、私には失当に思えます。
>  それより、前田さんがほんのついでに述べておられることですが、東本さんが
> どうも花崎さんを民衆思想家として評価しておられるらしいことと、こ の論理
> との矛盾のほうが重要ではないでしょうか。
> 
> 2.東本さんに
> 
>  東本さんが、民衆思想家についての議論を突如宗教家に換えてしまったのには
> 驚きました。
>  前田さんはこれを「道草にいそしんでいる」と揶揄しましたが、道草どころ
> か、横道にそれています。
> 
>  釈迦は自分を「バラモンに劣らず働いている」と言ったのであって、とくべつ
> 民衆に荷担はしていません。
>  また、生産を行わない民衆というのは、基本的にはいません。乞食、博徒、や
> くざ、宗教者は別でしょうけど。それくらい宗教者は民衆とはちがうの ではな
> いでしょうか。
>  釈迦が不可蝕賎民を弟子にしたのは、立派ですが、仏陀の修行団(これを仏教
> と呼ぶべきではないでしょう)の戒律には、飾りのついた寝台に寝な い、とい
> う項目があり、金持ちの家に招かれることもあったことをよく示しています。
>  悟りを開いてこの世とかの世をともに超えることをめざした者にとって、支配
> 者か民衆かという問題は、第二義だからではないでしょうか。
>  私は、小沢万歳みたいなことを言う人の、変なロマンが嫌いなのですが、それ
> をああも厳しく戒める東本さんが、宗教に一種のロマンを求めておられ るよう
> に思えて、私自身も宗教のいろんな点に心を惹かれるだけに、複雑な気持です。
> (これは私の道草ですが、私は、宗教というものは、根本的にはコンドームの普
> 及によって、無用になった、あるいは既成の形で存続すべきではなく なったの
> ではないかと思っています)
>  
> 
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