[CML 004277] 平等主義教育で人間らしく優しい社会に

Hayariki hedomura2 at hotmail.co.jp
2010年 5月 27日 (木) 21:19:09 JST


【PJニュース 2010年5月26日】教育機関による平等主義教育は高く評価されるべき、画期的な施策である。先進的な小中学校では教育的な配慮から、差別にならないような工夫を試みている。例えば運動会の徒競走で順位を付けず、手をつなぎみんなでゴールする形にする。また、学級委員長を設けず、保健委員や美化委員といった横並びの役職にする。この種の試みには、社会の側から根強いバッシングがなされているが、平等主義教育は不当に貶められている。
http://news.livedoor.com/article/detail/4790336/
http://www.pjnews.net/news/794/20100525_4
平等主義教育の擁護者も、徒競走で1位になることや委員長になることを悪いことと捉えているわけではない。1位になれなかった子どもや、委員長になれなかった子どもが傷つき、劣等感を持つことを避けるための施策である。学校が傷つく子どもたちの気持ちに配慮するようになっただけでも大きな前進である。

記者の子ども時代は上記のような平等主義教育は存在しなかった。想像することさえできなかった。基本的に学校の教師になる人は学校教育において勉強や運動ができた人に属する。教職資格は大学卒業が前提であり、昔よりも大学進学率が向上しているとはいえ、できる側にいなければ教師になれない。そのような教師たちが勉強や運動のできない子どもに配慮することなど記者の時代には考えられなかった。できない子どもへの配慮について教師が考えるようになったことは人間性の豊かな教師が増えたことを意味する。

記者は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実を隠して新築マンションを騙し売りされた経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。最終的に裁判によって売買代金を取り戻したが、一生に一度あるかないかの買い物で問題物件をだまし売りされた被害者としての辛さ、悲しみ、絶望感は経験のない人には共有困難なものである。そのことを理解しているため、できない子どもが傷つかないようにするという問題意識を教師たちが抱いたこと自体に感銘を受ける。

一方で平等主義教育への先進的な取り組みに対して学校外からの批判が強いことも理解できる。いつでも大人は「最近の若いものは……」と言いたがる。自分たちの子ども時代よりも現代の子どもたちが優しい扱いをされることは感覚的に許せない。

平等主義教育のデメリットは、徒競走で1位になりうる子や学級委員になりうる子が能力を発揮する機会を奪われることである。これは平等主義教育の擁護者でも否定できない欠点である。しかし、平等主義教育の問題意識は1位になれなかった子どもや、委員長になれなかった子どもが傷つかないようにすることであった。能力のある子を伸ばすか、能力のない子を傷つけないかはトレードオフの関係にある。

平等主義教育の擁護者は能力のない子への教育効果を価値判断として優先させている。平等主義教育を肯定するとしても、天才的な子どもが得意の分野で大人顔負けの成果を発揮することは否定しない。しかし、不得手な人も強制的に参加させられる義務教育の枠内で順序付けをすることは別問題である。

焼け野原から経済大国にしてしまうような前ばかりを見て歩んできた日本社会において、能力のない子への教育的を優先させるという価値判断を教師たちが行ったことは非常に画期的である。このような教師たちが存在することは「人間を幸福にしない日本というシステム」とまで酷評された日本社会も、少しは人間らしく優しいものになると期待を抱くことができる。【了】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
http://hayariki.weebly.com/
http://www51.tok2.com/home/hayariki/
市民メディアHAYARIKI
http://hayariki-d2.r-cms.jp/



CML メーリングリストの案内