[CML 004227] 『憲法改正試案集』護憲派も改憲派も改正案を知ろう

Hayariki hedomura2 at hotmail.co.jp
2010年 5月 24日 (月) 20:06:26 JST


本書(井芹浩文『憲法改正試案集』集英社、2008年5月21日発行)は公表されている主要な日本国憲法の改正案や改正意見を比較し、解説した書籍である。取り上げた改正案・改正意見は公的なもの(衆議院及び参議院の憲法調査会最終報告書)から、政党の作成したもの(自民党新憲法草案、民主党提言など)、議員個人のもの(鳩山由紀夫「新憲法試案」など)、民間のもの(読売新聞試案など)まで網羅する。

著者は長年ジャーナリストとして選挙・政治報道に携わり、現在は政治学の研究者である。憲法学者ではなく、著者のような経歴の持ち主によって本書が刊行されたことは、現代日本において憲法改正問題が、すぐれて政治的な性格をはらんでいることを示している。
http://www.janjanblog.com/archives/3148
何故ならば改憲や護憲が一方の党派の政治目標になっている状況では、憲法改正を論じること自体が特定の政治的立場の表明につながるためである。これに対し、本書では改憲反対論者であっても、むやみに憲法改正論を非難するのではなく、議論に加わるべきとする。それが「国のかたち」を豊かにすると主張する。

実際、憲法改正案を並べてみると、改憲論の問題点が浮かび上がってくる。多くの憲法改正案に対する私の第一印象は、「果たして改正案と言えるのか」というものであった。改正とは不適当な箇所を改めることである。憲法改正とは現行憲法を前提として、その中の不備な部分を改めることである。

ところが改正案は、現行憲法の文言を修正するのではなく、全く新しい構成になっているものが多い。これは前文に顕著である。憲法改正案ではなく、新憲法草案と呼ぶ方が内容的には相応しい。

ここには日本人の憲法改正に対する未熟さがある。日本の歴史上、実質的な意味での憲法改正は一度も行われていない。形式的には大日本帝国憲法(明治憲法)から日本国憲法への改正一度のみである。これは改正の形式を採っているものの、天皇主権から国民主権への根本的な変更であり、実質的には新憲法制定であった。この経験しかないため、「憲法改正=憲法の作り直し」という発想になってしまう。

日本の敗戦時には憲法をゼロから作り直す必然性があった。日本が受諾したポツダム宣言は無責任な軍国主義の駆逐を主張しており、日本は軍国主義国家から人権を尊重する民主的な平和国家に生まれ変わらなければならなかった。そのためには天皇主権の大日本帝国憲法を全否定する必要があった。

かくして日本国憲法は誕生した。基本的に護憲派を自認する人々は日本国憲法に象徴される戦後の民主化を肯定的に評価する。これに対して改憲論には「押しつけ憲法論」に見られるように日本国憲法そのものに否定的な立場もある。そのような憲法否定論者も改憲論に与しているところに改憲議論が紛糾する原因がある。

憲法改正とは憲法を改正したいだけの内容があって、その部分を変更するものである。その意味で改憲派と護憲派という対立軸が生じること自体が本来は不自然である。たとえば「日本国憲法の中の天皇制だけは容認できない。国民主権や法の下の平等を定めた憲法の他の条項とも矛盾する。だから第一章を抹消すべき」という主張があるとする。ここには天皇制廃止についての賛成派と反対派の対立があり、憲法を改正するかしないかは結果に過ぎない。

ところが、現代日本の改憲議論は新しい憲法を作るべきか、そのままの日本国憲法でいいか、という改憲の是非自体が目的化された感がある。この点については憲法を聖典のように扱う護憲派に原因があると非難されることが多かった。

しかし現憲法を継承しない新たに創作した文章を憲法改正案として提示する改憲派にも問題がある。特定の政策の実現ではなく憲法の作り替えを目的化していると批判できる。これは護憲派が改憲議論への参加自体を拒否することを正当化する理由にもなる。

実際のところ、本書で指摘されているように、憲法改正案で改正される内容の多くは現行憲法の枠内でも新規立法で実現できるものである。憲法改正案の多くは国会議員の手によるものだが、国会議員の本務は憲法に従って法律を議決することである。本来の任務である立法権でできることを行わず、憲法改正を名目とした憲法制定ゴッコに明け暮れているとしたならば本末転倒のそしりを免れない。

本書は改正案の紹介が主眼で、著者の主張は抑制している。それでも時折登場する著者の意見は鋭い。印象的な内容は公の支配に属しない教育事業への公金の支出を禁じた現憲法第89条についての議論である。

この条項は私学助成との関係で問題になる。多くの論者は価値判断として私学助成を肯定する。私立学校も公立学校と同じく重要な教育の基盤になっているためである。そのため、私学助成に違憲の疑いが生じないような憲法改正を主張する立場もある。

これに対し、著者は「私学振興の目的のためには、高い学費を支払わされる私学生に対して授業料(あるいは入学金)の直接助成をするべきだった」と主張する(208頁)。私立学校に助成するために、私立学校への文部科学省の口出しが可能になり、天下りポストを提供する結果にもなっている。この弊害を避けることが現憲法第89条の趣旨ではないかとも主張する。実に興味深い見解である。著者の憲法論を前面に押し出した論稿も読んでみたいと思わせる内容であった。

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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