[CML 004186] 泣く男は平和の象徴『女の前で号泣する男たち』

Hayariki hedomura2 at hotmail.co.jp
2010年 5月 21日 (金) 20:44:19 JST


本書(富澤豊『女の前で号泣する男たち 事例調査・現代日本ジェンダー考』バジリコ、2008年10月13日)は恋人との別れ話で泣く男について調査・分析した書籍である。恋人の女性に振られて号泣してしまう男性が増えているという問題意識が出発点である。「男はメソメソ泣くものではない」と育てられた著者にとって、別れ話で泣く男の存在は大きな驚きだった(8頁)。「そんな男性がいるのか?」と疑問に思って研究を始めた。

正直なところ、著者よりも若い世代である記者にとっては別れ話で泣く男がいるということは驚く話ではない。普通に受け入れられることである。むしろ泣く男を驚きと感じる人が存在することの方が驚きである。それ故、本書に対しては「最近の若いものは」的な若年世代批判の一種でないかと予想し、それほど期待していなかった。この予想は良い意味で裏切られた。
http://www.janjanblog.com/archives/2704
著者は本業であるマーケティングコンサルタントの知見を活かして泣く男の実態を調査する。その結果、「泣き喚く男がジワジワと増殖している」という事実が明らかになる。その上で著者は泣く男の社会的意義を分析するが、これが秀逸である。そもそも「男はメソメソしてはならない」というのは普遍的な価値観ではなく、「ねじ曲げられた武士道精神に基づく軍国主義による影響」と喝破する(157頁)。

時代を遡れば「平安時代の男たちにとって恋愛で泣く行為は当然のことだった」という(167頁)。現代において泣く男が増えているということは、それだけ現代日本が平和な社会になったことを意味する。最後に著者は以下の主張で本書を締めくくる。「「男が泣けない社会」など二度と作ってはいけない」(203頁)。

著者は当初、「男はメソメソ泣くものではない」という価値観から、泣く男の存在に驚いていた。ここにはジェンダーに囚われた旧世代的価値観が見受けられる。ところが著者は調査・分析を経ることで、泣く男の増加を事実として受け止め、平和な社会の象徴と積極的に評価する。過去の価値観と比較することで、泣く男への評価を180度転換させた。著者の思索の展開には事実を直視し、異なる価値観を理解し評価する柔軟性がある。また、恋愛行動の分析とマーケティングの手法という組み合わせの意外さが面白い。

人間には自らの理解したいものしか理解しようとしない傾向がある。異なる価値観に直面すると、頭ごなしに否定しようとする。この頑迷さは単一民族幻想・一億総中流幻想に取り付かれた日本人には特に強い。その点で著者のような柔軟な姿勢は非常に貴重である。

この著者の姿勢の原点は小学生時代に愛読していた『暮らしの手帖』にあるという(10頁)。『暮らしの手帖』は商品が表示通りの内容であるか実際に測定し、その結果を実名入りで掲載していた。著者は「事実は事実」と冷たく突き放す『暮らしの手帖』に感銘を受けたという。私自身、購入した新築マンションが不利益事実(隣地建て替えなど)を隠して販売され、売主の東急不動産との裁判でようやく売買代金を取り戻した悔しい経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。それ故に不都合な内容でも事実を大切にする著者の思想には強く共感できる。

現代の日本では戦後民主主義的価値観を否定し、戦前の軍国主義的価値観を無批判に美化する右傾化の危険に晒されている。しかし、戦前の国民は幸せだったのか、長い日本の歴史の中で侵略に明け暮れた戦前こそが異常な時代でなかったかなど検討すべき内容はたくさんある。泣く男を平和の象徴と結論付けたように、客観的なデータと冷静な分析という著者の手法は多くの分野で有益であると考える。

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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