[CML 003982] Re: 「沖縄県民は鳩山打倒に動かなければ嘘だ」〜「日本人の植民地主義について」(2)

maeda akira maeda at zokei.ac.jp
2010年 5月 6日 (木) 12:38:00 JST


前田 朗です。

5月6日

東本さん

野村浩也編『植民者へ――ポストコロニアリズムという挑発』(松籟社、2007年)からの引用・紹介を続けます。

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 ポストコロニアリズム研究とは、第一に、植民者の問題化を不可欠とする学問
的実践である。なぜなら、植民者の存在があってはじめて植民地主義は成立して
いるからだ。日本人に特化して述べれば、ポストコロニアリズム研究とは、日本
人という植民者を一貫して問題化することを通して、植民地主義を実践しつづけ
ている日本人の政治性を解明し、植民地主義を継続させる権力的メカニズムを批
判的に分析することによって、日本人の植民地主義の終焉を構想する学問的実践
である。つけ加えておけば、日本人がみずからの植民地主義を終焉させたとき、
彼/彼女らが植民者でなくなるのはいうまでもない。その点、ポストコロニアリ
ズム研究とは、日本人が植民者から脱却する方法についての思考でもある。

 植民者の問題化が不可欠である以上、ポストコロニアリズムおよび植民地主義
の議論において、日本人は、彼/彼女ら自身の問題化を免除される特権をもたな
い。したがって、中立や外部といった安全な位置に身を置くことはできない。と
ころが、みずからを何ひとつ検証することもなく、ほとんど無意識的に自身の中
立性や外部性を前提する日本人はきわめて多い。こうした身勝手な振る舞いこ
そ、植民地主義を行為遂行的に構成するものにほかならない。ポストコロニアリ
ズム研究にかぎらず、社会科学や人文科学の研究者がこのことに無自覚なまま、
植民地や被植民者を研究対象にするならば、研究そのものが植民地主義の実践と
化してしまうであろう。

 植民地主義に対する中立や外部とは、植民地主義の実践主体ではないというこ
とを意味する。そして、日本人が、植民地主義の実践主体としての自分自身を意
識しなければ、植民地主義をやめるという課題すら自覚されない。その結果、植
民地主義はそのまま温存されることとなる。つまり、中立や外部を無意識的に前
提することは、日本人自身の植民地主義を隠蔽してあやしまないという意味で、
卑劣な政治的行為となってしまうのだ。

 そもそも日本人は、植民者でもなければ被植民者でもないといった部外者では
ないし、ましてや、植民地主義に関して中立であったためしなどない。日本人
は、植民地主義のまぎれもない実践主体であり、積極的にみずからの植民地主義
を終焉させた証拠もどこにもない。そのような日本人が自身を中立や外部に位置
づけることは、彼/彼女ら自身の植民地主義を隠蔽することによってそれを存続
させるという意味で、まさしく植民地主義的実践にほかならないのである。この
ように、もしも日本人を問題化しない研究がポストコロニアリズム研究や植民地
主義研究を自称するならば、より巧妙で悪質かつ有害な植民地主義であるといっ
ても過言ではない。

<以上、同書41〜42頁>

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おわかりいただけたでしょうか。

野村氏の主張は、従来、東本さんが展開してきた主張と、そう大きく変わらない
(はずなのです)。

その東本さんが、先の天木氏の発言に全面的に同意することは、論理的にも倫理
的にも、ありえない、何か見落としているのだろう、と私は即座に判断しました。

ポストコロニアリズムとか植民地主義といった言葉を使うかどうか、どのように
定義するかなどの問題はいったんおいておきます。

重要なのは、日本人と沖縄、沖縄人の関係がどのように構築されているのか、そ
こで私はどの位置に立っているのか、立とうとしているのかです。みずからの植
民地的立場を自覚して、問い返し、主体的に拒否しなければ、「無意識の植民地
主義」という批判に甘んじることになります。論じるべきは「沖縄問題」ではな
く「日本問題」です。



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