[CML 003981] Re: 「沖縄県民は鳩山打倒に動かなければ嘘だ」〜「日本人の植民地主義について」(1)

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2010年 5月 6日 (木) 12:13:17 JST


前田さん、本のご紹介ありがとうございます。

野村浩也氏の問題意識は私の問題意識とも重なります。

ともあれ、近日中に読んでみようと思っています。


東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi


----- Original Message ----- 
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Sent: Thursday, May 06, 2010 11:17 AM
Subject: [CML 003980] Re: 「沖縄県民は鳩山打倒に動かなければ嘘だ」〜「日本人の植民地主義について」(1)


> 前田 朗です。
> 
> 5月6日
> 
> 東本さん
> 
> もう1冊、ご紹介します。
> 
> 野村浩也編『植民者へ――ポストコロニアリズムという挑発』(松籟社、2007年)
> 
> 本書では10人の論者が、日本の植民地主義を徹底解剖しています。池田緑「沖
> 縄への欲望」、ダグラス・ラミス「帝国を設けて、何がいけないのか?」、桃原
> 一彦「「観光立県主義」と植民地都市の「野蛮性」」、島袋まりあ「太平洋を横
> 断する植民地主義」、アシス・ナンディ「植民地主義後の植民地主義」など、挑
> 発的で魅力的な論文が収められています。
> 
> 冒頭には、野村浩也「日本人という植民者」があり、これは野村氏の前著『無意
> 識の植民地主義』のエッセンスです。野村氏はフランツ・ファノン、アルベー
> ル・メンミ、エドワード・サイードなどを駆使しながら日本人の植民地主義につ
> いて論じています。
> 
> 260ページある前著と違って、40ページほどの論文なので論旨がわかりやす
> いかもしれません。
> 
> 少しご紹介します。同書からの引用です。
> 
> *********************************
> 
> 帝国主義の継続という問題の発見は、帝国主義を実践しつづけているのはいった
> いだれなのかという疑問を喚起する。しかも、帝国主義の実践主体を特定するこ
> とは、帝国主義そのものの継続を困難化させる要因のひとつとなるのだ。した
> がって、帝国主義の実践主体ほど帝国主義の発見を嫌悪しがちであり、みずから
> をその実践主体として自主的に認めることも、ほとんどない。たとえば、帝国主
> 義といえば、すぐさまアメリカ合州国等を連想して責任転嫁する日本人は多い。
> また、日本人と名指しされることを毛嫌いする日本人も少ない数ではない。この
> ような振る舞いによって、日本人は、ほとんど無意識的に、彼/彼女ら自身の帝
> 国主義を隠蔽しようとしており、帝国主義の実践主体と特定されることを回避し
> ようとしているといえよう。
> 
>  帝国主義を隠蔽するのは、それが帝国主義の継続に貢献するからである。そし
> て、多くの日本人がしばしば隠蔽、もしくは否定しようとするのは、彼/彼女ら
> 白身の以下の現実である。すなわち、帝国主義を実践することによって沖縄人に
> 「にが世」を強制し、七五%もの在日米軍基地を押しつけてきた張本人こそ、ひ
> とりひとりの日本人にほかならない。いいかえれば、日本人は、「自分の運命を
> 自分で決定することのできない境遇」を沖縄人に強いることによって、今なお植
> 民地化しつづけているのである。日本人がこのことを否定するのは、現実を直視
> すればするほど不可能となるはずだ。
> 
>  エドワード・サイードによれば、植民地化とは帝国主義の帰結であり、個別具
> 体的な土地の住民に対して帝国主義が実践される場合のことを特に植民地主義と
> いう。したがって、日本人が沖縄人に対して実践している帝国主義は、植民地主
> 義と呼ぶのが適切である。伊波のことばを借りていえば、沖縄人が「自分の運命
> を自分で決定することのできない境遇におかれてゐる」のは、日本人の帝国主義
> の帰結として、植民地主義が実践されているからである。その点、伊波のこのこ
> とばは、植民地主義の定義の一部をなしているのだ。
> 
> <以上、同書29〜30頁>
> 
> * **********************************
> 
> この部分は、日本と沖縄の現実を、ポストコロニアリズムで読み解くために、帝
> 国主義、植民地主義とは何かという前提を記述しています。
> 
> こうした論述は決して珍しくありません。多くの論者が同様のことを論じています。
> 
> ただし1点だけ決定的に違うことがあります。多くの論者は、この文脈では、自
> 分を部外者の位置におくのです。日本人を除外します。歴史の話になれば大日本
> 帝国を批判しますが、現在の話になると、突然、帝国主義は他人事になります。
> 野村氏はその欺瞞を突きます。日本人は帝国主義の側に立っているのに、それを
> 隠蔽し、責任転嫁している。隠蔽することで第三者の安泰を得ようとするが、そ
> れは帝国主義の継続に貢献する、と。
> 
> 今後も引用・紹介しますが、野村氏の議論には、「日本人」と「ひとりひとりの
> 日本人」を区別することを許さない厳しさがあります。その点を批判することは
> 簡単です。だからといって、野村氏の基本的な問いかけから逃れることはできま
> せん。
> 
> ここでの問いは、私たちは「帝国主義の実践主体」であるのか否か。「帝国主義
> の実践主体」であることを論理的にも実践的にも拒否しえているのか否か、です。
> 
> 
>


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