[CML 004659] 安保改定50年にあたって

Ken Kawauchi kenkawauchi at nifty.com
2010年 6月 23日 (水) 20:54:10 JST


河内謙策と申します。(この情報を重複して受け取られた方は、失礼をお許し下さ
い。
転送・転載は自由です。)
 安保改定50年目なので、私が日ごろ考えてきたことをまとめました。平和を愛する
かたがたの御検討の材料にしていただければ幸いです。よろしく、お願い申し上げま
す。

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安保改定50年にあたっての私の問題提起
                         弁護士 河内謙策

 安保改定50年にあたって、安保条約反対・安保条約廃棄を願う立場から、若干の問
題提起をさせていただきたい。ただし、私が問題提起の対象と考えているのは平和活
動家・平和派知識人である。あらかじめ御了解をお願いしたい。

問題提起1 日米同盟は、冷戦崩壊以降、漂流しているのではないか。
 安保条約を乗り越えて発展している日米同盟は、「日米同盟:未来のための変革と
再編」(2005年)にみられるように、地球規模での米日の覇権維持=グローバル秩序
維持のための同盟となっている(民主主義科学者協会法律部会『法律時報増刊 安保
改定50年 軍事同盟のない世界へ』日本評論社、参照)。しかし、私が問題提起した
いのは、そのことではない。
 私は、日米同盟反対論者の分析の多くが、静的で、敵の強さと弱さを総合的に分析
するのでなく、敵の強さを分析するのに傾きすぎているのではないか、と言いたいの
である。そのような問題意識から、私は、日米同盟の現状を、日米同盟の漂流ととら
えるべきでないかと思う。すなわち、日米同盟は、結局は冷戦の産物であったのであ
り、それゆえ、冷戦の崩壊以降の再定義やガイドラインの設定も、それらが完全に成
功することはなく、様々な矛盾を抱え込まずにいられなかった、したがって日米同盟
は現在も漂流している、と考えているのである。
 普天間問題が発生したから、現在は日米同盟の漂流が見やすくなったともいえる
が、それ以前にも、日米同盟の危機を指摘する人々がいた。たとえば、「日米同盟が
直面する危機は軍事、政治の両面で深まる一方だ」(ケント・E・カルダー、渡辺将
人訳『日米同盟の静かなる危機』株式会社ウェッジ、5頁)とか、先の「変革と再
編」をまとめたリチャード・ローレスが「[日米]同盟は米国の期待、日本の期待のい
ずれとも満たしていない。かなり重大な失敗をしている」(谷口智彦編訳『同盟が消
える日 米国発衝撃報告』株式会社ウェッジ、82頁)と述べている。
 とくに、21世紀に急速に台頭してきている中国により、日米同盟は重大な危機に直
面している。オバマ政権の登場に伴い、「米中関係は今世紀の世界において最も重要
な二国間関係である」とか「G2時代の到来」が叫ばれたことは我々の記憶に新しい。
今年に入って、やや揺り戻しがきているようであるが、いつアメリカの中国に対する
宥和的な態度が再発するか分からない、といわれている。すなわち、鳩山政権が日米
同盟を傷つけたといわれるが、実はオバマも昨年日米同盟を深く傷つけ、日米同盟の
漂流に一役買ったのである。
  したがって、このような日米同盟の漂流が、様々な対抗関係の中で、どのような着
地点をめざすことになるのか、それがいかなる意味を持ち、どのような新たな矛盾を
発生させることになるのか、リアルな分析が求められているのではないだろうか。

問題提起2 平和勢力が中国問題を避けていることは、重大な誤りではないか。
 中国問題については、平和勢力は、なぜか避けて通ろうという態度をとり、沈黙を
守っている。したがって、日米同盟反対の論者の分析の多くが中国の覇権主義や軍拡
の問題を分析しないで日米同盟を論じるという奇妙な(!)情況が展開されている。
 たしかに「変革と再編」の字面の上では、中国の覇権主義や軍拡は表立っては触れ
られていない。しかし、秋田浩之は、2003年11月にラムズフェルド国防長官(当時)
が日本を訪問し、「自分がイラク戦争にかかりっきりになっているうちに中国軍の増
強が加速し」たことを思い知らされ、「それ以来、中国軍の台頭をどう受け止めるか
といった命題が、在日米軍再編の日米協議と切っても切れない関係になっ」たと記し
ている(秋田浩之『暗流』日本経済新聞出版社、52頁)。また、元外務事務次官の谷
内正太郎は、「日米同盟にはこの間ずっと、一種の『含み命題(hidden agenda)』
として『中国とどう対応していくべきか』という問いがありました」(『同盟が消え
る日』33頁)と述べている。
 にもかかわらず、平和勢力は「沈黙」を守っている。何故であろうか。
 「中国問題を扱うと団体内の団結がこわれる」という意見がある。しかし、それを
言うなら、団体の団結を維持して中国問題を扱う方法を工夫すべきなのではないだろ
うか。「右翼を利することになる」という意見を聞くこともある。しかし、正しいこ
とは誰が言っても正しいという原則を確立しなければ、運動や理論活動は袋小路に
入ってしまうだろうし、中国の覇権主義を利することにもなる。中国問題に取り組ま
ない平和勢力は、国民の中で道徳的・理論的権威を失い始めており、鳩山の友愛外
交・東アジア共同体の提案について十分な論評ができないという情けない情況に陥っ
ているのである。私は、“アメリカにも中国にも毅然とした平和国家日本の創造を”
と訴えている。

問題提起3 平和勢力のスローガンとしては“軍事同盟のない世界を”ではなく、
“平和と共生のアジアを”が適切ではないだろうか。
 日米同盟反対、あるいは安保条約反対のスローガンとともに、われわれのめざして
いるもの(alternative)を表現するスローガンとして“軍事同盟のない世界を”と
言われることが多くなった。しかし、私は、このスローガンは不十分ではないか、と
考えている。“軍事同盟のない世界を”では、軍事同盟が無くなった後はどうなるか
が不明確であること、軍事同盟のない世界と我々一人ひとりの関係も不明確であるこ
と、が、その理由である。“平和と共生のアジアを(あるいは、平和と共生の世界
を)”では、その難点が克服できる。共生というのは、仏教の“ともいき”から来た
といわれ、故黒川紀章などが広めた言葉である。諸民族、諸国民が共に生きること
が、われわれの考える平和ではないだろうか。平和的生存権にもつながるし、人間と
自然の共生にもつながる。
 さらに私は、我々のオールタナティブを考える上で、日本の文化、文明をどう考え
るのか、日本をどう考えるのか、という問題も新しく提起され、日本の平和勢力の回
答を待っていることを指摘したい。私がこの問題を突き詰めて考えたのは、1990年代
であった。一方における社会主義理念の崩壊、他方におけるグローバリゼーションの
進展は、私の立つ位置の再検討を迫った。私たちのめざしている社会は、平和で自由
な民主主義の社会というので果たして十分か、そんな社会が世界中どこにも同じよう
に展開されているとしたら、それもかえって気持ちの悪いことではないのか、21世紀
のキーワードは多様性でないのか、グローバリゼーションを乗り越えるためには健全
なナショナリズムを追求するしかないのではないか、わたしたちは結局「日本人」か
ら脱け出せないのでないか等を考えた私の結論は、日本人として生きる、ことであっ
た。
 安田喜憲は、「日本の持つすばらしい伝統と、日本人の人を信じ、自然を信じる
心、利他の心と慈悲の心、欲望をコントロールする道徳的倫理観、そして美しい日本
列島の山河と海」(『山は市場原理主義と闘っている』東洋経済新報社、19頁)を強
調している。1960年代であれば、私は、これを右翼の発言と読んだであろうが、今は
賛成である。

問題提起4 日本の平和勢力は理想主義の旗を掲げ続けるべきである。
 日本の平和運動は、憲法9条を守り続けただけでなく、日米同盟の狙いである日本
の集団的自衛権の行使=日米共同作戦の実施を阻んできた。これは十分に誇るに足る
ことである。しかし、この日本の平和運動が数々の弱点をかかえている事も事実であ
る。
  私は、日本の平和運動の弱点として、一国主義的であること、アジアを軽視してい
ること、討論が不十分なこと、平和勢力が分立し、共同闘争・統一戦線が不十分なこ
と、平和団体内で権威主義的な運営が行われていること、構想力が乏しいこと等を指
摘してきた。これらの弱点について贅言は不要であろう。
  私が今心配しているのは、平和運動の中で、平和主義の基礎にある理想主義的風潮
が弱まっているように見えることである。私は、今後の運動の中心を担うポスト団塊
の世代の活動家に、保守主義とニヒリズムの影響が広まらないことを願っている。 
                 (2010年6月23日記)


河内謙策 〒112-0012東京都文京区大塚5丁目6番15-401号 保田・河内法律事務所
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