[CML 004562] Fw: 九州筑豊地域強制動員者証言集会のご案内

higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
2010年 6月 17日 (木) 14:26:12 JST


以下、伊藤莞爾さん(北九州市在住。Stonewalkkorea の中心メンバー)からの標題メールの転送
です。

私もこの証言集会には参加する予定です。

多くの方にご参加いただきたいのですが、特に九州、中国地方近辺にお住まいの方々、近辺の
よしみ? でご参加いただければ幸いです。また、ご参加できない方も「韓国併合」100年に関わ
る九州・筑豊地域と韓国の情報としてご覧いただければ幸いです。


東本高志@大分
taka.h77 at basil.ocn.ne.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi


友人のみなさんへ

下記強制連行の証言集会を紹介いたします。

特に、麻生太郎の地元で、麻生炭鉱に強制連行されていた方も証言されます。
麻生炭鉱は、ひどい強制労働が行われた筑豊の炭坑の中でも、もっとも野蛮な支配がおこな
われていました。
そこで、朝鮮人労働者は、ストライキで立ち上がった歴史をもっています。
26日は証言集会、27日は筑豊の強制連行跡地のフィールドワークが行われます。
韓国からも数十人が参加されるようです。

ぜひ参加ください。添付資料(注:下記資料1〜資料3)も参照ください。

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6月26日午後1時より、福岡県飯塚市の飯塚市立岩公民館で開催される

「無窮花堂建立10周年記念事業」
九州筑豊地域強制動員者証言集会
〜『韓国併合』100年を記憶に刻むために〜
主 催  NPO法人国際交流広場無窮花堂友好親善の会
       韓日100年平和市民ネットワーク(韓国)
       (連絡先:090-9561-6737)

につきまして、ご案内いたします。

この証言集会は、昨年6月末に北九州市で開催された日韓ワークショップの席で「韓日
100年平和市民ネットワーク」が提起し、今年初めから飯塚市の無窮花の会と共同で準
備してきたものです。

集会では、
孔在洙(コン・ジェス:麻生鉱業株式会社綱分鉱業所赤坂炭坑)氏
金漢洙(キム・ハンス:93歳。三菱長崎造船所、長崎にて被爆)氏
が、強制動員被害の体験をお話されます。

また、韓国と日本側から強制動員被害の研究発表や相互の運動についても話されます。

韓国側からは、証言者やご家族、合唱(「平和を夢見る人たち」京畿市民社会フォーラ
ム所属)、平和紀行参加者など26名。また韓国・益山市の前・市会議員グループ20名
などが参加。韓国のニュース専門テレビ局YTNの取材を受ける予定です。

お近くの方、ぜひご参加下されば幸いです。
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資料1:チラシ
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                   九州地区法地域強制動員者
                          証言集会   

 先の戦争に於いて日本の植民地政策により、ここ筑豊には15万人にものぼる朝鮮人が
炭鉱で過酷な労働を強いられ、多くの人々が犠牲となりました。
 韓国併合100年に当たる今年、韓国から筑豊に強制動員された方をお招きし、直接その
当時の実態を聞く「証言集会」を下記の日程で開催します。
 過去の歴史に目を向け、不幸な過ちを二度とくり返さない決意を込め、
日韓・日朝関係のみならず東アジア全体をつなぐ友好と親善の関係を
作っていきたいと考えています。多くの人の参加をお待ちしています。

                 「無窮花堂建立10周年記念事業」
                九州筑豊地域強制動員者証言集会
             〜『韓国併合』100年を記憶に刻むために〜
とき   2010年  6月26日(土)
               13:00〜17:00
ところ  飯y`市立岩公民館 4階 大会議室
          (飯y`市役所前)
内容   強制動員者による証言(韓国より3名)
      講話・・韓国代表、日本代表
      アトラクション
資料代・・500円

           主 催 NPO法人国際交流広場無窮花堂友好親善の会
                 韓日100年平和市民ネットワーク(韓国)
                              (連絡先:090-9561-6737)

           後 援 飯塚市・嘉麻市・桂川町

                 この事業は(財)福岡県国際交流センター
                 の助成を受けて実施しています。
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資料2:
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九州筑豊地域強制動員者証言集会〜『韓国併合』100 年を記憶に刻むために〜
第1・2 回事前セミナー報告記/呉 貞愛(オ・ジョンエ)

「九州筑豊地域強制動員者証言集会」(6 月26 日飯塚で開催予定)の準備のための第1
回の事前セミナーが、ソウル市の国家人権委員会の一室で3 月24 日(水)午後2 時から
6 時まで行われました。2010 年は、日韓併合100 年になる年であり、無窮花堂が建立し
て10 周年になります。日韓併合100 年を記憶に刻むために、そして「 無窮花堂建立10
周年記念事業」として、6 月26 日(土)と27 日(日)に「九州筑豊地域強制動員者証言集
会」と「フィールドワーク」が飯塚市で行われる予定です。

 このセミナーに参加するため、3 月23 日(火)無窮花の会のメンバー5 人が飯塚から
来韓しました。副理事長である韓光イン(金へんに引。ハン・クァンイン)さんと娘さん、事
務局長の松隈一輝さんご夫妻、平山悟さんです。「韓日100 年平和市民ネットワーク」の
運営委員長である李大洙(イ・デス)さん、岡田卓己(たかし)先生(啓明文化大学)と私は、
京畿道軍浦市で無窮花の会のメンバー達に会い、セミナーのための打ち合わせをしまし
た。

 第1 回事前セミナーの主題は、「日帝下九州筑豊地域など、強制動員真相と責任究明
方案」です。まず、1 部は強制動員被害者の証言、2 部は準備セミナーの順で行われま
した。証言者は全部4 人で、権言相(クォン・オンサン)氏(桂川町の麻生鉱業吉隈炭鉱)、
孔在洙(コン・ジェス)氏(飯塚市の麻生鉱業赤坂炭鉱)、張吉龍(ジャン・ギルヨン)氏(北
九州市八幡製鉄所)、朴永熙(パク・ヨンヒ)氏(長崎市の川南(かわなみ)工業香焼(こうや
ぎ)造船所)が出席しました。

 被害証言者達の証言を簡単に述べると、次のようです。権言相氏は、韓国忠清南道公
州市出身で、結婚して4 週間後強制動員された。2 年の契約期限で行ったが、途中で脚
に怪我をして、1 年9 ヶ月病院に通ったこともあり、麻生鉱業吉隈炭鉱で、全部で3 年7ヶ
月働いた。過酷な労働と劣悪な環境で生死の境をさまようことが何度もあったという。

 孔在洙氏は、忠清北道清州市出身で、麻生鉱業赤坂炭鉱で働いた。1943 年2 月楊州
郡に集まった120 人は、船に乗せられ、日本へ連れて行かれた。悲惨を極めた食事や
寝食、過酷な労働などに耐えられず、2 度も脱出を計ったが、捕まえられ、全身を動くこ
とができないほど殴打された。全てを断念し、睡眠不足、栄養不足、制限なしの作業量
に苦しめられる人間以下の生活をするだけしかなかった。1945 年8 月日本敗戦発表後、
寄宿舎にいた約700 人が、帰国のための漁船に乗った。しかし、厳しい食糧の事情もあ
り、国に着いたのは、約200 人くらいだったという。

 張吉龍氏は、全羅北道全州市で商売をしていた。17 才の時、人がたくさん集まってい
る所へ行ったら、いきなり「2 日後集結して徴用に行くのだ」と言われた。父の葬式にも
出られず、イリ駅に集結させられ、約300 人の人達と一緒に連れて行かれた。そして、
八幡製鉄所で朝6 時に起床、夜10 時に睡眠した。1 年近くの空襲で、仕事の途中、防
空壕に避難したりすることが何度もあった。1945 年10 月帰国したが、帰りの船が爆発
し、半分海に沈み、島で一週間泊まった。あまりにも若すぎた年に徴用され、頻繁にあ
った空襲など、怖い戦争の記憶が、未だに頭から離れないという。

 朴永熙氏は、故郷が平安南道で1944 年8 月徴用に連れて行かれた。九州の香焼造
船所に1 年いた。造船所では働かないで、3 ヶ月間は日本軍と仕事をした。その後、他
の所に配置された。1 日の食事は、一食の量で3 食が出たので、とてもお腹がすいた。
労働量は1 日12 時間以上で、忙しくなると徹夜もした。ご飯がもらえなかったことはあっ
たが、酷い殴打はなかった。1945 年原子爆弾が長崎に投下された。戦争が終わり、帰
国のための漁船に乗ったが、激しい波で3 日もかかって釜山に着いたという。

 証言者達は、80、90 才の高齢なので、家族を同伴して会場に来ました。4人の証言者
達が共通的に話しているのは、ろくな手当てがもらえず、過酷な労働条件、ひもじさなど、
劣悪な環境で人間以下の待遇を受けながら、生死の境を越えそうな瞬間が何度もあっ
た、ということでした。

 セミナーでは、李大洙さんの司会で、李国彦(イ・グックオン)氏(日帝被害者新聞編
集長)、金承国(キム・スングック)氏(平和作り代表)、韓光イン氏、3 人の発表があり
ました。セミナーの発表1 は、李国彦氏が、「日帝下強制動員被害者達の名誉回復活
動」について発表しました。発表2 では、金承国氏が、「強制動員真相と責任のための
市民活動方案」について発表しました。発表3 では、韓光イン氏が、「日本の無窮花の
会、現地での活動紹介」について述べました。(本紙表紙写真参照)

 第2 回事前セミナーは、4 月15 日(木)京畿道水原市にある「京畿市民社会フォーラ
ム教育場」で行われました。郡山大学経済学部の金旻榮(キム・ミンヨン)教授が発表
し(下の写真の中央が金氏)、その後、参加した人達との 質疑応答 の順で行われま
した。主題は、「強制動員と個別企業の責任」(九州地域明治鉱業平山炭鉱の事例)
でした。

 金旻榮教授の本来の研究テーマは、「1930 年代の労働問題」で、労働力の移動に
ついて研究したそうです。1990 年9 月から1992 年8 月まで2 年間九州で文献研究、
フィールドワークをしたそうです。佐賀で1 年半、久留米に半年滞在し、佐賀大学と九
州大学の炭鉱資料を参考にしたそうです。2004 年からは、韓国の特別法(日帝強制
占領下親日反民族行為真相究明に関する特別法)による真相究明委員会に4 年間
関わったそうです。このセミナーでは、学者の立場から分析したのを発表しました。

 今後、飯塚では、2010 年5 月23 日(日)に第3 回証言者集会事前セミナーと、2010
年度無窮花の会総会が行われる予定です。(韓国より岡田卓己先生と李大洙さんが
参加予定)そして、6 月26 日の「九州筑豊地域強制動員者証言集会」では、簡単な
イベント、被害者証言、そして、金承国さん、金旻榮教授の発表などを予定しています。
6 月27 日には、「フィールドワーク」を予定しています。
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資料3:
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九州筑豊地域強制動員者証言集会 −挨拶の言葉   2010.06.26

              韓日100年平和市民ネットワーク 運営委員長 李大洙(イ・デス)

      過去、現在、未来を共に暮らしていく、九州・筑豊の友人たちに

九州は、韓(朝鮮)半島と最も近いところです。長い歴史を振り返って見れば、最も多
くの交流があり、だからこそ隣の従兄弟(従姉妹)ということができます。生きる中で
は、隣人との間に、仲良く過ごすことも、そうできない場合もあります。ヨーロッパでは
ナチが登場し、仲良く暮らしていた隣人のユダヤ人が、人種と宗教的・思想的理由で
迫害を受け、殺されました。それがまさに、今日、ユダヤ人によるパレスチナの悲劇
として再現されています。世界のいたるところで起きた紛争・葛藤・戦争には、そのよ
うな根元(ルーツ)があることを、人類の歴史が見せてくれています。日本と韓半島の
間には、緊張が走ったこともありましましたが、一方で市民たちの間には、とても親し
い関係が形成されてきました。九州・筑豊地域は、日本の近代化とともに石炭産業
によって振興した地域です。

日帝(植民地)時代、九州には朝鮮人15万人が連行され、強制労働が強要されまし
た。数多くの犠牲者が出ましたが、また、そのことに対して闘争してきた地域です。
1932年8月、麻生炭鉱での収奪と朝鮮人差別に抗議する労働者闘争があったし、
その闘争に日本の労働者たちも連帯しました。そのような中で、労働者の血と汗を
基盤として、財閥になり、政治家になった人もいます。麻生太郎・元総理の家が、ま
さにその代表的な事例です。不幸にも、彼は首相の位置にまで昇りましたが、過去
を正しく認めることもせず、反省することもありませんでした。そこで、このような集
会が準備されたと考えます。決して容易ではない条件の中で、一緒に証言集会を
準備してきた無窮花の会のすべての方々に、感謝と連帯のご挨拶をします。

遠賀川を見て回りました。幅の広い川が流れていますが、石炭産業の最盛期には
黒い川でしたね。飯塚の歴史資料館を訪問して、もっと理解しようと努力しました。
韓国と日本、それぞれ個別の歴史ではなく、日本と韓半島の関係、東アジアの中
での関係の歴史を見ることができます。今は、ひとつの地域でなく、相互関係の中
で互いに理解し合わなければなりません。九州と韓半島の間には、対馬海流が流
れて、太陽と月をはじめとして、数多くの星の光が、すべての人々に射しています。
天と地で、そして海を越えて会う人と人との縁があると考えます。お互いを理解して
信頼する、市民エネルギー、平和エネルギーが未来の希望を作っていると考えま
す。

飯塚、筑豊、九州が、東アジア平和の小さい発信地になることを、ここでまた一つ
の共生と和解の世界が開かれるよう願います。すでにかなり以前から、こういう平
和を夢見た方々もいます。無窮花堂を準備された、{f来善(ぺ・レソン)先生がそ
のような方だと思います。もう、私たちはすでに東アジア市民になり始めました。東
アジアの生態と歴史、そして社会と文化の全てのものが、仲間になって、生命に
なって、平和になる世の中が少しずつ開かれます。私たちが、友人として会う日が
すでに始まりました。辛い歴史を共に記憶して、証言して、謝って、和解しながら、
再びそのようなことを起こさないように、確認し合いましょう。そこで、これからは遠
賀川で、歌って踊る祭典を始めればどうでしょうか。無窮花堂を建立されて10年な
る今年、そして韓国強制併合100年になる今年、この地だけでなく、日本と韓半島、
東アジアと世界のどの地域でも、再びそのような不幸なことが起きないようにしま
しょう。これからは、不幸な過去だけでなく、現在の交流、平和な未来も共に夢見
ていきましょう。
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